帰省の折りに原爆資料館を訪ねた。
最後に行ったのは小学生の頃の遠足じゃなかったかと思う。
記憶を掘り起こしてみると、小・中学校は毎年夏休みに近所の公民館に行き映画を見たりした(沖縄戦の映像なんかが一番思い出される)。小学校3か4年生の頃の遠足で原爆ドームと資料館を訪ねたことも、なんとなく覚えている。小学校6年生の時には、被爆者の心をいやした柳の老木をテーマにした音楽劇「あかいトマ ト」を学習発表会で上演した。これはよく覚えている。
小学校から高校まで広島で過ごした自分にとって、平和教育は身近だった。そう言って良いはずだ。しかし、大学生になって広島を離れてからというもの、どうしてこうも心も身体も、平和教育から離れてしまったのだろうか。
色々な理由が考えられるのだけれど、一番大きなものとしては、「当事者性」を背負わされていた感、流行り言葉で言えば、「学びの自分ごと」に「させら」れてきたこと。まさにこれだと思う。
これって昨今の教育の中にも見え隠れする。皆まで言う必要ないのだろうけど、探究学習とか、PBLとか、キャリア教育とか、思い当たることが色々ありすぎる(…教員になってから見聞きした、何かと平和に結ぼうと「こじつけ」のような実践や考え方そのものにも辟易している)。
数年前、小松理虔さんの考えに触れた。ここでの語りの文脈は、東日本大震災の風評被害や復興なのだけど、どこか共鳴するところがあって、自分自身の受けた平和教育やその知識・価値観をアンラーンしようと決めた(アンラーンの使い方が合っているかは不明…笑)。
夏の終わりに、自戒も込めて。