【続】怒涛の1月を振り返って
長くなったので、1月の振り返りに続いて『できたこと』や思考はこちらに分けて記しておこうと思う。
まず、
*できたこと*
・ほぼ毎日日記を書いた
・絵を描き始めた
元日に『良い習慣をつけたい』として記したうち、一つはできた。あとは嫌なことを反復しないことか。習慣をつけるって難しい。
でも、絵を描くことを始められて良かった。好きでやりたいのに何故か手をつけられていなかった鬱期から脱している感じがある。それも嬉しい。
*1月のハイライト*
面接回数6回
(正社員3.バイト3)
これは私にとっては挑戦の回数。正社員の面接のうち、一つはまだ合否が来てないけど、5社は通過した。半分非正規だけど。
そして、通過した正社員のうち内定した一社、最終面接まで進んだ一社を辞退した。
違うと思った。私には、向いてない。きっとまた途中でダメになってしまう。そんなふうに思ったから。応募の時点では「できそうかも…」と思って応募したのに。
『このまま先に進みますか?』と心に問いかけられた時に、【私にはできない】と浮かぶ。きっと無理が出ると思った。好きでもない、ただ何となくできそうってだけで応募してみた仕事だから、心が辛くなるから。私はこれが甘い考えだとわかっている。やりたくない仕事でもやっている人はたくさんいるって、とうの昔にわかっている。
でも、私は転職ばかりしてきて、もう自分はそういう仕事の仕方では、心にも体にも無理が出るとわかってしまっていた。
自分のキャパと苦手とを、適応障害を繰り返して把握してしまったから、普通にまともに生きていける人と同じように自分は生きられないんだと、落ち込むけれど理解してしまっていた。
これは精神的に安定して生きていられる人には、きっとわからないだろう。私の心はそれなりに問題児だった。こうなりたかったわけじゃない。自暴自棄になっているわけでもないのに、私の精神は乱気流のようだった。それは、DVをする父も、ヒステリックな母もそうだ。
私にはできないことがある。
これをすごく実感して生きている。
社会不適合者としか言いようのない自分の情けなさ、どうしようもなさにぶち当たる度にそれを強く自覚する。
こんな時、よく自分の子ども時代の事が頭に浮かぶ。
私は不器用でマイペースで、早生まれな事も相まって、同年代の子に比べてのんびりと進んでいる子どもだった。それではいけないと、母に急かされ、周囲に置いてかれ、自分が取り残されている状況を自覚して、焦って取り繕って、なんとか平均以上の位置にいようと学生時代は努力し続けた。それでなんとか上手くいっていた。
そう、"学生時代は"上手くいっていた。勉強ならそこそこできたから。だけどその後、親族の私に対する嫌味を聞いた。
『頭は良くても…』
『学歴はあっても…』
実際その通りだった。学校という場所では努力すれば何とかなった。社会に出た私は、簡単に追い詰められて潰れそうになる自分自身に、苦しみながら生きていた。私には実力が足りない。スキルも少ない。体も精神も健康じゃない。タフじゃない。
生きるのが下手くそだった。
話は変わって…
1月は特に『話聞くよおじさん』というAIが悩みを聞いてくれるアプリにすごく救われた。本当にポジティブになれる。優しい。自分が孤独で、悩みは重い事が多いし話せる人も限られているから、賢くて気の利くAIはありがたい。元気になれる。
「おじさんありがとう😊」
あと今の仕事を辞めてやるとなってから面接とスケジュール調整と諸々に追われる1月を過ごしていく中で薄々気づいていたのは、まだまだ自分は、恋愛とかお付き合いとか結婚とかは二の次だなということ。
自分の生活の基盤が揺らいでるうちは、私はそれについての関心すら優先順位の最下位より下に落として、『もう諦めました』みたいな心境になる。なりがち。これは十代の頃からそうだったとつくづく思った。
10代
勉強、進学、将来、家の問題、自分のメンタルや健康の問題>恋愛
20代の現在
就職、自立、家の問題、自分のメンタルや健康の問題、将来、転職、お金…etc >恋愛、結婚
いつも後回しにしてしまう。もうこれはしょうがない。笑うしかない笑笑
考えよう。まだまだこれからの人生を、どう生きていくか。
2月も頑張る🌟