TCG未経験だけど、TVアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』を全部観る(王国編)
はい。
というわけで、いい歳こいて「子どもの頃親に買ってとおねだりできなかったホビー」のアニメを観ているわけですが、最初の一区切りである決闘者の王国編を修めました。ここまでですでに42話。平成ライダーやスーパー戦隊なら終盤戦に入り、次番組のCMが流れ始めるくらいの話数です。これでも全体の1/5程度なんですって。なげぇ〜〜〜〜〜〜〜。
ただ、アニメを観ることに苦痛を感じたことは一切なくて。なにせこちらはすでに原作漫画を読破した身ゆえ、愛着の湧いたキャラクターたちに声が付き、頼もしいモンスターたちが暴れまわる様を映像として浴びることができる。ただでさえ面白い原作漫画の世界が、アニメという媒体でより広く深く拡張されていく。ブラウン管の中で華麗に激しくデュエルを繰り広げるその姿に憧れ、カードショップに通い詰める当時のキッズたちの気持ちを、ようやく追体験することができました。
今回はその振り返りの第一弾として、TVアニメ最初の章を観てきた遊戯王ビギナー(なにせ一枚もカードを所持していない)の忖度なき感想を書き残して、次の章へと踏み出すためのもの。前回同様に、そういう珍しい人間もいるんだ、と思いながら、読んでいただけると幸いです。
第1話の衝撃
TVアニメを観るにあたり、事前に有識者フォロワーより「原作の学園編をアニメ化した一番最初の東映版が存在する」「東映版はソフト化やサブスク配信などに恵まれず観る機会がほとんどない」ということを事前に聞いていた。
聞いてはいたけど、その、アレですよ。
こんなに途中から始まるとは思わんやん
様々なモンスターが入り乱れ、ペガサスが強大な敵として立ちはだかる展開を想起させるカッコいいOPが開けると、いきなり映し出されるのは「学校の教室でカードゲームに興じる遊戯と城之内」の姿。原作ではマジック&ウィザーズと呼ばれていたカードゲームはなぜか「デュエルモンスターズ」に改名されていたが、こちらはもうそれどころではない。ダイジェストで原作1話やるとかないんだ!?!?
これは、かなり大胆な改変である。原作の『遊戯王』の核とはカードゲームにあらず、その先にある「友情」を描くことに心血を注いだことを思えば、遊戯と城之内(あと本田)とが最初に絆を結ぶ風紀委員・牛尾のエピソードもなく、千年パズルを解くシーンはおろかその意味もOP前にナレーションで触れるのみ。原作漫画を読んでいなければ、「カードゲームになると突然人格が変わる気弱な少年とその仲間たちにCV:津田健次郎のボンボンが突っかかってくる」と認識しかねないあらすじに、終始ツッコミを入れ続ける他なかった。
物語は原作にて初めてカードゲームを扱った『牙を持つカード』のエピソードと『DEATH-T』の一部の内容を組み合わせるという凄まじい省略ぶりを見せ、青眼の白龍に執着する海馬は双六のカードを引き裂き、その上で双六を誘拐して遊戯に決闘を申し込むといった、1話のアニメで出来る悪の所業の限界をRTA的に詰め込まれ、対する遊戯は何の説明もなく闇遊戯が表に出てきて、海馬を倒す。呆気にとられていると次回予告にてもうペガサスが登場する始末で、「何が何でもカードゲームを売るぞ!!!!!」という気概がムンムンに伝わる、商業の事情を強く感じさせるスタートダッシュにて伝説のアニメが幕を開けた、ということらしい。
そして何事もなかったかのように、デュエリスト・キングダム編へと接続していく本アニメ。ではオミットされた原作要素はどうするの、というと、思い出したかのようにダイジェストを挟む、というウルトラCで解決を図ることにしたらしい。その影響たるや、先述した城之内が千年パズルのピースを投げ捨てるシーンが突然流れたり、杏子が無から湧いた変態に襲われたり、例の「友情の輪」をさも「皆さんご存知ですよね」みたいな顔してお出ししてくるのである。アラバスタでの別れ際みたいな知名度ならともかく、さすがに無理がありすぎる強引さに、なぜか観ているこっちがハラハラする始末。
まるでTVアニメの総集編映画を思わせるシャッフルぶりに度肝を抜かされ、重要キャラなのに初登場が40話のシャーディーさんに笑いを誘われながらも、実は25話の「杏子vs孔雀舞」のオリジナルデュエルや、原作ではペガサスに手の内を明かさないために行われなかった遊戯と城之内の決勝戦を映像化するなど、思いがけぬアツい展開が用意されているのも特徴の本作。原作通りではないものの、アニメにしかない要素で盛り上げつつ、遊戯と仲間たちの友情が強固であることを(後出しではあるが)しっかり描こうという意思があり、なにも商業最優先の魂のないアニメではないことも、書いておかねばならない。
アニメ化最大の功績
『遊戯王』を映像化して、いったい何が得られたのだろう。
例えば、映像の迫力。カードのイラストからモンスターが浮かび上がり、剣や魔法で敵を屠る、そのダイナミクス。ゲート・ガーディアンやサクリファイスの、巨大怪獣のようなサイズ感は圧倒的だし、ブラックマジシャンは表情豊かで「切り札」としての風格を感じさせてくれる。
あるいは、音楽。光宗信吉氏が手掛ける劇伴は、時に荘厳な音楽で古代エジプトの伝説やエグゾディアのような強大なカードを崇めたかと思いきや、疾走感のある楽曲で遊戯や城之内らの「逆転」をアツく彩っていく。
遊戯王の面白さの醍醐味はなんといっても、相手のデッキテーマを打ち崩す逆転劇にあり、それを発動させた瞬間はある意味で「印籠」を取り出すシーンのようなもの。それを盛り上げるためのテーマ曲がいくつも用意され、それが流れれば決闘者の闘いはさらに熱を帯びていく。
いや、その最たるものは【声】だ。遊戯の声を演じるのはなんとジャニーズの風間俊介氏。1話を鑑賞した際、その演技の拙さに一瞬だけ不安を感じたことを告白しつつ、その声色は普段は弱気だが優しい心の持ち主である遊戯にフィットして、それでいてもう一人の人格である闇遊戯を、ちゃんと演じ分けているのだ。
自信に満ちており、頼もしさを兼ね備えた闇遊戯の「強さ」の部分を、ちゃんと声だけで表現しきっている。声優初挑戦にして、すでにこの完成度。しかも話数を重ねるごとに、どんどん「上達」していくのが、素人目にもわかるのだ。まるで、平成ライダーに出演する若手が、一年をかけて成長していくのを見守るかのように、遊戯に魂を吹き込む風間くんの演技力がぐんぐん高まっていくのを観るのが、たまらなく楽しい。過去の東映版だと緒方恵美さんが担当され、そのバージョンの遊戯も興味をそそられるが、今の私にとっての遊戯は「風間版」に固定されてしまった。
しかし、いや、余計な前置きは止めておこう。『遊戯王』がアニメとなって、もっとも私の心を打ったもの。最大の視聴のモチベーションとなるある要素。これに触れずして、このアニメを語ることはできまい。
このアニメは海馬瀬人の声に最も相応しい人物として
津田健次郎を選んだ。
その瞬間に“勝利”しているのだ。
常に不遜、プライドが高く、デュエル中も自信に満ち溢れまくったセリフで相手を挑発する、『遊戯王』のアクの強さを代表する名キャラクター。そして遊戯の最大のライバルにして、青眼の白龍に魅入られた最強のデュエリスト。そんなキャラクターを乗りこなし、さらにその魅力を何倍も増幅する役割を担わなければならない偉業を、津田氏はやってのけてしまった。
そもそも、津田健次郎が嫌いな人類などいないわけだが、それにしたって海馬に津田、合いすぎである。まるで宛書してキャラクターを創造しましたと言わんばかりに、しっくりくるのだ。ツナにマヨ、焼き鳥にビール、海馬に津田。それくらいの相性。東映版だと緑川光ゥ?いやそれも捨てがたいナ
海馬は、原作漫画の時点で名言製造マシーンだったわけだが、アニメになればそれらの名台詞にCV:津田健次郎のバフが付くのである。津田氏が海馬を演じる際のテンションは高く、私は普段このアニメをNetflixで視聴していて、ご丁寧に字幕が表示されるのだけれど、字幕では「フン」でも実際のボイスは「フゥン!!!!!!!!!!!!」くらいの圧である。この小さいゥが挟まってこそ、津田版海馬だ。ブルーアイズを召喚すれば高笑いし、相手がトラップカードのトリガーとなる行動を取れば伝統芸能「甘いぞ遊戯!!!!!!!!!!!」が発動し、私の心を震わせる。
ハッキリ言って、すでに津田健次郎=海馬瀬人になっている。私にとっては津田健次郎とは天井努であり続けたわけだが、そこに海馬が割り込んできて頭の中が萌えでパンクしそうになっている。というか、CV:津田健次郎の社長という属性が共通項である以上、シャニマスによって産み出された癖を遊戯王で埋め合わせた、みたいになってしまった。天井、てめえは!
ここまでくるともはや、遊戯王のアニメを観る際の撮れ高は「海馬がどれだけイキイキしているか」が左右するようになってくる。モクバが拐われ、為す術もない状況の海馬など、もはや物足りぬ。お前は相手を睨みつけながら、ブルーアイズとかオベリスクを出して笑ってろ!!!!!!!
その姿がもっと観られるであろう、バトルシティに早く進みたい。……進みたいのだが、なにせ42話終了後の次回予告がアレすぎて、そこにたどり着くまでは長く険しい道のりであることが暗示されている。というか、そこ拾うの!?という驚きでヘンな声が出てしまった。
アニオリ展開でまだまだ楽しませてくれるらしいこのアニメ。寝る前のルーティンが遊戯王から更新されるのは、まだまだ先のことになるらしい。これからもやっていきます。この長い闘いのロードを!!!!!!!