命が紡ぐ大河の中で。『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち(TV版)』
年末年始にかけて『宇宙戦艦ヤマト』旧シリーズを修め、少しの間だけ『GQuuuuuuX』と宇宙世紀に浮気してから、こちらに帰ってきた。SFアニメ界に名を残す名作シリーズが今なお続いていることは、人生に楽しみが増えるようで、幸せだなぁと思わずにはいられない。
『2199』『2202』を経ての『2205』、リメイク元となるのは79年のTVスペシャルであった『新たなる旅立ち』なれど、蓋を開ければボラー連邦や土門竜介といった『III』の要素も組み合わせた『さらば』『2』以降の旧ヤマトのミックスということで、驚きを添えてこちらを出迎えてくれる。そしてそれは、シリーズ構成・福井晴敏氏の戦略あってのものらしい。
連作のようでいて、その実一本の線で繋がっているようでそうでもないような、そんな曖昧だった『新たなる旅立ち』から『永遠に』『Ⅲ』までを一本の線で結ぶ。ヤマトの大河化としての今回の試みは、大胆でありながら、個人的には嬉しいものであった。『新たなる旅立ち』に登場した新兵たちはなぜか次なる『永遠に』にて続投せず、何事もなかったかのように『Ⅲ』で土門竜介らが乗船する、その一貫性のなさが今回のリメイクで結び直される。ヤマトの世代交代を担うかもしれない土門らの顔見せをしっかり果たすことで、ドラマがより厚くなっていく。
『2205』はこのように、旧シリーズの“ほつれ”を直したり、描き足りなかった点を補強するような働きを見せている。ヤマトの大河化、次なる『永遠に』のリメイクと込みで一本の大きな軸となるための、布石を打っておく作品だ。
『新たなる旅立ち』におけるガミラス本星の消滅は、暗黒星団帝国による地下鉱物の無断採掘に激怒したデスラーの攻撃によるものという見え方だったが、これではさすがにデスラーの冷静沈着な旧来の姿とはどうも噛み合わない。なので本作では、暗黒星団帝国改めデザリアムの兵器による星の破壊として描き直され、デスラーはガミラスの民の命が奪われたことに怒りを露わにする。直前に、民の安寧のためにボラー連邦の高官の前で膝を折り、屈辱に耐える様を見せておくことで、『2202』において彼が不自然に持ち上げられていた終盤の違和感も今作で帳尻が取れる、秀逸な描写である。
新兵の土門竜介は、かつての古代進の面影を持つ若者として描かれている。兄を失った闘いから生き延びた沖田艦長を、命を預けるに足る人物であるかを見定めるためにヤマトに乗船した古代にとって、土門竜介の無鉄砲さは眩しかったのではないだろうか。ヤマトの艦長として、あるいは地球防衛軍の代表として考え行動しなければならない立場にある以上、見える範囲が広すぎる古代。それに対し、思ったことを口に出し、あまつさえ上官に銃を向ける度胸さえ持つ土門は、青臭くて軍規違反であれど、その熱情を確かに秘めていたのがかつての古代進ではなかったか。
ヤマトもガミラス艦隊も、そして移民船団も危機に瀕した中で、それでもスターシャも助けることを諦めなかった真っ直ぐさに、“大人”になった古代はもう戻れない。一人の犠牲も出さないと足掻いていたあの頃の古代の理想を抱いていられる若さは、立場や星間情勢とは遠いところにあるからこそ光るし、同時に守るのが難しい。それが身に沁みているからこそ、あの台詞が味を増してくる。「何故やる前に相談しない? こっちは経験者だぞ」
本作で最も嬉しかったのは、イスカンダルとスターシャの死に、それなりの意味合いが付与されていることであった。『新たなる旅立ち』だと、どうしてもスターシャの死が軽いものとして、母星と心中する心境にこちらが心を寄せられないでいた。愛する夫と娘を残してまで命を断つ、その決断の重みがどうしても真に迫らない。
同時に、やや唐突であったデスラーからスターシャへの恋慕も、本作ではしっかりとその成り立ちが明かされる。しかしまぁ、これ、スターシャさんが悪い。あの年頃の男の子にCV:井上喜久子の綺麗なお姉さんが耳元に顔を近づけてきて、「早く大人になりなさい」などと言われれば、人生おかしくなっても誰も責られやしない。そんなデスラー少年のいたいけな気持ちはしかし、植え付けられたものでもあるという残酷な真実が明かされてゆく。
スターシャが語るイスカンダルの罪。それは、イスカンダルは他の星の文明を情報化し収集した上で虐殺を行ってきたこと、その尖兵としてガルマン星からガルマン人を連行して洗脳し、「ガミラス」の名と彼らに適応した星として自らの双子星を与え隷属してきたという過去。ガルマン星はたまたま見つかった現ガミラス人が生息できる星ではなく、そもそも故郷であるという事実、地球を救ったコスモリバースシステムが、最も凶悪なフォーミング装置であることの意外な反転が、『2199』にまで遡る衝撃を観客に与える。
双子星という運命性やイスカンダル人を尊ぶ自分の心さえも、マインドコントロールの結果でしかないという裏切りに激昂するデスラー。それはもはやスターシャ一人の命では贖えない罪であると責めるが、当のスターシャは地球を救いガルマン星のことをデスラーに明かした真意を、贖いではなく自分の心の救済であると吐露する。神秘に包まれた救い主もまた、か弱い心を持つ人間と同じなのだ。自分が救われるために、他人を救い続けてきた。過去の過ちから目を逸らし、ただただ生き続けるために。
過去の過ちは、どう精算されるべきなのだろうか。文明レベルで他の星を飲み込んできたイスカンダルの傲慢さ、それを可能とする技術力には、恐れる他ないだろう。ただ、今のスターシャに出来る唯一のこと、過去に縛られるのではなく未来に繋ぐための行為とは、今ある命を守ることである。
母星と離れれば生き永らえないことを知りつつ、ヤマトとデスラーが宙域を離れる口実のためにヤマトに乗り、敵の巨大要塞ゴルバから皆を守るため、イスカンダルを自爆させる。最後の別れをデスラーの腕の中で告げることで、彼とガミラスの民を縛るものは無くなり、皆が自由に生きられる未来を遺し逝く。身勝手な救済と自身で語る行いはしかし、古代進とデスラー、そして無数の地球人類とガミラス人の未来を守ったのもまた事実である。彼女の意思は、生き続ける者の心の間で残り続ける。守との忘れ形見サーシャは、母が繋いだ未来の中で、人生を歩んでゆくのだ。
そうした壮大な命の物語でさえも、続く闘いへの序曲でしかないところが、恐ろしいものである。デザリアムの脅威は去ったわけでもなく、現在リメイクシリーズは『REBEL3199』が進行中。今作においてデザリアムは時空航行が可能なことを匂わせつつ、次回作には3199の年号が。これが一体なにを意味するのかは、ようやく追いついた現行作を観ないことには始まらない。
これからは配信ではなく、劇場で追いかけていく日々が始まるのだろう。壮絶な闘いへの予感に震えながら、まだまだ『ヤマト』が楽しめる幸せに、今のところは浸っていたい。