見出し画像

感想『ハートキャッチプリキュア!』自分の弱さと向き合う花々たち。

 『映画 プリキュアオールスターズF』で高まった熱を燃料に延長が決まった個人的プリキュア強化月間。X(twitter)での投票を募り見事一位を勝ち取った『ハートキャッチ!』を修めた。我ながら、50話4クールのTVアニメをあまり重荷に感じなくなったあたり、アイカツ!と遊戯王で鍛えられたな、と笑ってしまう。

 『ハートキャッチプリキュア!』ではまず初めに、ムーンライトと呼ばれるプリキュアがダークプリキュアなる存在に敗北したこと、主人公である花咲つぼみはお花が好きであること、引っ込み思案な自分を変えたいという想いの持ち主であることが語られる。これにより、プリキュアに対する興味と憧れの種が撒かれ、彼女の変身願望と呼応するようにプリキュアへと選ばれ、つぼみはキュアブロッサムとなる。ブロッサムの変身バンクを経て、その後の戦闘を描かずに1話が終了することで、今年は「変身」そのものにフォーカスしていきますよ!という強い意思表明を感じる。

 将来に対し無限の可能性が開かれている中学生にとって、変身願望とは普遍的な欲求であり、なりたい自分を夢想したことなら誰もが心当たりがあるはずだ。ところが、そんな希望に水を差すネガティヴな感情を増幅して怪人デザトリアンを生み出す悪い輩がいて、後にプリキュアになる来海えりかもその毒牙にかかり、デザトリアンを生みだしてしまう。若き少年少女にとって、至らぬ自分と向き合うのは(大人だってそうだが)苦しいことであり、そのストレスは怪物を生み出す原動力になりえてしまう。なぜなら、その根底には個々人の「コンプレックス」が内包されているからだ。

 引っ込み思案で上手く友達を作れない、姉に対する嫉妬、自分に正直になれない、壮絶な喪失体験によるトラウマ……。プリキュアとして闘う彼女たちもまた10代の少女であり、日々ままならなさや自分への不満を抱え、それでも毎日をサバイブしている。毎話デザトリアンの素材とされてしまう街の人々も、大人子ども問わず、誰もが自分の弱さに足をとられ、その隙を砂漠の使徒につけこまれる。

 けれども、そんな自分を少しでも良くしたい、前向きに変えていきたいという願いに、心の大樹はプリキュアの変身能力を渡すことで少女たちの背中を押す。それを受けたプリキュアたちは、デザトリアンの口から語られる悩みに向き合い、その苦労に寄り添ったり、あるいは檄を飛ばしたりして、暴走する心を浄化する。人々の枯れた心をお手当しながら闘うプリキュアたちはまるでカウンセラーのようで、「ハートキャッチ」が何を意味するかが回を重ねるごとに腑に落ちていく。

 ハートキャッチプリキュアたちの闘いは、肥大化して暴れまわる人々の苦悩に対し、それを無下に否定せず、受け止めてあげることから始まる。たとえ間違った行為に走ってしまったとしても、その原因となった心の動きに目を向けて、その人なりの動機を探り当てる。砂漠の使徒の幹部はこぞって(自分たちがデザトリアンに変えたのに!)その人の心が枯れた理由をあざ笑うため、そのアプローチの仕方はとても対照的だ。私の浅い心理学知識で言えば、ハートキャッチプリキュアは「傾聴のプリキュア」と言い換えられるかもしれない。ダメな自分を力で否定させるのではなく、受け入れていくサポートをしてあげるのが、ハートキャッチプリキュアだ。

 そしてその工程は、幾度となくプリキュア自身にも訪れる。プリキュアになるためには自分のコンプレックスと向き合い折り合いをつけるところから始まり、より強いプリキュアになるための試練もミラージュプリキュアと呼ばれる自身の心の影と対話することがが提示されることからも明らかで、本作は「コンプレックス」という誰もが抱くものをテーマとしつつ、自分のそれも他者のそれも決して見下したり非難したりせず、それとどう共存していくかを模索していく姿を全49話で描ききってみせた。

 相棒の妖精とプリキュアへの変身能力を同時に失い、それでもなお孤高の戦士であろうとし続けた月影ゆりはついに限界を迎えるが、つぼみたちと出会い責務を一人で背負い込むのではなく仲間と一緒に乗り越える方向に意識を向け、見事ムーンライトに復帰する。そんなゆりに対し、失踪していた父親が砂漠の使徒の幹部の一人サバーク博士であること、ダークプリキュアがゆりの一部を受け継いだ妹であり人造人間であることが最終盤に明かされる。月影博士は自身の研究が行き詰まったタイミングでデューンに狙われ幹部となったが、彼は弱さと向き合いきれず、利用されてしまったのである。

 もし月影博士が孤独でなければ、その弱さを支えてくれるプリキュアがいてくれたら、こんな悲劇は生まれなかったかもしれない。このエピソードから得られる教訓は、他者の痛みに想像力を働かせ、労る気持ちを持つこと、にあると思う。SNSの台頭によって誰もが自分の意見を発信できる時代において、私達は容易に他者を攻撃することが出来てしまい、傷つけられてしまった人たちの悲劇は数えきれないほど世に溢れている。

 あまり主語を大きくさせすぎて薄ぼんやりしてしまう恐れがあるのだけれど、悩みを抱えそのはけ口がインターネットに向かってしまった人に対して、(砂漠の使徒がそうしたように)その事情を慮ることなく非難し、時に人格を否定してしまう無責任さに「堪忍袋の緒が切れました!」するプリキュアが、ハートキャッチなのではないか。2010年の作品ながら、その思想が現代にも通ずるというか、寧ろその切迫さが増しているようにも見える、心を癒やし寄り添う少女たちの物語。

 常に優しく慈悲の心の強いつぼみの「いつの間にこんなに大きくなって」感や、破天荒が服を着たような来海えりかの存在感、「死なない方のCV:桑島法子」こと明堂院いつきの可愛らしさは天元突破を続け、月影ゆりに課せられた業の深さに絶句する。全49話をかけて成長していくキャラクターたちに思い入れが深まっていくのはプリキュアの常なれど、序盤とクライマックスを見返せばこれほどまでに頼もしくて強い少女になっているとは、と驚きを隠せなくなる。

 最初こそ面食らったが、その実地に足のついたメッセージを投げかけ、春の予感芽吹く1月末に放送終了したとあって、追いかけていれば格別の感動があっただろう。そして未来人の私として思い返せば、「トロピカル〜ジュ!プリキュアの映画にハトキャが選ばれたのってスゲェ……」となってしまう。トロピカる部と共演して華が欠けることない強い個性としてのハートキャッチ、今なお衰えぬ人気の理由を後追いで知ることができて、またしても『オールスターズF』への解像度が上がってしまった。また観に行こう。

――今回、『トロプリ』の映画に『ハトプリ』がゲスト出演することになった理由は?

2020年の前作映画に引き続き、過去のプリキュア1世代をゲスト出演させること自体は、あらかじめ決まっていました。「どのプリキュアたちにするか」は、純粋に『トロプリ』との相性のよさで決めました。

具体的には、まず『トロプリ』のみんなのにぎやかなテンションに、負けず劣らずの勢いで付いてこられる子たちであること(笑)。加えて、『トロプリ』では仲間に応援の気持ちを伝えたり、自分の気持ちを奮い立たせたりするための象徴的なアイテムとして「メイク」を取り入れています。『ハトプリ』のみんなはファッションを楽しむ部活を結成して活動していた経緯があったので、「自分の好きなもので気合いを入れて、困難にも立ち向かうぞ!」という雰囲気が共通していると感じました。

テレビ放送を観ていた子どもたちが、自分で友だちを誘って映画を観に行ける年齢になっている時期の作品がいいなという思いもありました。

完璧な「いい子」じゃなくても。プリキュア像を更新し続ける作り手たちの挑戦【インタビュー】

いいなと思ったら応援しよう!

ツナ缶食べたい
いただいたサポートは全てエンタメ投資に使わせていただいております。

この記事が参加している募集