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3年以上寝かせたエンタメ漬物『戦姫絶唱シンフォギア』を観た。

 ずっと心残りがあった。動画配信サービスのマイリストの一番下、つまり最初に登録した作品として『戦姫絶唱シンフォギア』の名前があった。

 大学時代の友人からも、twitterで出会ったフォロワーからも「『キルラキル』がスキなら絶対ハマりますよ」と言われ、その度に「また今度ね」とのらりくらり回避し続けること、早3年。いや、ホントはもっとずっと、下手したら4年だとか5年も熟成させてきた気がする。どうして再生ボタンを押す手がこんなにも重たいのか、自分でもよくわからないし、シンフォギアを観ずして『アイカツ!』を全制覇したり、今は遊戯王を履修中だったりする。そのくせガメラとゴジラコラボ目当てでゲームアプリをダウンロードして、食べたい所だけ食べてアンインストールしてしまった。

 仮に3〜5年も寝かせたとしたら、漬物としては完全に腐っているし、ワインならまだ芳醇さの極には至っていないだろう。一体何の話をしているのか自分でもわからないが、要はこの正月休みを期に満を持して漬物石を取っ払い、『戦姫絶唱シンフォギア』を観たのである。わずか全13話、普段観ている女児アニメや特撮作品よりも負荷が低く、それでいて面白いし、心沸き立つ瞬間は確かにあった。

 今回はその感想を、シリーズ門外漢の立場を表明しつつ書いていこうと思う。歌われた楽曲の名前も知らないし、スタッフ・キャストのインタビュー等も目を通していない、丸腰での備忘録。何ら価値がない文章なれど、適合者の皆様に何かを恩返しできるとしたら、初見感想くらいしか思いつかないので……。

 まず最初に告白しておくとするのなら、シンフォギアシリーズ最大の特徴にして、作品を薦められる際に適合者先輩各位の言う「歌いながら闘うアニメ」の真髄を、私は何も理解していなかった。事前の予想として、それは従来の「挿入歌」の域を出ないものか、あるいは『マクロス』シリーズのように歌い手と戦闘を行う者がそれぞれいてこその「歌いながら闘う」だと、ずっと思い込んでいた。

 だからこそ、1話を観た際の驚きと困惑をハッキリと覚えている。主人公と思わしき少女の墓の前で涙する少女と、その墓の主のCVが悠木碧さんだったことによる『魔法少女まどか☆マギカ』の連想から、間髪入れずに高山みなみ×水樹奈々の歌唱力お化けアイドルユニットのライブが始まり、その会場が何者かに襲われ、いよいよ「シンフォギア」がお披露目される。歌によって起動し、適合者の身体を纏う鎧や武器となるシンフォギア。

 シンフォギアを用いて闘う少女=適合者たちは、縦横無尽に戦場を駆け抜け、刃や槍を振るう。そこに流れる格好いい挿入歌は、所々歌詞が欠けていて、少女たちの口が動いている様子がクローズアップされる。「あぁ、そういうことか」と、瞬時に理解した。今流れているこの挿入歌は実際に彼女たちの口から歌われているもので、敵から攻撃を受けたり発話したりする際は歌詞(歌唱)が途切れるので歌が歯抜けになってしまう。読んで字の如く、『シンフォギア』は歌いながら闘うアニメだったのだ。

 その光景は、ハッキリ言ってしまえば、とても「珍妙」に映ってしまった。闘いながら歌うという行為の無茶さと、そのコンセプトを成立させるために設定されたであろうシンフォギアという兵器の「兵器としての妥当性の無さ」だとか、そして何より闘いながら歌っている彼女たちの姿に、ここではとても言えないような感情を抱いてしまった。

 ただ、ここまで書いたのはあくまで1話時点の感想。『シンフォギア』の凄いところは、歌いながら闘うというコンセプトをドラマと歌唱、歌詞とをリンクさせることで成立させてしまった、というところにある。挿入歌は用法用量を守れば展開の説得力を担保する演出になるけれど、キャラクターの感情に補助線を引くという歌の用法を従来とすれば、本作は「キャラクター本人が挿入歌を歌い上げ、その歌詞が感情や物語と調和する」というもの。歌が先か物語が先か、話作りにかなりの労力を有し、かつ歌い手となる声優さんも歌唱力を問われるわけで、バトルシーンはその度に難産なのでは……と素人目にも思うほどに歌と感情と物語のシンクロは最重視され、いつしか歌いながら闘うことへのネガティブな感情は消え去ってしまった。

 “無理を通して道理を蹴っ飛ばす”ではないけれど、こちらの困惑と嘲りを吹き飛ばすだけのパワーとアツさを有する『シンフォギア』、なるほどこれはハマるのもわかるというか、現に自分が「ノセられて」しまっており、もうこれを笑って観るのは不可能。これが適合者への入り口、とでも言うのだろうか……。

 そんな『シンフォギア』の主人公を務めるのは、先述のCV:悠木碧の彼女、立花響。人助けが趣味といういかにもヒーロー然としたプロフィールと、有言実行が如く身を粉にしてノイズとの闘いに臨み、自分の余暇時間や学友との一時でさえも犠牲に出来てしまう、実に歪な少女。優しさと慈愛に満ちた心を持ち、それが行き過ぎたゆえの自己犠牲をも厭わない危うさは、作中の大人たち(特異災害対策機動部二課の皆さん)をも不安にさせ、その無邪気さは先輩装者である風鳴翼を苛立たせる。

 また、シンフォギア装者であることは秘匿事項であり、響はノイズ退治に出かける度に親友の小日向未来との約束を反故にせざるを得なくなってしまう。響は一生懸命に装者として闘い傷つき、未来の元へ帰り安らぎを求めるも、自分に隠し事を重ねる響に対し未来は不信感を募らせていく。響が少しずつ翼と理解を深め合い、共闘への兆しが見えてきたその現場を、よりにもよって未来に目撃されてしまう、あの気まずさ。響はノイズと闘う傍らで、自らが置かれた環境と周囲の人物との関係の中で生じた齟齬、「不和」とも言うべきものに向き合うこととなる。

 しかし、大人たちや視聴者が彼女に感じる危うさや善性が、立花響の「」であり最も強い個性であることは、この作品を観た方なら異論ないはずである。困っている人を見れば放ってはおけない性格で、その気持ちはたとえ自分に刃を向けた翼や、敵として現れたクリスにも平等に向けられる。その思想の根源は、彼女がガングニールを継承するきっかけとなった二年前の惨劇のただ一人の生き残りであり、そのことから生じる自責の念によるもの。サバイバーズ・ギルトによる後ろ向きな想いが、響自身を縛り付ける鎖であったことは、実に痛ましい。

 されど、響自身も数多の出会いと闘いを繰り返す度に、誰かを守るために闘いたいという想いが自責によるそれのみではなく、自分の心の底から湧き上がる本心であることを知る。奏の代わりを務めるのではなく、立花響としてシンフォギアを装着し闘うという決意は、風鳴翼の止まっていた時を動かす。また、彼女が持つプリミティブな欲望―他者と繋がりたいという想いが、居場所を失った雪音クリスの心の氷を溶かした。

 そうして繋いだ手と手がより大きな力となり、クライマックスでは強大な敵フィーネを打ち破る。音楽は調和ハーモニーが大事だとよく聞くが、バラバラだった三人の心をまとめ上げ一つにする。そんな偉業を成し遂げた響こそが歌いながら闘うアニメこと『シンフォギア』において最強、というのは実に納得のいく着地であり、問答無用に燃えるものであった。もちろん、未来自身の響を信じたいという気持ちが大人や同級生たちを動かし、ピンチに陥った響を救ったのも「アゲ」である。何重にも折り重なったカタルシスが主題歌「Synchrogazer」によって結ばれ、それがそのまま必殺技の名称となる怒涛の展開に、心は完全に飲まれてしまった。格好いいぜ、シンフォギア!

 立花響を中心とする「ヒーロー」の物語に喝采を送り、歌の力に心震わせる。その裏で、それらと同等に、時には上回るほどの興味をそそられたのは、相対する「ヴィラン」ことフィーネの動機に関する物語。特異災害対策機動部二課の研究者である櫻井了子の肉体を依り代として現代に蘇ったフィーネという存在は、なんとあのバベルの塔を建造しようとした時代の人間であるという。

 元より「ノイズ」が有史以来から人類の歴史に度々登場する異形の存在であるという説明がなされていたが、そのノイズを造り出したのが先史文明期の人類であり、その目的は互いの殲滅。人類の不和によって生まれたノイズが、現代に現れ響と未来の絆を一度は引き裂く間接的な要因となり、それだけでなく全世界的な危機として立ちふさがる。その不和のきっかけとなったのが、「統一言語の喪失」だというのだ。

 旧約聖書「創世記」に登場する、人類が神的存在に手を伸ばすために建てられるはずだった巨大な塔。しかしそれは神の怒りを買い言葉は混乱させられ、その挑戦は悲劇を招いてしまう。寓話として現代にも広く知られるこの物語を、実際に引き起こしたのがフィーネら超先史文明期の人類。そして櫻井了子を奪い現代に蘇ったフィーネは、過電粒子砲カ・ディンギルを用いて月の破壊を画策。その結果訪れるカタストロフによって人類を隷属し、バラバラになった世界を統一することを目的として暗躍していたのだ。

 統一言語を奪われ、ノイズを用いて互いを殺し合うことで不和をまき散らしたかつての人類。その歴史を知る転生者フィーネが大規模な破壊によるリセットと、恐怖による支配をもって人類の「統一」を目論む。それに対し、現代のシンフォギア装者と仲間たちは「調和ハーモニー」によってそれに立ち向かう、という構図だったのだ。破壊による創造と、それに対するアンチテーゼとしての調和、そしてそれを支える「歌」によって、『シンフォギア』は成り立っている。人類史にも深く根差す、壮大な背景が実は横たわっている。

 荒唐無稽にすら感じられるコンセプトを成り立たせる、「燃える」シチュエーションと歌唱の力の連続で観る者の心を震わせるアニメ『シンフォギア』、その面白さの醍醐味を一端を知れて、観てよかった、という気持ちでいっぱいである。未だにオールタイムベストアニメが『キルラキル』である身としては、その一年前にこれほど食指が動くタイトルがひっそり放送されていた事実は、自分のアンテナの低さを自覚すると共に、翌週を待たずして次回が観られる後追い勢ならではの環境に、喜びを感じている。12話⇒13話への引きなど、次週が待てなくて悶絶していたところだったが、燃えを持続させたままシームレスに観られたのが本当にありがたかった。

 聞けばこの記事投稿日の2024年1月6日が、本作第1話の放送12周年となるそうだ。期せずしてそのお祝いムーブに乗った形で、観て書いたシンフォギア。敬遠することなく、ちゃんと肌に馴染んで楽しめたからこそ、薦めてくれた適合者先輩各位に応えるためにも、次シーズンを追って履修してみようと思う。混迷を極める時代だからこそ、手を取り合い調和することを信じるための物語として、『シンフォギア』に救いを求めるのも、悪くないんじゃないかと思いながら。

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