心地よい人間関係に包まれる『ゆるキャン△』の至福なひと時。
不要不急の外出自粛を要請され、マスクの着用が半ば義務づけられた今、このアニメが観る人の癒しになるかもしれない。外出先の選択肢が職場と映画館しかないようなインドアオタクも、自然の雄大さが恋しくなる時がある。そんな気分にぴったりのアニメだった。
TVアニメ『ゆるキャン△』全12話を完走して、今しみじみとキーボードを走らせている。旅行会社に勤める知人が、疫病蔓延する苦しい現状でもレジャーの楽しさを知ってほしいとURLを送ってきた作品で、何気なく1話を鑑賞するとじんわりと荒んだ心が安らぎ、暖かい涙が一筋零れ落ちてきた。それからは一日2話ずつ、仕事で疲れた身体をリラックスさせるためのセラピーとして摂取して、一週間の激務を乗り越えることができた。今となっては「ゆるキャン△、終わらないで、、、」と別の意味で涙を流す羽目になったのだが、それも本作がいかに素晴らしく愛おしいものであるかを物語っている。そんな『ゆるキャン△』を観てぼんやり思ったことを、記していきたい。なお、原作は未読。
“ゆるい”アウトドアのススメ
まず思い返せば、休日の過ごし方に「キャンプ」「登山」のようなアウトドアが並ぶことがあり得ないインドア派にとって、本作で描かれるキャンプ描写は全てが新鮮だ。曲がりなりにも九州の「田舎と都会の中間」みたいな地に住んでいる身としては、キャンプ場がそこらに点在する山梨県や長野県の在り方だけでも、軽いカルチャーショックなのである。
そんな土地で育ち、祖父の影響もあって高校生にしてソロキャンパーである志摩リンの活動が描かれる1話の、なんとも愉快なことか。折り畳み式のテントや寝袋を持ち込み、現地で薪を集め、松ぼっくりを火種に火を起こし暖を取る。未経験者にとっては道具を揃えるのもハードルが高く、ましてや実行なんて、と思っていた者の視野を大きく広げてくれるところを、まずは褒めちぎりたい。彼女が手際よくソロキャンの設営を行っていく様子は、「自分でもできるかも…??」と細やかな期待さえ抱かせる。
実際はそんなことはないのだろうけれど、キャンプって楽しそう、ソロでキャンプするのもアリなんだ、と思わせた時点でこのアニメの勝ちなのだ。道具を揃え、テントを張る場所を決め設営し、事前に準備した具材でキャンプ飯を作り、頬張る。都会の喧騒から離れ一人でじっくり自然と向き合うリンのソロキャン描写は、キャンプ=集団でするものという認知を改めるいい刺激になった。その描写に大塚明夫のナレーションが挟まることで、キャンプのハウツードキュメンタリーの側面も本作は有しており、氏の心地よい声音で語られるキャンプ豆知識はどれも勉強になった。
一方、グループキャンプ(グルキャン)をメインとする「野外活動サークル(野クル)」の描写も良かった。彼女たちは女子高生なので予算や自由な移動手段などに乏しく、バイトのお給料をやり繰りして安い道具を探したり、周りの大人の力を借りながらどんどん活動範囲を大きくしていく。それらの活動風景が「高校生が週末に集まって遠出して遊ぶ」感じの延長なのも、つい頬を緩ませる。最寄りの駅からキャンプ場まで歩いて、道中のお店でスイーツや温泉を楽しむ。ちょっとした旅行のようで、色んな(主に食方面の)誘惑やトラブルに合いながらも、キャンプ場という共通のゴールに向けて歩を進めていく。楽しい時間を共有し、寝食を共にすることで得られる一体感。これもまた素晴らしく、アウトドアへの憧れを強烈に掻き立てた。
一人でも集団でも、お店に寄って遊んで、たまに到着が遅れても、キャンプってそういうものだよと本作は優しく見守ってくれている。設営や後片付けの大変さといったマイナスイメージを超えて、楽しい旅行の一環としての“ゆるいキャンプ"の在り方を、本作は推奨する。
食欲を刺激する、強烈なキャンプ飯
道中のお店で名物をつつくのも一興だが、やはりキャンプの醍醐味は旨い飯に限る。小学生時代の知識で止まっているのでキャンプと言えばカレーしか思いつかなかったが、実のところ食の選択肢は無限大だ。
火を起こすことができれば、雄大な自然はキッチンに様変わりする。ピリ辛の餃子鍋にスープパスタ、果ては豚まんをホットサンドメーカーで焼くというシンプルながら凶悪な唾液誘発映像を放ってくる『ゆるキャン△』は、実は深夜に観るにはハードなアニメだったりする。
これらの料理は寒空の下で身体を暖める役割もあり(リンの嗜好もあり、本作は冬のシーズンオフキャンプがメインとなる)、ホカホカと身体が芯から暖まっていく感覚は、誰しも経験があるはずだ。その感覚を強烈に思い起こさせる『ゆるキャン△』の食描写には、作り手の強いこだわりを感じる。
言うまでもないが、アニメキャラクターは突き詰めれば「存在しない人間」であり、生きていない。そうしたキャラクターに命を宿す手法の一つが食事描写なのだが、本作の心地よさの一つはここに集約されている。食いしん坊で元気ななでしこが口いっぱいに何かを頬張る様の、なんと愛おしいことか。「美味しい」というストレートな感情の発露を、言葉だけでなく表情や身体の細かい所作の一つ一つで積み重ねていく彼女の食事シーンは、胃が悲鳴を上げてどうしようもない。あぁ頼むから、その炭火で焼いた焼き鳥を一本こちらに寄こしてはくれないか。
過度に寄り添わない、心地よい距離感
今さらだが、本作のあらすじは以下の通りである。
富士山が見える場所を目指し猪突猛進してきたなでしこと、ソロキャンパーのリンとの出会い。それに触発されたなでしこは転校先の学校で「野外活動サークル(野クル)」に所属し、ついに野外のグルキャンを決行。リンも同じ学校とわかり、友情とアウトドアへの知識を深めながら、日々が過ぎていく。
本作の構成として興味深いのが、ソロキャンパーであるリンとグルキャン志向の野クルの活動が並行して描かれ、終盤まで交わらない点だ。リンが合流して野クルメンバーは4人に増え部に昇格、というありがちな展開を、本作はあえて踏まない。それはおそらく、本作の描きたいメッセージの一つに「ソロキャンとグルキャンとの間に優劣を挟まない」という精神があるのだと、最終話まで完走した今確信に近いものを抱いている。
一人でのんびり風景や読書を楽しむソロキャンも、集団で思い出を共有していくグルキャンも、等しく尊いものであると、本作を観れば自然にそう思えるはずだ。「みんなでキャンプした方がきっと楽しいよ!」だなんてありきたりなセリフをなでしこにでも吐かせようものなら、本作は一気にその評価を落としていたに違いない。多様性が叫ばれる現代で、キャンプといっても様々な在り方があって、そのどれもが尊重されるべきである、という価値観。アウトドアという視野を超えて「趣味」を題材にする作品を目指すときは、『ゆるキャン△』をガイドラインにしてほしいくらいに誠実な態度に見える。
例えば、リンはこれまでも野クルに勧誘されてはいたものの、「ノリが苦手」ということで断っていたらしいことが語られる。そんな事情も知らないなでしこはリンに「みんなで一緒にキャンプしようよ!」と誘うのだが、断られてしまう。ここで過度に深追いせず、「今度はみんなでやろーね!」と明るく誘う、この関係が非常に心地よい。グルキャンを絶対のものとして描かず、ソロの在り方を否定せずに「なでしこがリンと一緒にキャンプしたい感情」ただ一つに純化して描き出す会話の、なんと素敵なことよ。
また、ソロキャンーグルキャン班が同時刻に別々の場所で行動していたとしても、LINEのようなコミュニケーションツールで常に“ゆるく”繋がり合っているのも良くって、それぞれが観た風景やご飯の思い出を写真で共有しあう。画面の向こうの相手が過ごす時間に想いを馳せながら、自分の時間を満喫する。この関係の健全さは言うまでもなく、「いつも一緒だけが友達じゃない」本作の関係性の描写は、時にささくれ立って一人になりたい時もある私のような面倒くさい人間にとっては、心に染みるものがあった。その関係性が通底しているからこそ終盤の「5人揃ってクリスマスキャンプ」には待ってました!という味わいもあるし、「別々の場所で、同じ空の下で繋がっている」ことを示す5話、それを超える成熟を見せた最終回ラストの「ソロとソロ」の描写が、とてつもなくエモーショナルで感動的に映えるのだ。
焚き火のように暖かく、マシュマロのように柔らかくて優しい人間関係の描写こそ、『ゆるキャン△』というアニメの白眉である。たとえあなたがアウトドアに興味が無かったとしても、このことだけは伝えておきたいのだ。
まとめ
『ゆるキャン△』の世界は、徹頭徹尾優しい。人を蹴落としたり、悪口を言ったりするような悪人は一切映らないし、野クルメンバーが活動の方向性の相違などで争ったりする描写もない。人と人がいがみ合ったり対立することもなく、ただただ穏やかな日々が過ぎていく。葛藤が無ければすなわち変化や成長のきっかけが無く、そういった物語をかつては馬鹿にしていた。
だが、『ゆるキャン△』に変化や成長が無いかと言われれば、否である。リンが「みんなでキャンプ“も"いいな」と思えたことや、最終回ED後のなでしこの行動を鑑みれば、日々の積み重ねが彼女たちの人生をより豊かに、楽しいものにしていることが伝わるはずだ。人と人との間に摩擦係数の無い、優しくて思いやりのある世界。そんな創作に耽溺することを「逃避」と名付けることもできるが、多くの人が余裕のない生活を強いられている令和の時代、張り詰めた心をひと時でも緩ませられるテントのような作品が必要なのだ。『ゆるキャン△』は、混迷の時代を生きなければならないあなたを救うかもしれないアニメだ。そのことを知ってもらえたら、私は嬉しくなってしまうのである。