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『キンプリSSS』を観て、プリズムの煌めきの何たるかを知る

 キンプリヤクザに捕まって以来、キンプリ⇒キンプラ⇒SSS(10話まで)⇒レインボーライブ(25話まで)⇒SSS(完走)という順に、生活がプリズムに浸食されている。レインボーライブはちゃんと全部観る予定だし、24話で泣いたし、おれは蓮城寺べるの女になった。全部観たら感想をかく。

 それはさておき、キンプリSSSこと『Shiny Seven Stars』が劇場・地上波共に全てのショーを終えた。とにかく最高だった。女児向けアニメのスピンオフのヤベーやつという事前知識から入ったにもかかわらず、毎週小室サウンドが聴けるという一点でハマり、若きスタァたちのドラマに思いを馳せ、ぶっ飛んだプリズムショーへ贈る賞賛は笑いから涙へ変わった。これは完全に予想外だった。笑いのネタとして鑑賞していたのに、いつしか本腰入れて、何なら映画館に行かなかったことを後悔し始めるくらいに、プリズムの煌めきに魅せられていた。

 ラブライブ!にシャニマスとアイドルの輝きに目がくらむ毎日を送っていたが、彼らプリズムの使者は見たことのない輝きをまといて降臨し、こちらの語彙力を破壊し、我々の想像の遥か先を往く高みへと飛び立ち、未知の世界に連れて行ってくれる。そんな輝かしい虹のような7人+αの話をするから、ちょっとだけ付き合って欲しい。

 『Shiny Seven Stars』は、その名の通り7人のスタァ、エーデルローズの新入生たちのドラマを描くシリーズである。過去の劇場2作では尺の都合上どうしても描写がオバレやシン、ルヰやシュワルツローズのスタァたちに寄ってしまい、シンの同級生たちのことはまだまだ描かれ足りなかった。だからこそ満を持して、TVシリーズ1クールという潤沢な時間を用いて彼らの知られざるパーソナリティをじっくり描く本作は、ファン待望と言って差し支えないだろう。

 キャラクターそれぞれが抱える悩みや葛藤といかに向き合い、その答えをプリズムショーとして表現し、それでいてファンを楽しませることを忘れない。1話20分ながら濃厚なドラマが展開され、時にシリアスな雰囲気を醸しながらも、クライマックスのプリズムジャンプで全てを愉快で豪華絢爛なエンターテイメントへと昇華させる。これこそがキンプリSSSの「9話までの」流れだ。


まず1話がヤバい

 彼ら7人のことを話す前に、どうしてもこの話をしなくてはならない。SSSの1話は「キンプリとは何か」を最短距離でおさらいし、本作の舞台設定を整えるというただそれだけに特化しており、展開のスピードが尋常では無い。ぶっちゃけこれだけ観てもらえれば最低限のことはわかるし、同時にオバレの格の違いってやつを肌で感じることができる。応援上映向けのギミックがそのまま地上波でも放送され、視聴者は強制的にオバレの夢女と化し、顔のいいスタァと一夜を共にすることとなる。

 何を言っているかわからないなら、それはまだあなたがプリズムの煌めきを知らない証拠だ。臆することはない、ただ身を委ねていれば、自ずと心はときめき、言葉にできない感情と出会えるはずだ。

太刀花ユキノジョウ

 麗しの君、太刀花ユキノジョウ。歌舞伎の名家・国立屋の七代目である彼は、プリズムスタァとしてもかなりの人気を誇っているが、歌舞伎の方では伸び悩んでいた。ユキ様を悩ませていたのは、家を背負うことへの恐怖と、己の不甲斐なさ。その重責からの逃避としてプリズムの世界に足を踏み入れたことで、どちらも満足に踊ることが出来なくなってしまう。

 そんなユキノジョウが、父と母、双方の過去を知ることで、己ともう一度向き合う第2話。「血」というこれ以上ない直接的なイメージで、ときに彼を縛り、時に彼を勇気づける「太刀花」の絆を表現する。また、女性であるがゆえに舞台に上がることのできない母親と、国立屋の一族ではなかった外様の父親のドラマが、プリズムショーという一点によって一つの答えを導き、その息子が新たなショーで両親と観客を魅了する。とても美しい構成で、キンプリSSSのフォーマットを的確に示してくれた。

 ユキノジョウのショーは、紅の赤が眩しい情熱のショー。目のくらむような美しさと、目の奥に秘めた情熱の赤。その二色のコントラストが胸に響く、圧巻のパフォーマンス。歌舞伎役者としても、プリズムスタァとしても新境地を開いた彼の、華々しい開演だった。

香賀美タイガ

 女の子をときめかせるアカデミー系と、己の技術を磨いて超絶的なダンスを披露するストリート系。後者のカリスマ的存在である仁科カヅキと、その背中を追ってスタァになったタイガの過去が描かれる第3話は「祭り」がテーマ。故郷の青森を離れ、東京に居場所を見つけられないタイガは、カヅキとプリズムショーに出会い、大好きなねぶた祭りの魂をそこに見い出し、自らもスタァへの道を歩んでいく。

 成長し再び上京したタイガだったが、憧れのカヅキ先輩はご存じの通りオバレの一員として、女の子をキュンキュンさせている。その姿に一度は失望するも、「ファンを楽しませるのにアカデミー系もストリート系も関係ない」というカヅキの志を受け、タイガにも成長の兆しが訪れる。この「ファンを楽しませる」とはプリズムショー、ひいてはアイドル論としても根底に座す考えであり、これが終盤に響いてくるのだが…。

 そんなタイガのショーももちろん「祭り」なのだが、よもやとはね。いや、わかる、わかるんだけど、細見の美少年がふんどし姿で特大うちわを振り回す光景って、たぶん全人類初見だと思う。前回のユキノジョウとはまた違った、賑やかな熱さが会場を包み、コール&レスポンス方式で観客をも楽しませる。これこそがタイガの祭りでありプリズムショー、「祭りなら、俺の中にある!」の決め台詞は問答無用にカッコイイ。

十王院カケル

 十王院財閥の御曹司にして、プリズムスタァでもある十王院カケル。ユキノジョウ同様に家を背負う立場でありながら、その苦悩を見せずチャラい印象が拭えなかった彼の、実は繊細な心が明かされる4話。

 十王院の実権を狙う者も多く、カケルは若くして社内の政治争いに身を投じ、その名前と持前の才覚で闘ってきた。まさしく敵側シュワルツローズと繋がっている真田もカケルの失脚を狙う一人であり、二校の対決の裏で進行する十王院の王座をかけた勝負の存在が、今回で浮き彫りになるのだ。

 そんなカケルを支えたのは、「愛」を貴ぶ心で接してくれた児玉専務と、祖父の万太郎。効率と利潤追求が優先される経営において、暖かみを持った目線で人と接したこの二人の愛に触れ、そんな愛を探すためにプリズムショーの世界へと足を踏み入れるカケル。その名前にこめられた意味を知っては、もう彼を本名で呼ぶことは不可能だ。

 そんなカケルのショーは、色彩の暴力と自然賛歌、そして天然ガスだ。かつてプリズムショーは「ショーによって崩壊した会場を修繕し工事費数十億円を浮かせた」脅威の実績を持つが、それに匹敵する経済効果をもたらした。ぶっちゃけプリズムショー将来的には戦争も終わらせるし、徳川の埋蔵金とかも掘り出しちゃうと思う。天然資源の発見でエネルギー問題や経済格差も緩和され、人々には満足な食事が供給され、絶滅の危機から救われるだろう。サノスが求めるべきは光る無限石ではなく、プリズムの煌めきだったわけだ。

高田馬場ジョージ

 驚くことに、ここにきてエーデルローズ外のキャラクターにもスポットライトが当たる。現シュワルツローズの顔として売り出し中のスタァであるジョージだが、実はゴーストシンガーが存在する。だが、彼もまた「本物」のスタァであることを、この5話で思い知ることになる。

 高田馬場ジョージは、その出自こそ華やかなものではなく、糸工場の息子で幼馴染からは「ノリくん」と呼ばれていた、どこにでもいる普通の少年。そんな彼が憧れたのはあの法月仁であり、どんな手段を使ってでも勝利を我が物とするその在り方を、ジョージも受け継いでいる。

 そんなジョージ=ノリくんにとっても心の支えであった、幼馴染のミヨの上京のワケ。彼女の結婚を知り、今までになく落ち込むジョージに、遊び人で太鼓持ちないつもの彼の姿はない。失って初めて気づく大事な何かに、彼は打ちひしがれている。

 それでも、一度ステージに立てばノリくんはプリズムスタァ・高田馬場ジョージに早変わりする。落ち込んだ姿を見せず、常に完璧なスタァである自分を披露し続けること。それができるからこそ彼は「本物」であり、求められる姿を全身全霊でこなすジョージはスタァ、というよりはアイドルとして最も気高くカッコイイ。

 そしてもう一人、ジョージのゴーストシンガーである池袋エィスの物語も並行して語られていく。ジョージが光を浴びる中で表舞台に立てないエィスの心中は、確かに面白いものではないだろう。だが、会場で起きたトラブルをきっかけに、どんなことがあっても「高田馬場ジョージ」であることから逃げないジョージの姿勢に呼応するかのように、エィスもまた歌声というファクターで「高田馬場ジョージ」を形作っていく。互いが互いの役割を十二分に果たし、観客を魅了する最高のスタァが生まれる。そんなショーを見た法月総帥からの粋なプレゼントは、新たなスタァ・池袋エィスのこれからの羽ばたきを予感させるものであった。

鷹梁ミナト

 実は個人的なキンプリ至上もっとも頭に残った名台詞が「セロリ、入ってるよ☆」なのだが、それを言い放ったのがこのミナトおかあさんだ。エーデルローズ生の胃袋を掴んだ男で、いつでも温和で心優しい、まさしく「港」を思わせる器の広さの持ち主だが、そんな彼が自らの名前の意味に悩むのが第6話。

 みんなのお母さんことミナトは、自分の才能の無さに思い悩むことになる。そんな折、実家に一時帰宅することになったミナトは、長男という立場や「港」の名の通り、家業である漁に従事する選択肢に思いを馳せる。だが、その名に込められた想いは決して彼を家業に縛り付けるものではなく、むしろ「誰かを迎え入れ、送り出す」大きな人になって欲しい、という優しい願いが込められていた。その真意を知ったミナトが、ついにステージという大海原で歌い踊る。

 大きな旗を振り回して遠くから来た船を迎え入れ、海の幸でお出迎え。そんな慈愛に満ちたプリズムジャンプは、シリーズ屈指の……すごいことが起こる。これまでのパフォーマンスと比べても低カラット(言い忘れたが採点の単位はカラットだ)に終わったが、一番度肝を抜かれたのは11話のアレを除けばミナトが最強。なんかこう、令和生まれに伝わなんないよ!!

西園寺レオ

 「あぁ、この学校にも女生徒いるんだ」と思ったら男の子だったでござる。そんな初めましてをしてしまったレオくんの単独回7話。カワイイが好きを公言してきた彼の、辛い過去が明らかになる。

 人という生き物は残酷で、集団のはみ出し者は淘汰されていく。両親と姉に愛されて育ったレオ少年は、分け隔てなく他者を愛することを自然に学び、実行する。だが、その優しさは反感を買い、カワイイを愛する気持ちさえ嘲笑の的になる。イジメ、そして不登校。傷ついた心を癒してくれるのが、プリズムショーだった。心の煌めきを具現化し放つプリズムショーに一目惚れし、レオはスタァへの道を志す。

 そうして成長したレオの前に姉がやってきて、一緒に故郷に帰ろうと言う。夢に向かって歩きだし、挫折しそうになっている姉に向かって、レオはプリズムショーの煌めきと、スキをスキでいることの大切さを訴える。決して世間一般が思うような「男らしさ」とは正反対の衣装と声色で放たれたそれは、性別を超越して「スキを肯定する」ことを高らかに謳い上げる、レオからみんなへのエールだ。自信を失った人を奮い立たせ、勇気を持って立ち向かうことを応援する、優しさに溢れたパフォーマンス。傷ついた分優しさを知った彼にしかできない、最高のショーであった。

涼野ユウ

 エーデルローズ最年少にして、自ら「全知全能のゼウス」と名乗る、年相応の自意識の持ち主であるユウ。なんと楽曲を制作したのはこのユウ自身であり、若くして驚異の才能の持ち主であることが今回明かされた。しかし、やはり若さゆえの弱さも持ち合わせていることを、8話でしっかりと描いていく。

 後になって知ったのだが、ユウがプリズムスタァを目指すきっかけになった姉こそ、原典であるところの『レインボーライブ』に登場したスタァ涼野いとであり、姉がプリズムショーを通じてかけがえのない仲間と出会ったことに憧れ、ユウも同じ道を歩むことに。しかし、実際のエーデルローズはユウにとって年上ばかりの環境で、スランプ対策で訪れた合宿でも「センパイ」たちは遊んでばかり。理想と現実のギャップに悩むユウは、独り夜の宿泊先を抜け出してしまう。

 自分は姉と仲間たちのような関係を築けないのか…そう悩むユウだったが、夜空を眺めてふと気づく。大切な時間を一緒に過ごした仲間たち、彼らは自分を気遣ってくれ、探しにきてくれた。彼らにとってユウは大切な仲間であり、ユウにとってもそれは同じだった。求めていたものが実は近くにあった、そのことを知って、ユウは楽曲へのヒントを得る。七人のスタァは北斗七星に重なり、最終回へのステップが着実と積みあがっていく。

 そんなユウのショーは、彼の代名詞でもある「邪気眼」的な歌詞と衣装に彩られたナンバーで、今思い返せば姉のDNAを感じさせるものに。キーボードを活かしたダンスはまさしく「プリズムライブ」の煌めき…!!『レインボーライブ』とのリンクを思わせる、ファンサービスたっぷりの演出が光るエピソードだ。

大和アレクサンダー

 「プリズムショーで会場を破壊する(そして次のショーで修復される)」という超現実的な光景を見せつけ、『キンプリ』そのものにハマるきっかけにもなった大和アレクサンダー。そんな彼にもメイン回が用意され狂喜乱舞したが、その舞いよりも遥かに激しい何かを刻み込んでくれた。そんな第9話。

 大和アレクサンダーは、あの黒川冷に憧れてストリート系スタァになった男。体の弱い少年だったアレクは、町のチンピラに絡まれていたところを黒川冷に助けられファンになるのだが、冷は聖を追うように一線から身を引き、アレクは冷の心を受け継ぐべく自らを鍛え上げる。目指すはあの「ストリートのカリスマ」ただ一つ。

 そんなストイックなアレクだが、アツい心を秘めているし、意外にも優しい心の持ち主だ。とくに、母親である大和ヴィクトリアには素直になれないカワイイ一面を見せ、全国のアレクの女がモニターの前で萌え死したという。また、いつの間にか「会場破壊」はお家芸になり怖れられているアレクだが、今回はリスペクトする黒川冷に捧げるパフォーマンスとして、ショーの序盤こそ己のダンス能力を思う存分見せつけてくれる。

 だが、中盤から事態は思わぬ方向へ。あえてタイガを誘い出し、個人の競技からダンスバトルへと転換させ、エンターテイメントとしてお披露目するという奇策!よもやそんな目論みがあろうとは、目から鱗だった。しかも、タイガが乱入することを見越してのあのプリズムジャンプ(全方位レーザー)だとしたら、何としたたかなことだろう。

 その挑発に乗ったタイガとのバトルをあえて再演することで、二人の因縁を観客に今一度焼き付け、SSSが積み重ねてきた定石をあえてここで崩しマンネリを防ぐ。作り手が視聴者よりも一枚も二枚も上手だったことに気づかされ、まんまとノセられてしまった。

如月ルヰ

 やたら声の高い、渚カヲルめいた美少年だが、実は美少女だったことが判明する第10話。一人のスタァにスポットライトを当てる作風だった『SSS』は、ここから怒涛の展開を見せる。

 突如明らかになる「プリズムワールド」なる概念、そしてゼーレめいたモノリスの何者かが集う上位世界にて、プリズムの煌めきは管理・統治されていた。その世界から送り込まれたプリズムの使者であるシャインは、自らの輝きを誇示することで世界を崩壊に導きかねない危険な存在であった。そのシャインを葬るために送り込まれたもう一人の使者りんねこそが、如月ルヰの正体である。

プリティーリズムリテラシーの低いおれはこの10話でワケが
わからなくなったりもしたので、この解釈が正しいのかは保証しかねる。

 そのシャインの生まれ変わり(転生先?)がシンであるとわかり、なぜこの二人が出会い、そして特別なのかが、ようやく明かされた。シャインへの愛ゆえに暗躍していたりんねそのものであるルヰは、シャイン=シンに恋心を抱くのだが、それゆえにシャインは復活し、再び世界をプリズム消失の危機に陥れてしまう。これまで、様々な「愛」の形が描かれてきた『SSS』だが、ここにきて愛ゆえの障害、誰かを想う気持ちが利用され、さらなる悲劇を予感させるという鬼畜展開に発展。ついに復活したシャインがいかなる行動に出るのか…というところで、あの11話の話をしなくてはならない。

シャイン、そして一条シン

 人間界にプリズムの煌めきを広める使者としての役割を持ちながら、自らステージに立つことで自身の輝きを誇示し、結果としてプリズムの煌めきの消失を招きかけた悪魔シャイン。りんねの愛ゆえに復活したシャインだが、彼の中には「他者愛」は存在せず、ひたすら身勝手で自己愛的なショーで破滅を招くことしかできない。

 完全復活したシャインは、シンの身体を借りてショーに挑む。その感想は一言で評するなら「禍々しい」だ。凝り固まった自己愛がプリズムジャンプとして客席に放たれ、アレクサンダーをも超える攻撃性を見せる。物理的に何かを傷つけることさえなかったが、初めてプリズムジャンプを観て素直に「怖い」と思った。そう、「怖い」と思わされた時点で、このシャインはプリズムスタァとしてかなり異質な存在である。「ぼくをみて」と言わんばかりの言動、独りよがりな煌めきの強要など、彼のショーの本質は暴力そのもので、客席の誰一人も笑顔にすることは無かった。しかし彼はそれこそが最善のショーだと考えている。これまでのプリズムショーの理念とは対極に位置する、まさしく最強の敵がシャインである。

 間接的にではあるが、会場を混沌に導いてしまったシンは、観客に飾らない想いを伝える。思い返せば、劇場一作目にあたる『KING OF PRISM by PrettyRhythm』にてシンがラストに繰り広げるショーは、オバレ解散を知って悲しむ観客たちを笑顔にするために披露したものであった。シンはシャインとは正反対で、愛の方向は常にプリズムショーのファンたちに向けられていた。だからこそ、シャインのショーを観て「腹が立った」し、みんなを悲しませたことをステージの中心で謝った。その真っ直ぐな人柄が見せた謝罪に、救われたと感じた人も多いだろう。その使い方次第では誰かを傷つけ、世界させ壊しかねないプリズムの煌めきを、もう一度信じてもらうために、シンは仲間たちと最後のショーに挑む。

七色の虹、北斗七星の輝き

 エーデルローズ7人のユニットソング「ナナイロノチカイ! -Brilliant oath-」のテーマは、その名の通り「誓い」である。プリズムショーとは誰かを傷つけるためにあらず、その輝きを信じてもらうために、スタァは一生懸命に輝き、ファンはそれを応援する。ファンがいなくてはプリズムショーは成り立たず、相互関係でこそ成り立つもの。これは、『KING OF PRISM』という作品そのものの経緯に深く根ざしている考えではないだろうか。

 当初、わずか14館の小規模から始まり、作り手も赤字覚悟、コンテンツ自体に引導を渡しかねないほどに崖っぷちだったキンプリというコンテンツ。だが、本編を観て圧倒されたファンたちの口コミや、応援上映のレポートなどで作品が知れ渡り、プリズムの煌めきはSNSを通じて広く行き渡っていった。その結果、劇場第2作や今回の『SSS』に繋がっていった。プリズムの使者とはその輝きを広めていった現実のファンであり、そんな彼女たちを悲しませるショーは『キンプリ』たりえない。そういう覚悟が滲み出るような、誓いのバージンロードであった。

 ショーのクライマックス、応援上映という観客参加型の上映方式を前提とした大仕掛けが始まり、なんとそれは「プリズムスタァと共に女神に誓う」というもの。常にこちらの想像の上を往くプリズムショーの、最高到達点と言っていいだろう。スタァはファンを笑顔にするプリズムショーを、ファンはその輝きを信じることを、作品と観客が一体になって誓うのである。作品とファンの共存関係がより強まり、それ自体がかけがえのない体験になるという、本当に驚天動地の試みである。これはやはり映画館で観ておくべきだった。

プリズムの輝きよ永遠に

 最後に、この『SSS』を観て、キンプリというコンテンツの迸る情熱に魅せられてしまったことを告白したい。CDも買っていないし応援上映は未体験、まだまだおれ自身は本当の煌めきに出会えていないのだが、それでも最終回には涙なしには観られなかった。その感動は、長きに渡りコンテンツを愛し、支えてきたファンであるほど、より強いものになっただろう。

 この作品を届けてくれた制作陣はもちろん、プリズムの煌めきを信じつづけて、その熱を絶えず広めてくれたキンプリエリートの皆々様に、本当に感謝したい。今となってはもう続きが観たくて仕方がないのだが、きっとまた奇跡が起きることを信じている。その時は劇場で、プリズムの使者の一人になれたらいいな。

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