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カリスマの不在と敗北―。『コードギアス 亡国のアキト』

 とある事情から8/2までにこの作品を完走する必要が生まれ、急いで観ました。コードギアスの名を冠し、そのDNAを継承しつつも異なるテーマに挑んだスピンオフ。戸惑いながらも全5章を追い、その苦い結末に何を想ったのか、いつも以上に乱暴に書き殴ってみようと思う。

※以下、本作並びにコードギアスシリーズ
(『反逆』『復活』『奪還』)のネタバレが含まれる。

マクロからミクロへ移ろう闘いのスケール

 『亡国のアキト』は、『反逆のルルーシュ』の1期と『R2』との間の時系列に位置し、舞台はヨーロッパに移る。E.U.(ユーロピア共和国連合)とユーロ・ブリタニアが激しい攻防を繰り広げる中、E.U.は自国の兵士が戦死することの世論的な忌避感から、国内のイレヴンで構成される特殊部隊「wZERO」にて前線を維持していた。家族の市民権を得るために兵士となり、使い捨ての如く消費される日本人の命。E.U.のレイラ・マルカルはそんなイレヴン差別に異を唱え、命を犠牲にする戦い方を否定し、時には自らも前線に出撃しながらイレヴンの兵士たちを導いていく。

 本作は『コードギアス』の屋号を掲げながらも、ピカレスクものをやろうとしているわけではない、ということを念頭に置かないと、肩透かしを食らいかねない作品である。アキトたちイレヴンは祖国ですらない国のために命を危険に晒すことになり、そのことに怒りを発露するキャラクターもいるが、だからといって国家のやり方や政治を変えよう、という方向に意識は向かない。イレヴンたちは今を生きることに精一杯で、とくに佐山リョウ、成瀬ユキヤ、香坂アヤノの三名は自分たちの衣食住や仲間を守り、自分も生還することに重きを置いている。「日本人なんかどうでもいい」と言う台詞が象徴するように、彼らには愛国心や同朋意識が強いわけではなく、兵士でありながら国家に(心理的には)帰属しないという立ち位置にある。

 言うなれば本作は、イレヴンが自分たちの「居場所」を守るために闘う様子を描いたものであり、この言葉は「仲間」「尊厳」「命」を代入することは出来るが、「国家」や「皇帝君主」は当てはめられない、ということになる。『反逆』や『奪還』がニッポン(の一部地域)を取り戻すこともゴールに掲げられていたのとは異なり、『亡国』はより小さな枠組み、個人の生存とそれが守られる小さき共同体を維持するために闘うこととなり、ルルーシュの野望が黒の騎士団やニッポンという組織・国家を導引しブリタニアと闘った『反逆』とは対照的である。

 祖国を失い、自らのルーツに国家を持たない兵士たち。しかしそれらを率いる立場のレイラ・マルカルの軸足は、わりと終盤まで定まらないように見える。彼女は軍人であり、司令官という責任ある立場にあるからだ。wZEROの在り方、すなわちイレヴンを使い捨てにする迫害構造に嫌悪を抱きつつ、彼女はその価値観や歪みある世界を転覆させられるだけの力も無く、それを可能にするギアスを持ち合わせていない。

 ……と言うとレイラが無能のように思われるかもしれないが、彼女は性善説を捨てきれない甘さはあれど聡明であり、むしろ個人の野望と頭脳だけであれだけの大事をやってのけたルルーシュが異常なのである。むしろ、ユーロ・ブリタニアという「国家」と渡り合うには、故郷なき個人の集まりであるwZEROでは小さすぎて、その不釣り合いな抗争の結果がレイラの終盤の決断に繋がっていると言えるのではないか。職業軍人と、イレヴンたちの長という立場の間で揺れ動き、数多の闘いの中で彼女も傷つき、国家に属する者としての責務から離れ“亡国”することで、ささやかな平穏を手にする。

 レイラたちが全てを放棄して得た、国家に属さないという生き方。人を人とも思わぬ差別、裏切り、デマに扇動され混沌を撒き散らす民衆。それらをまとう世界に「自由の責任」を説き、しかしそれでも敗北したレイラが行き着く先は、手の届く範囲の自由を守る、という決着だ。世界は救えなかったが、仲間は守れた。彼女の心の充足と共に、物語は幕を下ろす。その後のE.U.がどうなっていくのかを、知らぬまま。

生き地獄のスザク

 この物語にスカッとするような爽快感を、ひいてはルルーシュのような才能を求めていたところに、それはやってきた。ジュリアス・キングスレイに名を変えて、傍らには唯一無二の親友を携えて。

 『R2』で無から生えた弟と学園生活を強いられる前に、ユーロ・ブリタニアに派遣されていたルルーシュ。その役回りは、もうファンサービス以上のギミックを果たしはしなかったが、眼帯をつけたルルとスザクが映っているシーンが、このアニメの一番面白い場面になっている。

 本作が『R2』以前ということは、この二人は神根島の一件を経た後の二人である。スザクからしたら、ルルーシュは自らを欺き、そして何よりユフィを死に追いやった張本人である。当然、殺してやりたいほど憎い相手のはずだが、スザクは騎士の役回りに徹し、彼に歯向かうものをランスロットで蹴散らしてみせた。その執念はどこから来るものなのか、スザクの心境を慮ると、こちらも胸が張り裂けそうになってしまう。というかシャルルが鬼畜すぎる。

 そして、殺してやりたいはずのルルーシュ本人は、ジュリアスとして振る舞う際はニッポンにいた頃よりも悪逆皇帝ぶりに磨きがかかっているのに、二人きりになれば途端に「水をくれ……」だの「ひまわりが咲いているね……」だの、幼少期の思い出をフラッシュバックするのである。どうして!世界はこんなにもスザクに厳しいんだ!!!!!

 ユフィを奪った許しがたい相手が、ギアスもゼロも知らない、最も純粋で最もか弱い頃の心と記憶のまま、帰って来る。その首を捻るのも心臓を刺すのも容易なのに、それが出来ない。一度は殺しかけるのに、ルルーシュの苦しげな声に、力を和らげ、彼が眠る時は肩を貸してしまう。優しくて非情になりきれないところが、枢木スザクという人なのだ。

 ルルーシュとスザク。この二人の湿っぽい関係性が描写されると、『亡国』は途端に面白さを増していく。『コードギアス』はルルーシュを捨てきれなかったことは後の『復活』が証明したし、私もルルーシュが(あるいはそれに類するカリスマの持ち主が)不利な戦況を覆し、思いの儘に盤上を描いていく様を期待して、本作を観始めたことは、正直に告白せねばならない。

 『亡国』は、ルルーシュの不在をより悲しみ、彼を渇望するという意味では、私はいつぞやの黒の騎士団(いくらなんでも組織としてゼロ頼みすぎる)の彼らを笑えないし、『復活』にお気持ち長文をぶつけることも(元よりそんな気はないが)許されなくなってしまった。『コードギアス』に何を求めているのかを再確認する機会になった『亡国』だが、全5章、5時間近く見守った作品への感想としては、やや寂しすぎる。

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