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『シン・ゴジラ』とセットで観たい社会派アニメ『正解するカド』

 「シンゴジラみたいなアニメやってるよ」とかいうLINEが友人から届いたのは昨年春。その作品がAmazonプライム・ビデオで配信されていると気付いたのが昨日。そして最終話まで鑑賞した今日、この作品のことがずっと頭から離れない。とんでもない作品を観てしまった。

羽田空港の滑走路に突如、超巨大な正立方体「カド」が出現。総務省・情報通信国際戦略局の交渉官である真道幸路朗が乗り合わせた航空機は、252人の乗員乗客もろともカドに飲み込まれた。突然の事態に対し政府は立方体の調査と乗客の救命に奔走する中、カドよりヤハクィザシュニナと名乗る人物と真道が現れ、日本政府との交信を要請する。
この宇宙の外側である「異方」からきたというザシュニナは真道を仲介役として、人類との対話を望んだ。一方、日本政府も国際交渉官の徭沙羅花を代表として、人類史上初の会談に臨む。 
ヤハクィザシュニナとは何者か。そして彼の狙いは何か。
人類は、「正解」できるのか。

 本作はいわゆる未知との遭遇、「ファーストコンタクト」を題材としている。突如現れた異文化・異種族との接触は、社会秩序の混乱や侵略戦争の恐怖などをもたらし、大きな波紋を及ぼすものとして繰り返しフィクションの題材に選ばれてきた。しかし、本作の異邦人ヤハクィザシュニナは人の形をして人の言語を話し、人類にとって有益な「価値」を提示し、「正解」を問いかける。あまつさえ、自らが人類にとって味方か敵か、考えることを促す。ザシュニナは何のために現れ、何をもたらすのか。

 この未曾有の事態に対し対応に追われることになるのが日本政府。主人公の真道を初め主要登場人物はみな政府関係者であり、その周りを自衛隊やジャーナリストが固めることで、突如出現した「カド」とザシュニナに対し人類がどのような反応を見せ、社会がどう変動していくのかを描いてく。

 前述した「シンゴジラみたいな」はこうした座組みがもたらすもので、「災害緊急事態の布告」や自衛隊の立ち位置が言及されるなど、共通するシチュエーションも多く見られる。2015年3月からプロジェクトが始動した(出典)ため偶然の一致と言うべきだが、2016年に公開された『シン・ゴジラ』の大ヒットによって根付いた政治劇へのリテラシーに、本作が大いにマッチする。日本人なら普遍的に楽しめる一作と言えるだろう。

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『シン・ゴジラ』の他に、本作に近しい作品として映画『メッセージ』を挙げたい。「異方」や時間に関する概念で共通項が多いため。

 本作の面白さは、「常に思考を促される」点にある。ザシュニナは人類に異方のテクノロジーを提示し、見返りを求めようとしない。そしてそのテクノロジーは、間違いなく人間社会の常識を覆し、貧困や格差といった諸問題を解消しうる、手放しで素晴らしいと言えるものである。同時に、使い道を誤れば問題は深刻化し、血が流れる事態に発展しうるもの。発明や技術に善悪は無く、試されるのは使う人の心次第。

 そうした問いを投げかけるザシュニナに対し、自分ならどうするか、身の周りの社会はどのように変貌するのか。そうした知的好奇心を掻き立てられることが本作の醍醐味であり、衝撃的な展開の連続で辞め時を見失ってしまう、海外ドラマ的なハマり方を招きやすい一作なのだ。

※以下、一例として第3話までの内容に触れるものの、なるべく予備知識が無い状態での鑑賞を推奨します。

 日本政府との会談に臨むザシュニナは、とある球体「ワム」を提供した。それは、「異方」から無尽蔵に電力を取り出せる2個一対の球体で、地球全土のエネルギー問題を解決することさえ容易な、奇跡の代物だった。

 CO2や原子力を必要とせず、全世界のどこでも配置可能な、無料で・無限に・誰でも使えるエネルギー。環境問題と格差問題をイッキに解決する、全世界の誰もが喉から手が出るほど欲しがるテクノロジー。

 しかし、今の社会を根底から覆すようなものが突然もたらされたとして、それを正しく運用・管理するのは誰なのか。ザシュニナからワムを提供された日本政府は、その独占を危惧した国連からの提出要求が下り、従わない場合は制裁処置を伴うなどの政治的問題に発展する。ワムによって電気が賄える世界が訪れたとして、石油などのエネルギー源の輸出で財源を確保している国は、それらの収益を失ってしまう。それに代わる経済的価値で自立できるほどの余裕を、即座に用意できる持ち合わせなど有り得ないからだ。

 また、作中でも言及された通り、電力を使用すれば熱が発生する。無尽蔵な電力を無計画に消費した場合、発生する熱量は今のペースを大きく上回るものになる。人類を救うテクノロジーが、温暖化を早め自滅に陥る危険性を秘めていることは、しかし正確な知識がなければ想像できやしない。

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 過ぎたテクノロジーは、誰かが責任を持たねばならない。全世界にとって理想に思えた無限のエネルギー源は、日本のみならず全世界に混乱をもたらしていた。国家間対立の激化を怖れ政府を非難する者、ワムなんてなければよかったと思う者まで現れ、一触即発の緊張感が日本に迫る。その時、ザシュニナは時の総理・犬束にある策を提示した。「世界に爆弾を落とす覚悟」と呼ばれるそれは、全世界に激震をもたらす、エネルギー革命とも言うべきもの。その公表の決断を、人類に委ねたのだ。

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 「異方」の使者ヤハクィザシュニナは、人類に英知を与え、その動向を試すかのような振る舞いを見せる。全知全能の神か、あるいは破滅を誘う悪魔か。彼が求める「正解」とは、何を意味するのか。

 その問いに悩むのは、作中の登場人物であり、アニメを観ている我々である。社会の変革が起きるとき、それに受け入れられる自分でいられるのか。人類の進化と停滞を問う物語は様々な思考実験を我々に与え、脳と感情を大きく揺さぶる。

 作中描かれた様々な決断、あるいは賛否両論渦巻くラストの解釈を巡り、誰かと語り合いたくなる作品なのは間違いない。対話を描いた作品なのだから、それも必然なのかもしれない。そして今、この文章を書いている私こそが、語り合う友を欲している一人に他ならない。どうか一人でも多く作品に触れてもらい、一緒に頭を悩ませてくれたら幸いだ。


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