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『戦姫絶唱シンフォギアG』理解り合うために、この歌と拳はある。

 初代は観るまで数年をかけたというのに、続編となる『G』はたった二週間で制覇してしまった。我ながら不可思議と言うしかないが、それほどまでに「歌いながら闘う」アニメが、身体に合った、ということなのだろう。

 続編の長所は、キャラクターやコンセプトの説明を省き、いきなりトップスピードで走り抜けられる、ということだ。『戦姫絶唱シンフォギアG』の記念すべき第1話は、最初からクライマックス。完全聖遺物「ソロモンの杖」を追って来たと思わしきノイズの大群と、輸送列車という限定的なシチュエーションでそれに立ち向かう響とクリス。新曲を引っ提げ、デザインも変わったシンフォギアを纏う二人は、いつしか阿吽の呼吸でコンビネーションを組めるまでになっていった。シンフォギアの変化もしかり、一期から二期までの空白をアクションとキャラクターの関係性で埋めることで、シームレスに続編の空気を味わうことができる。

 響の戦士としての真っ直ぐな成長。居場所を得たクリスの安寧。しっかりその後の展開へのフックを重ねながら、新キャラクターのウェル博士を警護する任務を全うする二人。一方その頃、ライブ会場では「QUEENS of MUSIC」なるユニットが会場を湧かせていた。歌姫は風鳴翼と、マリア・カデンツァヴナ・イヴ。圧倒的な歌唱力を披露したのも束の間、マリアはノイズを操る能力を見せつけ、「フィーネ」を名乗り全世界に宣戦布告する―、というのが1話の全容。濃い。あまりに濃厚であっという間の24分間。

 この1話と、おそらく前後編的な意味合いを持つであろう2話のアバンエピソードは、例えるなら「一作目が思いもよらないヒットを飛ばし、予算が倍増した続編アクション映画の冒頭」のそれである。列車という映画的文脈の濃いシチュエーションに、1期でも視聴者の度肝を抜いたライブと、前期ラスボスの名を冠する敵組織の出現。混沌を極める中、ライブ会場を襲う強大なノイズに対し「3人の装者の『絶唱』の力を主人公が束ね放出する新必殺技」で締めるという、一期の好評だった要素を順当にバージョンアップさせた、正統派の続編しぐさ。今回から監督をはじめとする制作陣の変更が行われたと有識者から聞いてはいたが、一期の血は確かに受け継がれ、より激しさを増してお届けされた形になる。ヒロイックさを増した人物の表情の作画、キレのあるアクション。あらゆる要素が進化している。

余談だが、三人の絶唱を束ねる「S2CAトライバースト」が実はネフィリムを起動させる呼び水となるという展開は、『ガメラ2』におけるレギオンを倒すために地球のマナを消費した必殺技をガメラが放ち、それが続編『3』において全世界のギャオス大量発生を招いた、という流れを彷彿とさせる。この制作陣ならやりかねない、という確信が、私の中にはもう根付いている。

筆者余談

 暴走気味の速度で走り抜ける本作だが、時にスピードを緩めはすれど、その勢いは他のアニメの比ではなかった。続く3話では、ウェル博士がマリア側に就いていた裏切り者であり、ノイズを操るソロモンの杖を用いた自作自演が先だっての列車襲撃の真実であると明かされる。マリアが「マム」と呼ぶナスターシャ博士と、新たなる装者の月読調暁切歌の存在。彼女たちがフィーネと名乗る組織の実態は、米国にその由来がある研究機関「F.I.S.」であり、特異災害対策機動部二課と響たちはその目的の解明と聖遺物の奪還に奔走することとなる。情報量が……多い……!!

 その傍らで、私立リディアン音楽院では文化祭が開かれ、響たちの学生らしい日常も並行して描かれる。とくに注目すべきはクリスで、彼女が何よりも大切とする「居場所」の概念が二課を超えて学校まで広がり、頼れる先輩や学友と親交を深める過程は、いつも奪われてばかりだった一期のクリスを思えば、これほどまでに微笑ましく、嬉しいものはない。堅物な印象であった翼も打ち解けた表情を見せ、手を取り合いそれぞれが成長していく姿が印象的だった一期の物語のその先があるのも嬉しく、後の展開を思えばこれらを「序盤で済ませておいた」ことは、実に大きな意味を持っていたはずだ。

 本作を観ているとあまり気にならないのだが、実際のところテロリストと報道されたフィーネあるいはF.I.S.だが、国土の割譲を要求しただけで表立った活動はないし、そもそも要求がなければテロリストとは言えない。では彼女たちは何を目的としているのか?の謎が明らかになるのは、もう少し話数が進んでからのこと。

 前作の最終決戦にて実行された、カ・ディンギルによる月への砲撃。それによる質量の変化は月の公転軌道を変化させ、いずれは地球へと落下することをナスターシャ博士たちは察知。彼女たちは予想される月の落下とそれに伴う大災害からなるべく多くの人類を救うため、超巨大遺跡フロンティアの起動を画策。そのために必要な神獣鏡ネフィリムを得るために、時に二課と対立し時にはその力を利用しながら、世界と敵対する。

 黒いガングニールを有し、圧倒的な歌唱力をお持ちの日笠陽子女史をCVに据えたマリア・カデンツァヴナ・イヴを顔とする謎の集団フィーネ(F.I.S.)だが、その真の目的は人類の「救済」である。どう見てもラスボス然としているのに、その実態はむしろヒーローに近い。にもかかわらず響たちとは敵対してしまう。このボタンの掛け違いこそ「不和」を描くアニメ『シンフォギア』のミソの部分なのだろうか。

 一期を観た際に若干の引っかかりを覚えたのだけれど、そもそも人間とは言語が違うから相互理解ができないのだろうか。無論、言語が統一であることが当たり前であった先史文明期の皆々様におかれましては、いきなり言語を分割されればそう思うのは必然だ。だが、その法則に従うのであれば普段から同じ言語(日本語)でコミュニケーションを取っている私と家族や職場の人々との間では相互理解が成立している、ということになるはずだ。だが、どうしてもそうは思えない。私事だが、年明け早々に発生した職場の大混乱は、それこそコミュニケーションの不和によって起こされたものだったから。

 そしてそれは、『シンフォギアG』の人物相関図にも同じことが言えるだろう。ナスターシャ博士が理想とする人類の救済だが、そもそも特異災害対策機動部二課に月の落下の真実を明かせば即座に協力体制を取ってくれたし、米国の追求を抑える手立て(いつも蕎麦を食べている外務大臣)もあったはず。そんなナスターシャ博士を慕うマリアは、テロ組織の顔として表舞台に立ちながら、人類の救済という重責を背負い、精神的にも疲弊していく。優しい少女だったはずのマリアが、追い詰められ追手を殺すことになり、そこから振り切れたように邁進する様は、どうにも痛々しい。

 F.I.S.が背負う人類救済の重責だが、当の人類サイド、とくに月の落下の事実を知る者たちは、自分たちの利益を守ることに固執している。この世に信ずるべき正義などなく、あるのは偽善のみ。そんな世界を切り捨て、マリアを救うためだけにF.I.Sを飛び出す調。フィーネの転生者の一人でありながら、調のために世界を残したいと行動する切歌。二人は他者を想う深い気持ちを持ちながら、しかしその矢印が微妙にすれ違った結果、仲違いを起こしてしまう。

 また、闘いの中で響は覚醒したネフィリムによって左腕を喰われるという目を逸らしたくなるほどのダメージを負ってしまうが、シンフォギアの力によって腕は再生し無事万々歳……と思いきや、響の体内にあるガングニールが彼女の心臓と深く結びついてしまい、このままシンフォギアを纏い続ければ彼女自身の命が危うい、ということが宣告される。気丈に振る舞う響を前に、仲間を失う恐怖からつい強い言葉で当たってしまう翼の不器用さと、過去(一期)の過ちを悔やむクリス。かけがえのない仲間/居場所を失ってしまうかもしれないという想いは、彼女たちからも精神的な余裕を奪ってしまう。

 そしてその最たるものは、小日向未来がシンフォギアを纏うという、おそらく響にとっては一番避けたかった事態が現実になること。響を想うばかり、もうシンフォギアを纏ってほしくない未来と、未来や困っている人を助けるためなら自分の危険を厭わない響。互いが互いを深く強く想う気持ちなぜそこで愛ッ!?を抱くからこそすれ違い、願いは相手に届かない。そして、そんな想いをウェル博士に利用される形で神獣鏡のシンフォギアを着せられてしまう未来。そこには、フロンティアの起動だとか人類の救済なんて大義はなく、「響が戦わなくていい世界」を創りたいだけの、ただただ純粋な願いのみ。

 このように、彼女たちが自分の想いを伝えられない、声高に叫べない事情があるからこそ生じる「不和」の連続が、『G』の物語の推進力となっている。他者を陥れるのではなく、大切に想い、守りたいという気持ち。それが伝わらないからこそ、事態は各々の思い通りには転ばない。運命はいつだって残酷で、伝わらない想いは時に伝えたいはずだった相手を傷つけてしまう。そしてそれは、我々が生きる現実においても同じことなのだ。たとえ言語が同じでも、伝わらなければ意味を持たない。

 であるからこそ、立花響が最終決戦の土壇場で放つ「話し合おう!」こそが正解なのだ。言葉にすれば陳腐だが、結局のところ、理解を深めるには腹を割って話すしかないのだ。そんなことが出来ないくらい、この物語と現実は複雑になりすぎていただけのことだ。

 「人助け」を趣味とする少女・立花響の危うさは一期の感想でも少し触れたが、それを一番に感じ取っていたのは、他ならぬ未来だったのだろう。ノイズと闘うという危険な役目を引き受け、困っている人がいたら放ってはおけない性格の響。でも、立花響という人間は、代えが効かないのだ。一度失ってしまったら、もう戻ってこない。響がシンフォギアを纏い続ければいずれ死んでしまう、ということを知った未来は、恐怖しただろう。

 響を失いたくない。であるのなら、彼女がシンフォギアを纏う必要性をこの世から無くしてしまえばいい。その想いを胸に秘め神獣鏡を纏う未来だが、そんな未来を救うために響はまたしてもガングニールを纏い未来の前に現れる。響を想っての行為が響にシンフォギアを纏わせてしまう皮肉を受けて、それでも闘うことを諦めない未来。

 一方で、未来を失いたくない響の想いだって、自分の命には代えられないのだ。響にとっては“あったかい陽だまり”である未来を、闘いの場に引きずり出してしまったことは、少なからず響の心を痛めたはず。だから、自分で決着をつけたい、つけなければならない。響と未来、どちらも正しく「愛」であるのなら、後はもう拳を交えるしかない。二人が闘わなくていいようにするために闘う。この矛盾した状況こそ、「不和」が招いた最悪の結果ではあるのだが、一転して「愛」こそが全ての打開策になることを、この制作陣が信じているのもまた事実。神獣鏡の力が響の中に宿るガングニールを取り除いたことで、少しずつ運命は変わりだす。

 調と切歌もまた、互いが相手を想うばかり闘うことになってしまった悲劇のペア。地球を守るとか人類を救済するだとか、大きすぎる野望ではなく(いい意味で)身勝手な感情をぶつけ合いながら闘う二人。その語り合うという行為の手法が「歌」であり、かつ「各々のソロ曲が重なり合うとデュエットになる」は、まさしく『シンフォギア』ならではの対話法である。

 翼の背中を撃ち、F.I.S.側に寝返ったクリス。そこには、一期で犯した過ちを自分で清算したいという想いがあったのだが、それを受け止め信じてあげられるのが当の風鳴先輩である。激しく刃と銃弾を重ね、クリスの真意と、その首輪について全てを察した翼。当のクリスも、そんな窮地を救ってくれるであろう翼を信じ、二人は“コンビネーション”で状況の打開に至る。シンフォギア現最強装者である風鳴翼の実力と貫禄をこれでもかと言うレベルで示したこのシーンをもって、クリスの居場所は再び守られた。

 少しずつ、本当に少しずつだが、事態は好転しつつあった。無論、「落下してくる月をどうするか」についてはまだ解決は得られないものの、それでも希望が見えてきた。そんな状況においても理想を手放せないのが、ウェル博士その人だ。彼は『仮面ライダー龍騎』を履修していなかったばっかりに自分こそが世界を救う英雄になるという歪んだ願いを抱き、そのためならば救うべき人の数を減らすことも厭わない、真正のエゴイスト。F.I.S.の理念に適うだけの知識と行動力を持ち、それでいて尊大な野望を持つ男の、身勝手な暴走。装者たちの感情をかき乱し、時にはそれを利用すべく振る舞うなど、全ての元凶に相応しいとんでもないキャラクターである。

 マリアも、そしてナスターシャ博士も真の意味では「悪」ではなかった物語の中で一際鈍い輝きを放つ、ウェル博士という巨悪。人々を月の落下から救うという手段は同じでも、自尊心にかられたウェル博士のやり方はいずれ選民思想を招き、調の危惧するような「弱者を切り捨てる」ような考え方が広がるだろう。強者が弱者を淘汰する世界。調和を重んじる『シンフォギア』の宿敵として、これ以上の適役がないくらいの魅力的なヴィランではないだろうか。

 そんなウェル博士の野望が成就しなかったのは、「一人で英雄になろうとしたから」であろう。そう思わせてくれるのは、立花響が“そういう人”ではなかったから。

 2話でお披露目された「S2CAトライバースト」において、三人の絶唱を束ねる役目を負うのは響である、というのは一期を観た方なら異論はなかったはずだ。翼とクリスの絆を繋ぎ、他者の手を取ることをいつだって諦めなかった響。そして今回も響は、手を繋ぐことを諦めなかった。たとえその身体にガングニールを宿していなくとも、彼女の正義は揺るがない。

 気持ちを伝えるために話し合い、手を繋ぐことを誰よりも遵守してきた立花響。たとえ言語が違わずとも、伝わらなければ意味がない。そうした不和の連鎖を断ち切るのは、捨て身の行動と言葉なのだ。響の言葉がマリアから使命という名の重荷を取り払い、ガングニールごと引き受けるクライマックスは、かつて奏によって助けられ命を繋いだ響が今度はマリアの命を救うこととなり、“生きるのを諦めるな”という奏の言葉が巡り巡って響の意思となる、「継承」の儀となった。“ヒーローになんて なりたくない”と彼女自身は想っているようだが、あの日あの瞬間確かに立花響はマリアにとっての英雄ヒーローだったに違いない

 最終話。ナスターシャ博士の尊い犠牲と、世界中の人々の祈りが繋いだフォニックゲインの力によって、月の落下は防がれた。悩みの種であったフィーネの覚醒についても、その心配はなくなった。解決策の見えない問題を数多に抱え、コミュニケーション不全に陥っていた装者たちは、ようやく繋がることが出来た。より巨大化したネフィリムを前に、6人が歌い、闘う。響が繋いできた絆のバトンが翼やクリスから、F.I.S.の三人へと渡され、6つの歌声は最強の力を宿す。もうここまで来たら理屈はいらないだろう。やはりこのアニメで最も強いのは、人と人が奏でる音楽の、調和ハーモニーの力なのだから。

 して、ウェル博士の野望は潰えるわけだが、最後の一手を決めたのは未来だった、というのは実に粋である。ウェル博士によって響への愛を利用され、シンフォギアを脱いで普通の少女に戻った英雄ではない未来の祈りこそが、全てを閉じる。

 『シンフォギアG』、これにて完結。一期の魅力を正しく受け継ぎ、二倍にも三倍にもアツさを掛け算した展開の連続、「不和と調和」の物語の新たなステージとして「伝える」ことの重要性を、立花響という主人公の精神性を土台に映し出す、全てがパワーアップした理想的な続編だったように感じられる。とくに、マリアの心の揺らぎを通じて描かれる、調和を妨げるものとは何か?の答えがコミュニケーション不全という、言葉にすればなんてことないように思えるが現実世界においてもこれ以上の強大な敵は思い浮かばないようなそれであり、そのカウンターとして立花響の在り方があって、彼女を中心にどんどん希望が伝播する、その流れが美しかった。本人は照れて否定するだろうが、私にとっては立派な英雄譚に数えたくなってしまう。

 して、本作の到達によって「ほぼやりきったのではないか?」と思うほどの完全燃焼を見せつけてくれたわけなのだが、皆さんご存知の通り『シンフォギア』シリーズはあと3本のTVシリーズを残している。一体この先に何を描くというのか。そう思わされたということは、もう自分はこのシリーズに魅入られている、ということなのだろう。続く第三期へのハードルは、月よりも高くにセッティングされてしまっている。超えられるだろうか、という心配を抱きながら、次に進んでいきたい。

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