最後の晩餐を作るってこと。

人に何かを作って食べさせる、口に入るものを作るのはとても怖いことだと、今の仕事を始めてから思うようになった。

栄養士の資格を使って就職したのが23歳の頃。

配属先は有料老人ホーム。

調理から発注から献立作成から洗浄全てやる現場で、デスクワークをメインにしたい栄養士は逃げ出したけどわたしには合っていたみたいで。

入居者様と会話するのも楽しかったし、ケアスタッフの方々とどうすればもっと食が進む料理になるか話し合ったり。


でもある日、一番お話をしていた入居者様がご逝去された。脳梗塞で突然で。

そのあとご家族から厨房宛に手紙が届いて。

『母がいつも食事が美味しくて幸せだと話していました、ありがとうございました』と書かれていて。


その時に初めて、毎日の食事が最後の晩餐になる可能性があるんだ、と思ってしばらくは怖くて調理するのが嫌になったこともあった。絶対に気を抜けない、寝不足も二日酔いも生理痛も関係なく味がぶれないよう、美味しいの声が増えるよう、それだけを考えて仕事をしていた。

そんなとき社員食堂への異動が決まり。

ちょっとだけホッとしたのは事実で。でもそこでまた打ちのめされることが起こった。


毎日絶対同じ時間に食堂に来てくれていた総務の、母親と同じくらいの歳の方がいて。

いつも細かく感想を下さって、時には厳しいことも書いてあったけど的を射ていて、最後の〆にはいつも『期待してます』の言葉。

その方に認められたくて頑張っていたのもある。

なのにある日、なんか総務部がバタバタしてるな?と思いながら作業していたら。

その方が出勤途中に車に跳ねられて亡くなったと総務から連絡がきて目の前が真っ白になった。

更に葬儀の場でご家族から衝撃的な事を聞かされた。

『妻はここのところダイエットだと言って夕飯を抜いていて、さらに最後の日の朝ご飯は忙しくて食べずに出たので、妻の最後の食事はあなたの作ったご飯でしたよ。

うちは子供がいないので妻はいつもあなたの話を楽しそうに家でしてたんですよ、とても頑張ってて気持ちが良い子がいるんだよ、と』

涙が止まらなくて頭が混乱して。同行していた同じ現場の社員が明日休みな、とシフトを交代してくれた。

次の日家でずっと考えてた。

誰に対しても、口に入るものを作って出すということは、最後の晩餐を作る可能性がある、怖いことだ、と思った。


でもありがとう、美味しかったよ、期待してる、そんな言葉に後押しされて今もまた老人ホームにいる。

美味しいと思ってほしい、シンプルにそれだけを考えるようになれて仕事はとても楽しい。


今日も最後の晩餐になるかもしれないご飯、それを作るために起きる。

#創作大賞2023
#エッセイ部門

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