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ついに4ルート完登!奈良・平安時代の箱根越え官道「足柄道」

2年ほど前、箱根駅伝を見て思いついて書き上げた記事。古代から近代までの箱根越えルートとその変遷を、時代背景とともに紹介しました。


その後、以下のルートを実際登ってみて、簡単な感想を記したものがこちら↓

古代ルート(碓氷道)
関本→明神ヶ岳→(宮城野)→乙女峠
近世ルート(箱根旧街道・箱根八里)
箱根湯本→畑宿→箱根関所

別タイトルですが、箱根越えの進捗状況を記した記事。
この時は、湯坂道を登りました。

中世ルート(湯坂道)
湯本→湯坂山→ 浅間山→ 鷹巣山→ 芦の湯


そして今秋、いよいよ最後に残った足柄道に挑戦しましたので、簡単な感想など綴ってみます。


足柄古道

大雄山駅からバスで、登山口のある地蔵堂までやって来ました。

地蔵堂バス停は標高417mなので、この時点でかなり文明の力を使用しています。駅(標高45m)から緩やかな登り、矢倉沢バス停(250m)からは急な坂道が続きます。

バスの本数が少ないので要注意

真っ直ぐ進むと足柄道。今回はこちらを行きます。
左に進むと「夕日の滝」を経て、金時山に続くトレッキングルートです。

足柄峠コース(南足柄市)
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/76233/17_2024.pdf

御殿場大井線(県道78号)に沿って進む

舗装道なので楽ですが、峠族が疾る道なので要注意!

登山道に入りました。

まあまあ急な所もある
再び舗装路で、見晴らし台に到着
四阿の脇の案内板

足柄坂(峠)より東が「坂東」、つまり関東を意味します。

(案内がないので最近の造作物?)

石畳の道が出てきました。

突然、腰掛け岩が現れた!

金太郎の上司に当たる源頼光が腰掛けたとされる岩。でも、真偽不明。

さらにベースを上げて進みます。

再び車道に出ると、年季の入った看板がありました。

なんだか、南足柄のこと爆上げしているような…

どうやら峠に着いたようです。

足柄関所

う〜ん、この立て看板…

関所と言うと江戸時代かと思いますが、その始まりは平安時代にまで遡るようです。


足柄城址

関所のすぐ近くに案内板が!

足柄峠にお城があったの?

中世のお城も大好物なので、軽く散策しました。

こちらも後に詳しく記事にしたいと思います


足柄峠

現在の足柄峠(三叉路の地点)は標高715m。舗装路も多く、他のルートに比べてかなり楽な行程でした。
下りも、徒歩1時間ほどで御殿場駅に到着するそうです。

地図と断面図を方向を合わせるために、始点と終点を入れ替えています

そもそも、高低差の50%、距離の70%をバスで稼いでいるので、これを実体験と言ってもいいものか?

関本(足柄道の起点 大雄山駅近く)矢倉沢から御殿場のルートはこちらのサイトに詳しく載っています↓

(近代ルートだって、危険を理由に全行程バスで「踏破」宣言しているので、まあいいか!)


金時山

その代わりと言ってはなんですが…

午前中、裏側は暗いんです

超急登ハシゴ地獄の裏ルートで金時山登って来た!

紅葉シーズンで登山客大渋滞

なので、辛さは一緒とみなす!


「足柄道」の振り返り

標高差が小さく、峠を超えるだけなら距離も短い。当時の官道が内陸よりだったことからも、合理的で省エネの箱根越えコース。

しかし、延暦21年(802年)の富士山噴火によって御殿場周辺の交通状況の悪化したため、その後は小田原と三島の沿岸都市同士を直接結ぶルートが主流になりました。確かに小田原ー三島間として考えると、足柄道はかなり迂回している感じは否めません。富士山の活動が収まってからも、この道が主流ルートに戻ることはありませんでした。

足柄道が再び隆盛するのは江戸時代。
東海道(箱根旧街道)が参勤交代や伊勢参りで混雑するようになると、物流を支える脇街道として活躍しました。

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ということで、全行程をほぼ踏破し写真も撮ったので、「大昔の箱根駅伝」を書く材料は揃った訳です。

あとは、古代、中世、近世それぞれのルートとその地形、歴史的意義を調べて記事にするだけです。
(だけです…だけです…だけです…)


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とぅーむゅらす
オタク気質の長文を最後まで読んでいただきありがとうございます。 またお越しいただけたら幸いです。