見出し画像

【ショートストーリー】ファン

 ノンフィクションライターとして、様々な対象に取材をしてきた私だが、声優は初めてだった。
 滝本いず美。黎明期からアニメの吹き替えで活躍した、この業界の重鎮のひとりである。57年続いた国民的アニメ「ゆかいなニャン太くん」の主人公ニャン太役として、あまりにも有名だ。
 残念ながら二年前に亡くなってしまったが、今回、ある出版社のオファーを受け、彼女のノンフィクションを執筆するため、関係者への取材を続けている。

私には、どうしても明らかにしたいことがあった。
「滝本は、なぜ「ニャン太」に執着したか?」
である。

「滝本以外のニャン太は考えられない」との理由で、彼女の死後「ゆかいなニャン太くん」は、ほぼ打ち切りのような形で放送が終了した。
これは私見だが、晩年の滝本の「ニャン太」はひどいものだった。痛々しいぐらい声がやつれているのである。やんちゃな子猫という設定でありながら、その声は老猫のようだった。母猫役の声のほうがよっぽど若々しい。
 ムリがあるのは誰の目にも明白だった。
 長寿番組であった「ゆかいな〜」は声優の交代が比較的多かった。しかし一貫して「ニャン太」は滝本いず美だった。一度だけ「そろそろ世代交代を」との声があがり、オーディションまで行われたのだが、立ち消えになってしまった。
滝本が首を縦に振らなかったからだという噂がある。

 なぜ滝本はここまで執着したのか。
この答えがみつかれば、この仕事は成功だと私は考えている。

「母は、ニャン太は墓場まで持って行く、と僕に約束してくれました」
 滝本いず美の息子は、どちらかといえば父親似である。
 彼、滝本耕作にインタビューするのはこれで2回目だ。
 両親ともに声優という環境で育った耕作は、声優の道を選ばなかった。すでに他界した父親が設立した芸能プロダクションで、広報の責任者として活躍している。
 「とはいえ、これは推測ですけれども、もうあそこまでいっちゃったら、やめたくてもやめられなかったのかもしれないです」
うまいごまかし方だな、と感じたと同時に、何か隠していることが直感で、分かった。
事務所の奥にある会議室でインタビューは行われている。
机の上にはボイスレコーダーが置いてある。許可を得た上で、スイッチをオンにしてあった。
ブラインド越しに暖かな日差しが差し込み、心地良かった。
「これは私の妄想、かもしれませんが……」
私は続けた。
「お母様は、高齢になり、昔のようにマルチで活躍できなくなった。だから、ニャン太に固執した」
耕作の表情は全く変わらなかった。
「ニャン太を後輩に譲れば、仕事がなくなる、そう思っていたのではないでしょうか?」
耕作がいきなり立ち上がった。私は、殴りかかってくるのかと思ったが、そうではなかった。
「見せたいものがあります。ちょっと待っててください」
彼は退出した。
ひっかかるものがあった。何だろう。何かは思い出せないが、違和感を感じる。
耕作は箱を持って戻ってきた。書類ケースのようだ。
「見てください」
差し出された箱を開けた。
封筒だった。100通以上はあるようだ。
「滝本あてのものです。読んでもかまいませんよ」
封筒には手紙が入っている。1通取り出して、手紙を抜き取り、読み始める。
脅迫状だった。
「ニャン太をやめたら、殺す」
何通か目を通したが、「裏切り」「殺す」「自宅を知っている」などと脅し文句で埋め尽くされている。
「これは……」
「ほぼ毎日送られてきていました」
「警察には相談しなかったんですか?」
「はい。滝本の判断です。公になったら、ニャン太のイメージダウンにつながると考えたようです」
「だから、演じ続けたんですか……」
「一度だけ、交代前提のオーディションが行われましたよね。じつは次の声優さん、内定してたんです。そしたらその人を名指しした殺害予告が届いて」
——演じ続けるしかなかったのだ。
私はやるせない気持ちでいっぱいになった。
と、感じていた違和感の正体に気がついた。
私はボイスレコーダーのスイッチを切ると、滝本耕作の目をまっすぐ見た。
「あなたが犯人だと言うことを滝本さんは知っていたんですか?」
「……はい」
「あなたから話したのですか?」
「いいえ、母は最初から気づいていたようです」
——『母は、ニャン太は墓場まで持って行く、と僕に約束してくれました』
耕作は、さっき、そう言っていた。
「なぜこんなことを」
「いつまでも『ニャン太の声優の息子』でいたかったからです」
ブラインド越しの日差しが、弱まっている。太陽が雲のかげに隠れてしまったのだろうか。
「小学校で僕はいじめに遭っていました。あるとき、母が声優でニャン太を演じていることがバレてしまった。そのとたん、いじめられなくなった。もし、母がニャン太じゃなくなったら、僕はまたいじめられるんです」
滝本いず美の息子は、本気でそう思っているようだった。彼のその部分は小学生の時のまま、成長しなかったということなのだろう。
「このことは、本に書きますか?」
—— どうだろう?
親子の約束をどうこうすることは私の仕事ではないような気がする。

太陽が雲のかげから出たようだ。
暖かな日差しがブラインドから漏れている。

(終)


いいなと思ったら応援しよう!