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連載小説 | 春、ふたりのソナタ #4

この作品は #創作大賞2024 応募作品です。

《1話はこちら》

《前回のお話》


 小春日和のうららかな朝、江ノ電の由比浜駅から紺色のセーラー服の女学生たちがわらわらと降りていく。

 私もそのセーラー服の一団に混ざって、先頭を行く先生の後に付いていく。本日は学年合同で、鎌倉文学に関するフィールドワークを行うこととなったのだ。せっかく文芸コンクールを行うのだから、これを機に地域文学に触れようという先生方の計らいだ。まだ何も書けていない私にとっては、なにか作品のヒントを得る良い機会かもしれない。


 小高い山側へ向かって歩いていくと、閑静な住宅街に出る。観光客の多い長谷の大仏のある場所よりも、もっと奥にあるこの地域を地元の人は長谷の裏と呼ぶらしい。
 大きな邸宅を曲がると突如、鬱蒼と茂る木々で出来たトンネルが現れた。小高い山の入り口のようだ。
 明るい住宅地から、影の濃いトンネルへ入ると、湿度のせいか急に空気が一変したように感じた。天井からは虫と鳥のさえずりが一斉に聞こえてくる。女生徒たちは天井を見上げざわめきながら、緩やかな石畳の坂道を登っていく。程なくして目の前に現れたものを見て、私は驚いた。緑に包まれた古い石造りのトンネルがそこにあった。

 わぁ……、すごい……。

 招鶴洞しょうかくどうというこのトンネルは、源頼朝が鶴を放ったという故事から名付けられたそうだ。
 ここだけ当時から時が止まったままのような、シン……とした空気が流れていた。どこか異世界へ連れて行かれる様な気持ちでそのトンネルを潜ると、緑の谷戸を背負った美しい洋館が現れた。
 ここは鎌倉ゆかりの文学者たちの博物館、鎌倉文学館だ。


 アールデコの洋式で作られた洋館はまるで童話に出てくる不思議なお屋敷のよう。私は玄関や小窓などの可愛らしい装飾に目を奪われながら歩いた。

「『鎌倉文士』という言葉が使われだすのは昭和期に入ってからだが、明治・大正期から、鎌倉を好んだ作家は多い。川端康成、泉鏡花、夏目漱石、芥川龍之介らが鎌倉に滞在し、執筆を行っていて……」
 建物中央の大きな居間に作られた第一展示室。
 私は先生の説明を聞きながら、室内を見て回った。ガラスケースの中の直筆原稿が目に止まる。インクで書かれた個性ある筆跡を見ていると、当時の有名な文学者たちは本当に実在していたのだな、と感じて不思議な気持ちになった。

 ステンドグラスの嵌められた大きな窓から光が温かく差し込んでいる。その裏のテラスへ出ると、眼前に広い芝生の庭と緑豊かな森が現れた。遠くに目をやると、由比浜の青い海まで見渡せる。とても静かで美しい場所。
 先日図書館で借りて読んだ、三島由紀夫の小説「春の雪」にはこの文学館が別荘として登場していた。別荘の主人が遠眼鏡で海を眺める場面がある。 
 三島由紀夫は友人としてここに招かれた時に、きっとこの景色を見て感動したんだろうな。

 鎌倉の地は作品に登場させたい魅力的な場所や歴史、文化が残っている。同時に、谷戸や海など美しい自然に囲まれる稀有な土地でもある。作家たちが都会を出て、この地に引っ越してくるのも分かる気がした。

 この地は、住むだけで創作意欲が刺激され、心落ち着いて執筆できる場所なのだ。

「この後は自由行動にしますので、各班ごとに好きな場所を回ってください。マップに書かれた名所は先生のおすすめスポットよ」
 そう言って先生から配られたマップには文学に関するさまざまなスポットが手書きの文字とイラストで記されていた。
「真名、どうする? とりあえず大仏見に行く?」
 同じ班の千景がマップを手に話しかけてくる。
「大仏はもう何度も見たしな~……」
「ねぇねぇ、甘いもん食べ行こうよ!」
 やまちゃんが割り込むように提案するが、姫子が訝しげに突っ込む。
「それはありなの……?」
「甘いもんは置いておいて、まだ行ったことないところ探そうか……」
 そう私が話を進めると、千景はマップの一点を指さして言う。
「あ、ここは? すぐ近くだし、春と秋しか一般公開されてないから皆行ったことないんじゃない?」
『吉屋信子記念館』
 隣には注釈で『吉屋信子は鎌倉に住む優れた女性作家の代表であり、少女小説の第一人者でもある』と書かれている。初めて聞いた作家だったけど、少女小説という分野を育てた人と聞いて、私は少し興味が湧いた。

 文学館を出て、住宅街を歩いて5分ほど。年季の入った瓦屋根の長い塀の先に、お寺のような門構えの吉屋信子記念館、旧吉屋信子邸が現れた。
「ひろ~い!」
 やまちゃんが言う通り、門を潜ると立派な和風庭園が広がっていた。平屋建ての母屋まで新緑で包まれた長い石畳を進んでいく。母屋は数寄屋作りという昔の茶室を元にされた建築様式らしく、豪華絢爛とは対照的に質素で無駄を削ぎ落としたわびさびある作りである。応接間の大きな窓からは、庭の景色が借景として楽しめ、書斎には作りつけの立派な机があり、目の前の小窓からも庭の緑を望むことができる。
 作家の感性を表したような、美しく繊細な家だ。こんな環境で執筆できたら、素敵な作品が生まれそうだな。私もいつか書斎が持てたら……なんて、妄想が広がってしまう。

 応接間にあるガラスケースに、吉屋信子の作品がきれいに並べられている。
『花物語』
 そんな可愛らしいタイトルの、美しい少女の挿絵が描かれた小説が一際目立っていた。
『大正から昭和にかけて、吉屋信子が発表した『花物語』は女学生のバイブルというほど大ベストセラーになる。あらすじ・少女たちが洋館に集まり、順番に花にまつわる話をする。鈴蘭、月見草、野菊、赤薔薇白薔薇、名もなき花……。』
 へぇ、可愛いお話で素敵だな、と説明を読んでいたら、最後の文章に思わず目を見張った。
『どの話も女性同士の友情や愛の物語で、連載初期の頃は相手に控えめに思いを寄せる姿を描いていたが、後期においては友愛から同性愛に発展する物語も多く描かれている』
 その一文を見て私ははっとした。
 この時代に、同性愛を描いた作家さんがいたことに私はとても驚いてしまった。今の時代でさえ、堂々とカミングアウトしている人が少ない中、大正時代なんて、同性愛は異常なものとして扱われた時代ではないだろうか。まだ理解が全くない世間に向かって、こんなに堂々と作品を描いたこと、そしてその結果、多くの少女たちの心を掴んだこと。
 もの凄く、勇気のある作家さんだと思った。
 私なんて、一人に否定されただけで書けなくなってしまったのに。

「同性愛ってガールズラブってやつ?」
 いつのまにか、隣にやまちゃんが立って、ガラスケースを覗き込んでいた。
「え、ああ。そうだと思うけど……」
 ドキッとした。
 同性愛という言葉に、少し動揺してしまう自分がいる。
「今流行ってるよね、ボーイズラブとか。こんな昔からあったんだね」
「……ね」
 流行る、という言葉が引っかかった。きっとやまちゃんにとっては、小説や漫画のジャンルの一つとしてしか捉えてないのかもしれない。
「私、あっちの方見てくるね」
 少しモヤモヤとした気持ちが出てきたので、私はやまちゃんから離れ、玄関の方へ向かった。こういう時は、あまり考えすぎない方がいい。

 もやもやを振り切るように顔を上げると、向かう先の壁にかけられた資料を熱心に見ていた女生徒と目が合う。
「あ」
「あら。奇遇ね、真名さん」
 月代さんがこちらを見て、微笑んだ。
 私は思わず嬉しくてにやけそうになる顔を押し殺して、極めて冷静を装った。
「……月代さんも来てたんだ」
「うん、班のみんなは長谷の大仏に行っちゃったんだけど、見たことあったから私だけ抜けて来ちゃった」
 と、悪びれずに笑う月代さん。
「月代さんって、意外と不良なことをするよね」
「ふふ、周りに合わせて、楽しめない時間を無駄に過ごすよりもいいじゃない? バレたら怒られるだけだもの」
 その度胸というか、心の強さを私は逆に尊敬してしまう。
 月代さんは壁にかけられた作家の年表に目線を戻す。
「この方は女性のパートナーがいたのね」
「えっ」
 急な一言に、理解が追いつかずに時が止まった心地になった。
 今、『女性のパートナー』と言った?
「五十年以上、パートナーの千代と共に暮らしたってあるわ」
「……本当だ」
 門真千代という女性が信子の秘書として、人生のパートナーとして支え、信子が死ぬまで一緒に暮らした、とある。
「二人で支え合って暮らしていたのね、素敵」
 その一言に、私は世界がひっくり返ったような衝撃を受けた。
 予想を遥かに上回る言葉を月代さんが話すものだから、私はにわかに信じることが出来ずにこう聞いてしまった。
「……変だって思わないの?」
 ああ、なんだか私が同性愛を否定しているかのような聞き方になってしまった。
 でもそんな私の心をまるで気にしていないかのように、月代さんは堂々と答えた。
「数が少ないだけで、それを変とは思わないわ」 
 私は冷えて固まっていた自分の心が溶けるように、胸がじんわり暖かくなっていくのを感じた。
 月代さんの言葉は春の日差しのように柔らかく温かい。月代さんが言っていたのは作家さんのことだけど、自分のことを肯定されたように感じた。そんなことは初めてだった。
「……真名さん? なんだか顔が赤いわ、大丈夫?」
 月代さんの言葉を噛み締めていたら、顔に出ていたようだ。
「えっ」
 思わず、間の抜けた返事をしてしまう。ぼうっとした私を月代さんは心配したようだ。
「熱があるのかしら?」
 次の瞬間、月代さんが私の前髪を優しく掻き上げ、月代さんのおでこを私のおでこへぴたりと押し付けた。
 月代さんの顔が……、唇が、近い……。
 月代さんからふんわり良い香りがして、私は頭がくらくらした。
「わ、わ……」
「熱はないかも?」
 不思議がりながら、月代さんはそのきれいな顔を離した。
「あの……、大丈夫だから」
 私は恥ずかしさが頂点を超え、顔を背けた。
「本当……?」
 月代さんは心配そうに私の頬に触れた。
 すごい攻撃力……。胸の動悸は一向に鳴り止まない。
 わざとやってるんだろうか……。
「?」
 月代さんの顔を見ると、不思議そうに首を傾けた。
 単純に天然なのかな……? 

 だめだ、動悸が収まらない。私の気持ちがバレてしまう。
 月代さんだって実際、自分に同性からの好意が向けられたら、困るかもしれない。
 思い切り、拒否されるかもしれない。
 私の好意がばれたら、こうやってスキンシップをしていること自体、気味悪がられる可能性だってある。

 絶対に、バレたくない……。

「大丈夫! てか月代さん、近いってば」
 私は半笑いをしながら、月代さんの手をどかした。
 思わず、振り払う形になってしまったかもしれない。
 その時、月代さんの表情を一瞬見た。
「ごめん、なさい……」
 ひやりと、傷ついた表情をしていたような気がした。
 きっと見間違いだと思う。きっと……。

「真名~! 甘いもん食べ行こ~!」
 その沈黙を一変させるように、やまちゃんが私の背に抱きついて来た。
「わぁ! やまちゃん!」
「もう飽きたよ~! 早く行こう、って月代さん!」
 やまちゃんは鳩に豆鉄砲を打たれたような顔をして、月代さんを見る。
「こんにちわ、真名さんのお友達?」
「あっ、山本です! ……月代さん、やっぱりきれい~」
 やまちゃんが見惚れるように話す。
「あはは、ありがとう。山本さんも可愛らしいわ」
「ええ! ありがと! 嘘でも照れるよぅ! あ、やまちゃんって呼んでね」
 まんざらでもなく照れるやまちゃんに、楽しそうに月代さんが笑う。
「あ、月代さんも一緒行かない? 今からたい焼き食べ行こうと思って」
「えっ、買い食い良いの?」
 私は嗜めるが、やまちゃんは気にしない。
「美味しいとこがあるんだ~、ねぇお近づきの印に一杯付き合ってよ」
「一杯って……、おやじか!」
 私のツッコミに月代さんが吹き出す。
「ふふ、じゃあ行こうかしら。美味しいたい焼き、食べてみたいわ」
「やったぁ~」
 やまちゃんが嬉しそうに叫ぶ。
 シーッ!と私が嗜めると「わかったわかった」とやまちゃんは満足そうに答えた。
 いつも少しうざいやまちゃんの明るさに、今回ばかりは少し助けられたような気がした。


 それから私たちは千景と姫子と合流して、近くのたい焼き屋さんへ行った。確かに丁寧に一つ一つ鋳型で焼かれたおいしいたい焼きだった。みんなで店の前のベンチに座って食べた。やまちゃんたちは月代さんをここぞと質問責めにしていて、月代さんも困った顔しつつも楽しそうだった。
 食べ終わったら、みんなで小川沿いの細い小道を通って海まで向かった。ピンクの花々が咲いているのを見つけて、可愛いと思って、月代さんに話しかけようと振り返ったら、月代さんは少し前を歩いていて、千景と何か楽しげに話していた。

 やまちゃんは走り出して「海に入ろうぜ~」とローファーと靴下を脱いで裸足になる。月代さんもそれに倣って、裸足になってやまちゃんの後に付いていく。みんな、まだ冷たい春の海へ入っていく。飛沫を浴びて、スカートをたくし上げ、私の友人たちと楽しそうにはしゃぐ月代さんを、私は一人浜辺に座って見ていた。なんとなく、その光景を見ていたかった。

 月代さんが子供のようにはしゃいでるのを見て、なんだか安心した気持ちになる。
 なんでだろう。
 笑っている月代さんと目が合い、月代さんが私に微笑みかけた。

「はぁ~楽しかった!」
 そう言って、月代さんは私の座る流木に腰掛ける。やまちゃんたちは波打ち際で砂のお城を作り始めたようだ。
「楽しそうだったね」
「うん! 私友達とこんなふうに遊んだの初めて!」
「え、そうなの?」
 月代さんがきらきらした笑顔で言う。
「そう! 甘いものを買い食いしたり、海で遊んだり、高校に入って友人と遊んだこと、一度もなかった」
「え。そんなことある?」
「やっぱり、おかしいよね。私、放課後はレッスンがあるからすぐ帰っちゃうのよね」
「ああ、ピアノのレッスンかぁ」
「そう、だから今日とっても楽しかった! 真名さんありがとう!」
 海面が斜光でキラキラ反射するように、月代さんは眩しいばかりに私に満面の笑顔を向けた。誘ったのはやまちゃんで、私じゃないのに、でも、
「楽しかったなら良かった」
 私は反射的に、月代さんの頭を撫でた。
 月代さんはびっくりしたように、目を丸くして私を見た。
 私ははっとして、手をどける。
「あっ、ごめん! つい……」
 何をやっているんだ私は……。
 無意識に、月代さんが可愛いらしくて、手が勝手に……。
 月代さんは、驚いた顔から、少ししてふふっと吹き出した。
「……よかった」
「え?」
「触れられるのが嫌なのかなって思ったから、さっき。嫌われちゃったかもってちょっと心配していたの」
「え、そんな」
 さっき、つい手を振り払ってしまったこと、やっぱり傷つけてしまったのだ。
 私は慌てて謝罪した。
「ごめん、嫌じゃ無いよ。ただ……」
「ただ……?」
 バレたくないって思っただけで……。でもそれは言えないから、
「ただ……恥ずかしかっただけで……」
 あれ、逆にアンサーが恥ずかしいことになってしまった。
 月代さんは思わず吹き出した。
「恥ずかしかったのね、ふふ」
「いや、なんか違うけど、まぁそういうことでいいや……」 
「ふふふ、よかった。安心した」
 月代さんは私の手をぎゅっと握った。
「……月代さんって、スキンシップ多いよね」
 もう驚かないぞ。そもそも月代さんは気軽なスキンシップが多い子なんだ。
「……そうなのかしら」
「そうだよ」

「……真名さん、いつまで私のこと名字呼びなの?」

 急に変化球を打ってきた。少しムッとしてみせた顔も可愛らしい。
「え、だって……。月代さんって呼び慣れちゃって」
「有希子だから、私の名前」
 月代さんがわざとムッとした顔で話す。
「……有希子、さん?」
「さん、いらない。もう一回」
「……有希子」
「ふふふ、……はい」
 有希子がはにかんだように笑う。

 そんな顔見せられちゃ、私はここから先もあなたの言うことをつい聞いてしまうんだろうな。そんな最強の魔法をかけられてしまったみたいだ。

《続く》


《次のお話》


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