林檎の芯は抜く?抜かない?
つむは大槻ケンヂが好きなんですよね。
最初は横顔が夫に似てるからっていうsweetな理由でした。
その頃、目に入れたら痛いけど口に入れるくらいはいけるかな、くらいの初期の恋人期だったのですね。
恥ずかしいですねのっけから。何を言っているんでしょうか。
ちなみに当然ですが夫よりも大槻ケンヂの方が30倍くらいかっこいいです。
そんな理由から先に筋肉少女帯ファンであった夫のコレクションを聞き始め、
近年に至るまで一通り聞いたわけです。
いわゆる俄かですね!
真正古参のファンからは叩かれそうですが、ちゃんと小説も読んでますし、
CDも買ってライブにも行ったので勘弁してください。
一度しかライブに行けてないんですよね。
また行きたいなぁ。
彼はアニメの主題歌に使われている曲がやたらといいんです。
絶望先生のOPとか本当にもう神曲で。
その中の一つである『林檎もぎれビーム』の歌詞の中で
ってのがあります。
これは若き日のつむにとって大事な教訓の一つです。
ここで「お仕事」というのは対外的に見せている姿、として広義に捉えます。
その側面は確かにその人自身かもしれませんが、
他の面も持ち合わせていて一つの側面だけを取って他人を判断することはその人とはかけ離れてしまうだろう、
またその一つの側面だけを取って相手を崇めることはまるで偶像崇拝のようなことで真に相手を理解することには至らないだろう、
といった意味合いと捉えました。
まぁこれもあくまでもつむの見方であって、真に意図することとは違うのかも知れませんね。
結局のところ他人のことなんて理解しきることなんて難しく、
理解し合うということは自分の目線のみではあり得ないわけですよね。
それは鏡と対話するにより近いのかもしれない。
ただ鏡と対話するのもまた必要なことではあると思うのですよ。
そうすれば今自分が何を求めているのかが分かりやすくなる。
でも投影される側は困惑と動揺を感じます。
前回で書いた母乱心トールハンマー時には、本気でやめてほしいと思いました。
そういうことなんですよね。
さらに林檎もぎれビームではまた次のようにも歌っています。
これも流石にいい歳のつむには覚えがあります。
「こういう場合にはどうしたらいいかな」
経験を積んでいくとそのように考えて回答することも当然あります。
マニュアルでハメてるというのも別に悪意なんてない場合が多いでしょうね。
人間なんて合わないのが当然、
合うところを見つけて、
そこから理解を広げていき、
最終的に「終生の友!」と思える人が見つかれば僥倖です。
この辺の折り合いというのはこのそう器用とも言えないつむであっても学んできたわけですから、
もっと賢く成功例を重ねてナレッジがある方々はもっともっと意識的無意識的に関わらずマニュアルがあるはず。
これは自分を守るためにも必要な技術です。
本音を言うにも技術が必要ですしね。
だから相手が自分の上澄だけで会話しているのだとしてもつむは別にいいよ、と思うのです。
そしてそれを自分にも許しています。
いつか本音を語り合えるようになれれば、
もしかしたら終生の友になれるかもしれません。
でもなんていうか、それって「今」を重ねた上ででしかないんですよねぇ。
過去にあったのですが、本音本音とやたらと本音を連呼されると
追い詰められてすごく本音っぽい嘘を言うんですよね私。
そして後になって本当の本音の「私はあんまり関係ないんで気持ち的には正直どうでもいいかな」とかがポロッと出てしまったりもしたんですよ。
その時はそれなりに結構困ったことになりましたね。
なんかこんなもんだと思うんですよ。。
こんなもんですよね?
私が若干集団生活があやしいのは否めません。
関係が自由の上にあれば本音は出てくるものですが、
もし相手に何かを強く投影していたとしたら、
相手はその希望通りの嘘の回答をするかもしれませんね。
その辺は互いの相性なんでしょうね。
それはそうと林檎もぎれビームはとてもいい曲です。
ぜひ聞いてみてください。
きっとパラダイスだよ
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