無職20歳×83歳 歯医者に行く
なぜこの組み合わせなのか
先日83歳の祖母が歯医者に行くのに付き添いました。
祖母の家は私の住む家から近く、歩いて5分くらいで着きます。
祖母は私のおばの家族と一緒に暮らしていますが、おばの姉である私の母が買い物の手伝いや病院の付き添いをすることもあります。
いつも通りならおばか母が歯医者の付き添いをするはずなのですが、今回珍しく私がしたのには理由があります。
理由その1 予定が空いていたのが私だけだったから
ちょうどその日はおばも母も予定が入っていて、私しか時間が空いていませんでした。
私は、学校にも行っておらず無職のためほとんど毎日予定がありません。
それがいいのか悪いのかはわかりませんが、今回は祖母の手伝いができたという点でプラスに働いたと思います。
私がもし家から出たくないというような状態にあったら、誰かが予定を変えて仕方なく付き添ったのかもしれません。
幸い、近所なら外に出ることが苦ではないので、私が付き添うことができました。
理由その2 何かしないとまずいという危機感のようなものがあったから
実際は、母は絶対にその日ではないとといけない予定があったわけではなかったため、母にやってもらうこともできたのかもしれません。
ですが、私が行くことを引き受けたのは、このまま何もしないのはまずいなという気持ちがあったからでした。
学校で何かを学んでいるわけでも仕事をしているわけでもない。
そんな自分に嫌気がさしていて誰かの役に立たなければならないという思いに動かされたような気がします。
祖母の付き添いをしてみて気づいたこと
まず気づいたのは、思ったよりも祖母の歩くスピードが遅いということでした。
しかも右手で杖を持って、左手で私の腕を組んで歩くほどになっていたことに体の衰えを感じました。
狭くて道が悪いと歩けないので少し遠回りになる道を選んだり、急な階段を上るのはだいぶ大変そうでした。
年をとると近所の歯医者に行くのもこんなに大変になるのかと気づかされました。
一方でこんなことにも気づきました。
それは、祖母は小さなことにもよく気が付くということです。
例えば、雀よりも小さな鳥が飛んできて木に止まったことや家の玄関先に飾ってあるスワッグに気づいたり、自分よりも背が高い木の種類を当てたり、空き家のような家を見つけたりと、自分は全然気に留めないことに気づいてその度に立ち止まるのです。
そんな祖母を見て小さなことにも気づいていると小さな幸せにも気づきやすいんだろうなと思いました。
特に植物や鳥などを見つけられるのは楽しそうでした。
あとから、自分が自然や近所の家の様子などを見て楽しむ余裕がなくなっていることにも気づきました。
いつも自分のことばかりしか見ていなくて周りからの情報を受け取って楽しんだり悲しんだり、怒ったり、驚いたりと心を動かせなくなっていました。
今後どうするか
今回のように祖母の手伝いをして自分にできることを増やしていけたらなと思いました。
難しいですが、今後の進路をどうしていくのか考えながらも、周りにも目を向けて自分のことばかり考えないようにして心の感度を取り戻せるようにしたいです。