何を信じ、どう生きていくのか
#情報 #真実 #信ぴょう性 #正しい #科学 #根拠 #条件 #事実 #区別 #結局は自分に決定権があるということを自覚すること #先に結論を言っちゃった
どうも。世の中には、情報があふれかえっていて、目まいがしてしまいそうな、じーもです。…と言いながら、私もこうやって一つの情報を書いてしまっているのですが。(笑)
細かいことは気にせずに(都合のいいときに出しちゃいがちな言葉です)、本題へ移ります。(笑)
情報に埋もれる世界
みなさん、スマホは持っていますか?パソコンは持っていますか?それらは、インターネットにつながることのできる道具のひとつです。
新聞はとっていますか?週刊誌は読みますか?テレビのニュースは見ますか?世の中で起こっていることを取り上げている一つの媒体です。
もうお分かりかと思いますが。ほんとに情報が溢れていますよね。改めて見渡してみると、まさに受信者が埋もれるほどに情報が存在することがわかります。しかも、それぞれに信ぴょう性がバラバラです。つまり、正しいことも、疑わしいことも、間違っていることも、現段階では怪しいけれども将来正しいとわかるようなことも…。とにかくたくさん。たくさんあります。
ここでいっている情報は「ある事象に対するその人なりの捉え方」としましょう。雨の音や時計の時間などではなく。事件に対する見解や科学的に実証したとされる内容など。それ(情報)を発信している側の意図が入っているものと仮定しましょう。
信じるか信じないかは、あなた次第。
というヤツです。
携わる人の数だけ真実が存在する
さて、そう考えていくと、今定義した情報というのは、その人にとっての「真実」とも言い換えられるかもしれません。もちろん、週刊誌などの媒体で書かれている情報は、受け手を想像して書かれた(マーケティング要素を含んだ)ものもあるとは思います。
ただ、真実というのは、ある物事に対して、その人が捉えているもしくは信じている側面のことを指すと思います。
ややこしい話になってきてしまいましたが。連載中のマンガ「ミステリという勿れ(田村由美)」の主人公がマンガの中で言っていたことも印象的でした。
「真実は人の数だけあるんですよ、でも事実は一つです。」
個人的にはまさに、だと思いました。というか、ここまでダラダラと話してきた内容が、この一言で表されています。(今までのは何だったんだ…笑)
つまり、情報を発信している人にとっての真実は、人の数だけある、ということで。すべて正しくもあり、すべて間違ってもある。ということです。受け取る人の性格や環境、経験など様々な要素が絡んできて、時間やタイミングにも影響されながら、正しいかそうでないかは変化する。ということだと思います。
要するに。世の中、真実がありすぎて、何を信じればいいか迷っちゃいますよね、って話です。
何を信じるのか
じゃあ何を信じるのか?それを判断するために必要なことが、
「事実を把握すること」
だと思います。加工される前の事象。この記事の最初に情報を定義した時に出た、雨の音や時計の時間に相当するものだと思います。それらをきちんと把握したうえで。もしくは、事実なのかその人にとっての真実(個人の考えが含まれている)なのかを区別することが大切なのだと思います。
同時に、自分がどんな基準や価値観をもって判断するのか、も大事だと思います。
現状、世の中では、科学的な根拠を一つの基準にしていると思います。いわゆる正しさを測る"ものさし”みたいな役割です。
科学が果たす役割は大きいです。それこそが人類が発達してきた理由の一つでもあると思いますから。ただ、その科学に対しても、きちんと事実と真実を分ける必要があると思います。それは科学を否定しているわけではなく、一つの特徴として捉えておくべきだ、という話です。
もう少し言えば、科学的な根拠の中でも信頼度には差があります。論文や実験について、完璧はなく、あくまでも統計学などを用いて論理的に導いた結論であるからです。その実験の条件が怪しかったり(論理的に詰めれているかということです)、単に統計的に母数が足りなかったり。様々な条件がそろわなければ、信頼度は高まりません。
ここまで言いましたが、現状、科学的な根拠をもとに判断することは、個人的にはありだと思っています。
ビジネス書などでもよく書かれていることもありますが、「そこにエビデンスがあるのか」ということと、「そのエビデンスにたどり着いた方法は適切だったのか」の2点を見極める必要があると思います。
生きることへの決定権
なんだか難しい話をしてしまったような気がしますが。そんなことを言っても、いちいち確認することもできませんし。英語の論文を毎朝読むわけにもいきません。だからこそどうするか。それは、
私たち自身に決定権がある
と自覚することだと思います。何を信じるのか。何を信じて生きるのか。
それは、私やあなたが、独断と偏見で決めていいことなんです。だって、私やあなたの人生だから。
たくさんの情報がある中で、何を選び、何を信じるのか。それを受けてどうやって生きていくのか。その決定権が自分にあることを忘れなければ、少しは生きやすくなるのではないでしょうか。
そうは言っても、迷ってしまうのが人間の性のような気もしますが。(笑)
最後に。
ということで、今日は情報が溢れている現代において、何を信じるか、というテーマで書いてみました。結論としては、
「自分で決めていいんだよ。」
というとても無責任なものでした。(笑) ごめんなさい。
最後に念押ししておきますが、この記事も、あくまで私にとっての真実です。あなたにとっての真実は、あなたが探してください。
以上。今日もありがとうございました。よければまたお会いしましょう。では。