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金次郎は代謝が良い

2025.02.25.
今日、私は二宮金次郎になった。
と思う。




ハローワークへ行き、一社応募する事を決め、帰る途中、本当に働けるんだろうかと不安がよぎったが、結果が出ていないのに不安になってもしょうもない。酒を飲む時の様にどっしり構えよ。と開き直り、図書館で借りた町田康著書、『俺の文章修行』をガッと開いて読み始めた。態度や見てくれだけ立派なのが自分の取り柄である。

電車に乗っている間も読んでいたが、余りにも面白い。あっという間に最寄駅に到着してしまった。これから家まで1時間歩かなければならない。1時間歩くことよりも、この本を読むことが1時間おあずけになることが苦しい。

改札を出る。本をしまいたくない。そもそも栞を持ち合わせていない。私は駅の出口までできるだけ時間をかけて進もうと蛇行し始めた。

そんなことをしても、ただ家に帰るのが遅くなるだけだ。加えて、周囲からも迷惑な女認定されるわけだが、本をしまって歩くことから、できるだけ回避しようと必死であった。今考えると惨め極まりない。

惨めな抵抗も虚しく、体は駅の出口に着いてしまった。どうにかして本を読みたい。でも歩かなければいけない。5分くらいうなだれ、苦肉の策で、私は朝散歩しながら本を読んでいたことを思い出した。二宮金次郎戦法である。
5分考えてそんな陳腐な戦法かい、と思うかもしれない。私だってもっと、ライアーゲームの秋山の様な必勝法をスマートに繰り出したかった。現実は陳腐な女が一冊の本を持って風に煽られ、鼻水を垂らしている。


気を取り直して本を読みながら歩み始める。
田舎の歩道はほとんど歩く人間がいない。足元さえ気をつけていれば、邪魔されることも、邪魔することもない。

小学生の頃は、二宮金次郎が歩きながら本を読み耽る姿を見ては、歩きながらでなくとも、座ったり、立ち止まって本を読めばよいではないか。阿呆だな。と内心見下していた。
今になって、やっと金次郎のことを理解できた気がする。田畑や林を歩みながら、本の中に潜り、言の葉を掻き分けて進んでいく事に夢中になる事があるのだと。

金次郎に感動し、ケツの青いクソガキ時代の自分に辟易し、町田康による、ちからたろうの粗筋に興奮し、鼻水を垂らしながらセカセカ歩く。この世で脳みそと身体をフルで充実させているのは自分だろうと思うくらいには身体中が忙しい。



家に着いた。
忙しい1時間が終わった。嵐の様な1時間だった。体の細胞が全て入れ替わったような感覚である。代謝を良くするとはこういう事かと身をもって理解できた。



私はもう昨日の私と違う。気持ちよく履歴書を書くのだ。

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