麒麟がくる第43回の感想『その気持ちを忘れるな』
物語ってやつは同じ土台の話であっても
視点が違えば見え方が違う。
「麒麟がくる」も明智十兵衛光秀が主人公であり
十兵衛の視点だからこそ見える部分もあれば
見えない部分もあるんだろう。
信長さまがサイコパスのように見えるのも
それは十兵衛視点のストーリー展開だからであって
逆に信長さま視点の場合はサイコパス信長というよりも
家臣たちの前で見せるような強キャラ感だけではなく
内面の脆さが今以上に前面に出てくるのかもしれない。
第43回『闇に光る樹』を見ながら
ふとそんなことを考えたりもしていた。
十兵衛視点だからかもしれないけど
十兵衛が今まで仕えてきた主君の中で
なんとなく一番優れていると思う主君は
個人的には斎藤道三さま。
本木雅弘さんの演じた斎藤道三が好き過ぎて
盲目になっている可能性は否定しない(笑)
十兵衛が仕えてきた主君は
美濃の斎藤道、越前の朝倉義景、公方さまこと足利義昭、
そして尾張の織田信長。
朝倉義景には仕えようとしつつ結局やめちゃったみたいだけど
お世話になってはいたので一応含めている。
この4人の中で具体的に国造りについての想いを作中で語っているのは
公方さまと道三さまだけっていうのが
ちょっとハンデではあるんだけど
理想を持ちつつ現実的に今できることを
一生懸命やろうとしているように見えたのが道三さま。
公方さまは高い理想を持ってはいるものの
差し迫っている現実に対しての対策は持っていなくて
その辺は全部幕臣たちに丸投げって感じ。
信長さまについては、実際どう考えてるのかっていうのが
具体的には語られてはいない。
十兵衛に教えてもらった
『大きな国を作る』
という理想を目指しているっていうことしか分からないのが
少し残念にも感じる。
朝倉義景に関してはその辺まったく不明でよくわからないw
道三さまの国造りの考え方が
他の3人よりも具体的なのは
物語上、道三さまが十兵衛のメンター的存在として
描かれているためなのだろう。
そもそも序盤は道三さまが主人公みたいなところもあったし(笑)
道三さまが推して十兵衛が天下人直前にまで引き上げた信長さまだけど
いずれは十兵衛が本能寺で倒す相手。
そもそも明智光秀という人を主人公にする以上、
本能寺の変は何故起きるのか
というのが、見てる側の一番の関心事であり
ある意味視聴者が納得する形で
本能寺の変を迎える必要があったんじゃないかと感じている。
「納得する形」っていうのはちょっと言葉にするのが難しいんだけど
単純な意味ではなくて、理由付けみたいな意味で考えている。
だからこそ、信長さまについては
政の理想よりも信長さま自身のメンタルに
スポットが当てられているのではないか。
というようなことを何故考えたのかというと
第43回の中で徳川家康に
丹波や近江をどのようにうまく統治しているのか
を聞かれた時の十兵衛の回答が
道三さまが過去回で十兵衛に話していたことを
思い起こさせるような内容だったからだ。
十兵衛は徳川家康にこんな風に答えた。
『戦は・・・他国の領地を奪うことから始まります。
己の国が豊かで人並みに暮らせる所であれば
他国に目を向けることはないはず。
それゆえ己の国がどれほどの田畑を有し
作物の実りがどれほど見込めるのか
正しく検地をおこない
それに見合った人の使い方をし
無理のない年貢を取る。
まずはそこから始めてみようかと・・・。
百姓たちが健やかに暮らし、そして穏やかに・・・。』
この十兵衛のセリフの冒頭を聞いていて
道三さまが尾張の織田信秀と同盟を結ぶ理由を十兵衛に話した内容が
まず最初に浮かんだ。
その時の道三さまのセリフの一部がこちら。
『わしの仕事は戦をすることではない。
国を豊かにすることじゃ。
豊かであれば国は一つになる。
一滴の血も流さず豊かになる。
それがこたびの和議じゃ。』
そしてもう一つ。
十兵衛が最初に京と堺へいって戻ってきた時に
道三さまはこんなことを言っている。
『その気持ちを忘れるな。
豊かであれば無用な戦もせずに済む。』
これは堺や京の様子を十兵衛に聞いた時に
十兵衛が美濃もあのように豊かな町にしたいと思った
と言ったのを受けての言葉。
このセリフからも道三さまは
国が豊かであれば他国に攻め込む戦をなくせる
という考え方を一貫して持っていることがわかる。
尾張と戦をしてきたのも海を手に入れるためであり
海を手に入れるのは国を富ませるため。
道三さまは自らの利のためではなく
美濃の国が豊かになり平和になることを望んでいたのだ。
決して自己中心的な考えで毒殺をしてきたわけではないのだ、たぶん(笑)
前述の家康の問いに対する十兵衛の返答は
この道三さまの『国が豊かであれば無用な戦もせずに済む』
という考え方を柱としているように感じた。
なんかそう考えるとエモい(笑)
十兵衛は道三さまを嫌ってはいても
道三さまの根底にある理念や志までは嫌っていなくて
むしろ尊敬していたように思う。
だからこそ道三さまの言っていた「大きな国造り」を
道三さまが推した信長さまと共に目指したのだろうし
国を治める立場になってからも
道三さまの理念を取り込みつつ統治しているのだろう。
そういえば第1回の時に松永久秀に言っていた
『好き嫌いで主君に仕えるわけではない』
という酔っ払い十兵衛の言葉もふと頭に過る。
あれからもう30年以上が過ぎたのか。
そして
次回はいよいよ最終回。
おそらく史上最高に面白くてカッコイイ本能寺の変が
待っているはずだ。
十兵衛は本能寺の変の先に何を見据えているのか。
そもそも「麒麟がくる」のタイトルの意味とは?
来週はTwitterにかまけず
集中してじっくりと見ていたいんだけど
黙ってはいられないかもしれない(笑)
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