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鎌倉殿の13人第20回感想/義経の遺児の伝承、そして小四郎は鬼になった
藤原秀衡の言葉に対する疑念
藤原秀衡(演:田中泯)が義経(演:菅田将暉)を褒めちぎった言葉の数々。
あれはきっと義経が兄・頼朝(演:大泉洋)から言ってほしかった言葉の全てだろう。
義経の涙には褒めてもらった事の嬉しさと同時に
頼朝に対する想いも溢れていたんじゃないかな~
なんて思ったりするとこっちも泣けてくる。
が、その反面。
藤原秀衡が義経を褒める言葉の端々には
ちょっと疑心暗鬼が沸きまくりだった。
あの秀衡の義経への賞賛の嵐は
本当に義経のことを想ってのものだったのだろうか?
義経が鎌倉へいく際に共に挙兵しなかったことを後悔している
と言っていたけど
あれは鎌倉に与することで鎌倉の一部になることを嫌ったからなのでは?
そして平家にも鎌倉にもどちらにつくかはハッキリとした態度を見せず中立の立場を保ち続ける――
これこそが奥州で王国を保ち続けるための最良の策
そう考えたからなのではないのか。
義経を奥州に迎え入れるという事は、鎌倉と敵対することを意味する。
つまり頼朝と対峙する覚悟は決めたんだろうね。
だがそれには兄と戦うことになる義経を
こちら側へ完全に引き込む必要がある。
だから義経の弱点である”素直さ”につけこんでの賞賛の嵐だった。
そう考えるのはひねくれすぎているのだろうかw
藤原秀衡の思惑
奥州6郡を従え潤沢な経済力と17万騎の兵力を持ち
京から簡単には手を出せない遠く離れた奥州で
一つの王国を築いていた奥州藤原氏。
秀衡存命中は頼朝が決して手を出そうとしなかった。
それぐらい奥州藤原氏の力は強大だったのだろう。
もしも秀衡が天下を目論んでいたとするならば
やはり義経と共に挙兵するのが最善だったと思う。
「17万騎の兵力で鎌倉を飲み込んでやろう!」
それぐらいの勢いで”いざ鎌倉へ”と南下した方が良かった。
鎌倉に集う武士団だって一枚岩とは言い難い。
いくらでも付け入る隙はあったんじゃないかと思う。
和田義盛(演:横田栄司)を引きこむのは意外と簡単そうだし(笑)
でもその選択肢は選ばなかった。
平家と源氏どちらが倒れてもいいように振舞っていた。
それは奥州の王国維持が秀衡にとっての最重要課題だったからだろう。
そして日和見的な立場を取り続けながら
あわよくば双方が争い合い疲弊しきったところで
漁夫の利を得てやろう
みたいなズルい目論見さえ感じる。
ある意味慎重派、堅実派なのかもしれないけど
慎重すぎるが故に行動が遅れて機会を逃すタイプ。
そんな気がしなくもない。
しかしまさか自分の死後2年足らずで
奥州藤原氏が滅亡してしまうとは考えもしなかっただろうなぁ。
本人がその事実を知る由もないのだけれども。
義経の最期とその遺児
『鎌倉殿』では義経がどのようにして最期を迎えたのか
一切描かれることはなかった。
表で時間稼ぎしてる弁慶を楽しそうに見ている姿は
まさに”『鎌倉殿』の義経”で
通説でよくある悲哀に満ちた最期ではなかったんだろうな
というのは想像に難くない。
きっと『鎌倉殿』の義経らしく、元気いっぱいに散っていったに違いない。
弁慶と共に戦う選択をしなかったのは
戦うことに疲れてしまったのか、あるいは飽きてしまったのか。
『鎌倉殿』の義経だと後者の気持ちが強いような気がする。
そういえば妻の里(演:三浦透子)は義経が殺しちゃったけど
チラッと出てきた娘はあの時どこにいたんだろう?
『吾妻鏡』では妻と娘を殺した後に、義経は自害したことになっているけど『鎌倉殿』ではもしかしたらどこかへ逃がした?
だとしても泰衡(演:山本浩司)の追手が見逃さないのかな……。
ところで『吾妻鏡』には
義経が奥州入りした際、妻子と男女を連れ沿っていたことが書かれている。
「妻室・男女を相具し―」
とあって、この男女が義経の子どものことだとすると……
妻と娘は死んだことが書かれている一方で
男の子の方のことには一切触れられていない。
息子はどこへいったんだろう?
ということになる。
実はこの男の子。
秀衡によって奥州伊達家の初代・伊達朝宗に預けられ、後に下野国中村城主になった、という伝承がある。
その伝承の持ち主が鎌倉時代初期の御家人、中村朝定。
幼名を千歳丸または経若という。
中村朝定は領内の治水によく励み、領民からも慕われていた。
そのため彼が亡くなったあとには『中村大明神』が建立されたらしい。
また始めは義経の一字をとって「義宗」と名乗っていたが
鎌倉幕府が義経に通ずる「義」の通字を良しとしなかった。
そこで養父である伊達朝宗より一時賜って「朝定」と改めたそう。
この伝承は青森県弘前市の圓明寺や
栃木県真岡市の遍照寺、中村八幡宮に記録が残っているらしい。
『鎌倉殿』には男の子は登場しなかったけど
実はすでに伊達朝宗に預けられていたのかも?
頼朝の目にも涙、小四郎も鬼に?
兄弟仲良くできたら一番いいのに
源氏も奥州藤原氏もうまくいかないね。
そういえば鎌倉幕府の後には足利尊氏の室町幕府になるわけだけど
尊氏も弟の直義と袂を分かつことになるし
もっと後の戦国時代でも織田信長は弟の信勝と争って殺しちゃう。
権力のトップになる人たちには兄弟争いが宿命?
薩摩の島津氏や中国地方の毛利氏は
兄弟の絆の強さ代表みたいなとこあるけど
いずれも天下は取れなかったもんなー。
頼朝に武士政権を打ち立てるという目標が無かったら
義経を失って涙することもなかったのやら。
ところでもう一人の弟、蒲殿(源範頼、演:迫田孝也)はまだ宝剣探してるんだっけ?w
そして権力の座につくことの恐ろしさを思い知り始めた小四郎(北条義時、演:小栗旬)にも、頼朝のような鬼の心が芽生えてしまったようだ。
でもちょっとわざとらしかったよね、義経に静御前(演:石橋静河)の話する時w(了)
付録的なもの
【視聴メモ】
平家を倒したのはお前だ
九郎が大将軍
藤原秀衡もう死んじゃった……
勝手に九郎を討ったことを理由に平泉を攻める
子どもの数が多過ぎないか?
平泉に手を出したら決して許さない
生まれてきた子が男なら由比ヶ浜に沈めよ
なんでいる!?
音曲をあなどるな!!!
梶原景時ならこの策の見事さをわかってくれるはず
平泉、中尊寺金色堂、衣川
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