人は忘れるものだから日記をつけよう【音声と文章】
山田ゆり
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1270
※note毎日連続投稿1357日コミット中。1270日目
※途中、娘が電子レンジを操作する音が入っていますが気にしないでください。
※音声・文章、どちらでも楽しめます。
おはようございます。
山田ゆりです。
今回は
人は忘れるものだから日記をつけよう
ということをお伝えいたします。
人は忘れるものなのだ
最近、ずっと
母を介護していた頃から亡くなるまでのことを
文章で振り返っている。
母がアルツハイマー型認知症と診断され
私は初めての介護に翻弄された。
数か月後に私は右の耳がほとんど聞こえなくなり
突発性難聴と診断され入院した。
特別手術をするとか厳しい訓練をするとかではなく、
6~8時間かけてただ点滴するという、
とてものんびりした入院だった。
だからこの10日間の入院は
「それまでの大変な介護から一時的に解放され、
自分の時間を取り戻すことができた。
自分だけの為に過ごす時間を得たことで
これからはがんばらない介護をしようと目覚めた貴重な体験だった」
と自分では思っている。
しかし、入院していた当時の
毎日書いていた大学ノートを見つけた。
入院中にあった出来事はたとえばこういうことだった。
・入院中は数冊の本をたっぷり読めた。
・顔のケアをいつも以上にまんべんなくすることができ嬉しい。
・毎日、6~8時間くらいかけて3本の点滴をした。
・会社へ携帯電話から仕事の連絡をしていた。
・病院から外出許可をいただき、
早朝に夫に車のカギを持ってきてもらい
誰もいない会社に行き、
必要書類を机の上に置いてきたこともある。
・ご無沙汰している友人たちに手紙を書いた。
・「知るぽると」に最後の添削用紙を提出した。
・病院から外泊許可をいただき、自宅に泊まり
翌日、漢字検定 準2級を受験した。
試験が終わりまっすぐ病院へ戻った。
試験会場から病院までは徒歩30分くらい。
歩いて病院へ戻るつもりだったが、その日は
猛吹雪になりタクシーに乗って病院へ戻った。
・認知症の母を私が入院している総合病院の耳鼻科で診てもらい、
私は点滴の棒を引きずりながら母に付き添った。
・母の入院の予約をした。
・長女の制服のお直しの件で、制服屋さんに連絡し、
外出許可をいただいてお店に出向いた。
・三女と母の誕生日の為に外泊許可をいただき自宅へ一泊した。
・かかりつけ医へ母の次回の受診の予約を電話でした。
・そして、退院当日は、病院からまっすぐ、
予約していた美容院へ向かった。
振り返ってみると
「のんびりしていた10日間」とはいいがたいと思う。
それでも、常識が崩壊した母の介護をするよりも
のんびりできたと感じたのは
自分を中心に生活できたからかもしれない。
母への介護は自分が思っているようには事が運ばなかった。
だから、自分の人生を生きているという感覚がなかった。
この10日間の入院生活は
自分を中心に生きることができた。
それにしても
人の記憶は不確かなものである。
この入院は、日頃おろそかにしているお顔のケアを十分にして、
のんびり読書をして過ごした
という記憶しかなかった私である。
楽しい
嬉しい
悔しい
みじめ
憤慨
日記に良かったことだけではなく
悔しかったことも書いてみれば
あとで読み返したときに
内省できたり心の成長を感じたりできる。
毎日は書けなくても
日記は続けようと思う。
今回は
人は忘れるものだから日記をつけよう
ということをお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
ありがとうございました。
ちょっとした勇気が世界を変えます。
今日も素敵な一日をお過ごし下さい。
山田ゆりでした。
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http://yuuki2.com/l/u/Z4bGUPjaVPxU6Dk5
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山田ゆりです。
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ということをお伝えいたします。
人は忘れるものなのだ
最近、ずっと
母を介護していた頃から亡くなるまでのことを
文章で振り返っている。
母がアルツハイマー型認知症と診断され
私は初めての介護に翻弄された。
数か月後に私は右の耳がほとんど聞こえなくなり
突発性難聴と診断され入院した。
特別手術をするとか厳しい訓練をするとかではなく、
6~8時間かけてただ点滴するという、
とてものんびりした入院だった。
だからこの10日間の入院は
「それまでの大変な介護から一時的に解放され、
自分の時間を取り戻すことができた。
自分だけの為に過ごす時間を得たことで
これからはがんばらない介護をしようと目覚めた貴重な体験だった」
と自分では思っている。
しかし、入院していた当時の
毎日書いていた大学ノートを見つけた。
入院中にあった出来事はたとえばこういうことだった。
・入院中は数冊の本をたっぷり読めた。
・顔のケアをいつも以上にまんべんなくすることができ嬉しい。
・毎日、6~8時間くらいかけて3本の点滴をした。
・会社へ携帯電話から仕事の連絡をしていた。
・病院から外出許可をいただき、
早朝に夫に車のカギを持ってきてもらい
誰もいない会社に行き、
必要書類を机の上に置いてきたこともある。
・ご無沙汰している友人たちに手紙を書いた。
・「知るぽると」に最後の添削用紙を提出した。
・病院から外泊許可をいただき、自宅に泊まり
翌日、漢字検定 準2級を受験した。
試験が終わりまっすぐ病院へ戻った。
試験会場から病院までは徒歩30分くらい。
歩いて病院へ戻るつもりだったが、その日は
猛吹雪になりタクシーに乗って病院へ戻った。
・認知症の母を私が入院している総合病院の耳鼻科で診てもらい、
私は点滴の棒を引きずりながら母に付き添った。
・母の入院の予約をした。
・長女の制服のお直しの件で、制服屋さんに連絡し、
外出許可をいただいてお店に出向いた。
・三女と母の誕生日の為に外泊許可をいただき自宅へ一泊した。
・かかりつけ医へ母の次回の受診の予約を電話でした。
・そして、退院当日は、病院からまっすぐ、
予約していた美容院へ向かった。
振り返ってみると
「のんびりしていた10日間」とはいいがたいと思う。
それでも、常識が崩壊した母の介護をするよりも
のんびりできたと感じたのは
自分を中心に生活できたからかもしれない。
母への介護は自分が思っているようには事が運ばなかった。
だから、自分の人生を生きているという感覚がなかった。
この10日間の入院生活は
自分を中心に生きることができた。
それにしても
人の記憶は不確かなものである。
この入院は、日頃おろそかにしているお顔のケアを十分にして、
のんびり読書をして過ごした
という記憶しかなかった私である。
楽しい
嬉しい
悔しい
みじめ
憤慨
日記に良かったことだけではなく
悔しかったことも書いてみれば
あとで読み返したときに
内省できたり心の成長を感じたりできる。
毎日は書けなくても
日記は続けようと思う。
今回は
人は忘れるものだから日記をつけよう
ということをお伝えいたしました。
本日も、最後までお聴きくださり
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