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Babel Drive

鍵を回してサイドブレーキを解いた。Bluetoothの充電は90%と上々。これだけあれば“帰れる”だろう。右足に徐々に力が加わり、スピードメーターは右に“頭を傾けた”。夜の灯りがヘッドライトと“共鳴”して光っていた。鼻歌は徐々に声が漏れて歌声に変わり、ハンドルを持つ右手は指先でリズムをとっていた。なぜこの歌には〖Babel〗の名が付けられたのだろう。こんなに心地よい“サヨナラ”があるのかと、またひとつこの世に教わって現場を後にした。今宵の酒はきっと美味しいに違いない。

夜から始まる朝

AM4:30。聴きなれたアラームで目が覚める。遮光のカーテンであることを差し置いても文字通り“まだ”な朝だった。太陽はまだ寝ている。それどころか今日の予報は雪だった。“”の出る幕は無いだろうと諦めて、ベストを身に纏い家を出た。今朝の主役はだった。

朝は案外得意だったりする。早起きに苦労は無いし、寝起きは頗る良いと実は定評もある。寝起きが不機嫌な人、私は内心クスクスしています。朝頭痛で不機嫌な人、きっとその分今日も誰かがアナタを労って過ごしています。

文字通り流れるように時は過ぎ、気づいた頃には針は“空を向いていた”。ついでに天気予報が当たった。我々の“望まぬ訪問者”は春を望む心が気に入らないらしい。

積もらない雪

今日も雪は積もらなかった。それどころか気づいたら止んでいた。他に必死だっただけだが。ふと外に出れば雪どころか傘も要らなかった。寒気だけをこの地に残して、今年も雪は“独り”で去っていった。あと何回逢いに来る?梅が花開いたこの時期に、桜を待ち侘びるこの季節に、あと何回“袖を掴む?”嫌いじゃないよ。冬も好きさ。それでももう別れを告げたんだ。潔く別れたんだ。次に逢うのは来年だ。『また会ったね』は繰り返すと魅力が落ちる。また来年逢おうよ、逢いたくないとは言わないからさ。

口より手を動かせ

愚痴を言うより仕事をした方が諸々決着が早くつく。仕事が多かろうが量のバランスがおかしかろうが現場が回ればそれでいいんだ。仕事は好きなのだから。己の“好き”を利用すればいい。ただし自分の意思で。駒だとしても、意志を持つ駒であれ。

礼状を折るのが随分早くなったと思う。一番退屈な単純業務でありながら、頭の整理に丁度いい。帰ったら何をしようか、明日の配車はコレだからどう動こう、次の休みはいつだろう。この日は休みが取れたからアレができる、コレもできる。

出来る人間が損をするのは間違っていると思う。それでも、役目があるだけマシだと思う。“今日もここにいていい”。また続きを綴れる。ピリオドの先延ばしが出来るだけで私にとっては十分だ。明日があるだけで十分だ。明日を想えるだけで満足だ。

サヨナラの意味



さようなら さようなら”


この歌は何に別れを告げたのだろう。ヒトだろうか、立場だろうか。見切りをつけた歌なのはよく分かる。それでもこの“後悔の無さ”が心地よかった。自由な心が心地よかった。家までの足取りがいつになく軽やかだった。今宵のお酒は気分がいいに違いない。

明日の休みはお預けだ。

天気予報では少しは晴れそうだがまだ足りない。もっと晴れてくれなきゃ。どうせなら私が休みの日に晴れてよ。迎えに行かなきゃ、青い空を。キミには“サヨナラ”は言わないよ。


(2022/03/22 )

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