鈍感であれ
自分を守る為に“鈍感であれ”と母が言った。
少し気づきが遅れるくらいが身の為だと、心の為だと彼女は最後にそう言った。
受け流すくらいが丁度いいと。
悩むのは損であるという。頑張りすぎるなと今年も彼女は言う。
肩の力を抜けと、走り過ぎるなと、自己を守れと言う。
日毎に経験と慣れからの副産物は視野だったと思う。視野は広くなった。
過去の私に感謝しなければならない。併せて、周囲の支えに、恩人達に、かけがえのない存在に、忘れたくない存在に感謝している。
上を向けば、世界の広さがわかる。木々が季節毎に表情を変える様が、鳥の声も時間によって聴こえが異なる事も。春が夏を受け入れる為に、自ら足元に“絨毯”を広げてお膳立てをする様も。
顔を上げなければわからない。そうしなければ気づけない景色もあれば、そこで初めて見えてしまう“綻び”もある。気づいてしまうと落ち着かない。心の躍動ごと覆してしまいそうな綻びに見えて、心の揺らぎが留まることを知らない。
難しい課題だよ。目を逸らすわけでなく、己を守る為に、景色を鮮やかに“記憶補完”する為に鈍感であれという彼女のコトバが、私に縄をかけている。解く手段を、打開策を探している25歳春の終わり。
厄日と評せる激動の日に、
心に傘をさしてくれてありがとう。
雨がやんだら、どうします?
(2022/04/12)