ビールの様な年だった
再度久しぶりに“筆をとる”気になった。
毎日書き続けているのには意味があった。
声で録る事も筆で書き残す事にも意味がある。
忘れない為だ。
間違いなく自分の為だ。
でも強いて言うなら、続ける事は案外楽じゃない。
得意なことではある。
それでも、ひとりじゃ続けてこられなかった。
見てくれたんだ、見届けてくれたんだ。
あの日あの時出会った誰かが、いつも。
どんな時でも。
物書きも収録も、素人のお遊びなりに続くのは、聴き手がいるから、読み手がいたからだ。
あの日あの時の私の声を、聴いてくれてありがとう。読んでくれてありがとう。
そうして読み手が居なくなった今、改めてまた筆を取ろうと思うんだ。
理由なんかないさ、強いて言うなら夏が来たからだ。
令和は終始ビールの様な味がする。
苦いのだ、甘くない。優しくないのだ。
それでも尚“飲み干す”のは、それしか正解を知らないからだ。
それが正解なのだと思い込みたいだけなのだ。
『苦いけど美味しい』と表現した上で己を幸せにしてあげたかった。
それだけなんだ。
“羊の夜をビールで洗う”年が続く。
今年もきっとそのままだ。
それでも尚、幸せだと思いたいのだ。
何にせよきっと、あの日あの時よりは幸せなのだから。
(2022/06/03)
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