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手の届く月と見上げる華

久しぶりに“筆を執る”気になった。
約2年続けた音声収録に昨晩ピリオドを打ち、ある種の意で手が空いたからとも言える。

ラジオもそう、noteもそう。
有難いことにコアなファンが居た。
居たんだ、彼等彼女は間違いなくそこにいた。
時の流れに合わせて、やっぱり彼等彼女は“旅立って”行った。

世の中に永遠なんてものはなく、縁は結ばれ円を描いても、時に解けて擦り切れて絡まって、同じ場に留まらずカタチを変えて移ろっていく。

あの日あの時の感動や心の躍動は一時の気の迷いだ。私はそれらを、ヒトでもモノでも等しくと呼ぶ。
紛れもない恋だった。
『月が綺麗ですね』と言われれば、『ずっと前から綺麗でしたよ』と言えるほどに。
今日の空が眩しい青なら、『明日も晴れるといいですね』『虹がかかればいいのにね』と言えてしまうほどに。

道端の小さな花が目に留まり、歩みを止めて眺めてしまうほど、カメラフォルダに同じような写真を何枚も溜め込んで消せずにいるように。
あの日私は揺れていた。

くすぐったい感覚で、もう少し続けばいいなと言うご縁に手を伸ばそうとしつつ、過去を思って手を止めた。

あれでよかったのかと言われれば、もっと幸せな選択肢はあったはずだ。

それでも手を出さなかったのは、手を伸ばすのは青い空だけで十分だと悟ったからだ。
月でさえ家に浮かぶ。手が届く時代なのだ。
代わりに宙に華が咲く時代なのだ。

余程の縁の深さがあれば、忘れる前に、他の思い出と並ぶ前に、新たな展開があるだろう。
過ぎ行く背中は、移ろう景色は追わないことにしたんだ。
どれだけ失いたくないヒトもモノも、いつかは去っていくと知った4月末日。
誰かの門出と旅立ちに合わせ、新しい仲間と闘う決意をした5月初旬。

過去を肯定するために、今あるご縁を大切にすると決めた。
忘れなければ、きっとまた巡り会えるさ。
そう思えば、何度目かのヒトリノ夜も悪くないさ。(2022/05/11)


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