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“Time Traveler”

『明日世界が終わるなら』

 こんな質問を幾度かされた事がある。                     頭にうかべたことがある。                                                                                                                                    卒アルのクラスページ、何気ない日常の会話、ふと物思いにふけった夜、マヤの大予言に揺られた時代。結局しぶとく生き延びた訳だが。これだけ悲惨な年号を以てしても、世の中はまだエンドロールに至らない。神様はまだこの“物語”を楽しむ気でいるらしい。

束の間の晴れ間をみせた昨日。今日の天気を思わせる熱を帯びた風が吹いていた。走りに出るにはちょうど良かった。

連勤合間の単発休み。返上を丁重に断って“金曜日の朝の声”におかえりを伝えに言った。何回言わせるだろう…どうやら相当な縁があるらしい。そろそろほかの挨拶を覚えたい、心からの皮肉。再び戻ってきた彼を鳥達が“祝福”していた。羨ましくて嫉妬すら覚える。何年勤めても私の職場にはカラスしか集まらない。ホントなんですよね『葬儀の上にカラスあり』。邪魔するなよ、今日は私が責任者なんだから。

“顔のない想い出”の『腹が減るうちは大丈夫』という言葉を思い出していた。

(略)と思ったら飯を食え。

腹が減るうちは大丈夫。

飯食ってください。

そして寝てください。

(略)は想像にお任せしたい。必要以上に話してしまった故の、相手からの“最後の”思いやりの言葉だった。画面越しに魅せ続ける彼の成長を、誰よりのfanとして今でも眺めている。今年も、そして永遠に私は彼の、彼が生み出す“うちの子”のfanだ。それだけは譲らない。

生きるため”に実家を飛び出し一人暮らしを初めて約1年が過ぎた。元々炊事洗濯に苦手意識は無いので苦労は無かったが離れてみて初めて分かるものがある。知る感情がある。                                          誕生日は愚か、お彼岸の墓参りすら出勤にして身内とずらして1人で向かっていた過去。1人でなければ話せないからと、御魂がそこに居ない事を知りながらいつも1人で詫びていた。『あの頃より私は一歩でも進めていますか。逞しくなれましたか。』毎年問いかけて独りで泣いた。今年は7回忌な事もあり初めて有休を取って時間を合わせて向かった。想像通り涙は出なかった。少しは年齢以外も変わったものがあると信じたい。


少し話を戻して…。                                                      

飯を食えという助言の元に案外ちゃんと食事をとるようになった。かつてはストレスで食事が“栄養にならなかった”だけだが、案外1日2食でも栄養過多になってしまった身体のせいで体内バランスの維持が難しい。走るだけでは絞れなくなってきた。この先が思いやられてならないが幸いな事に自分で作る食事が美味しい。フライパンを振る学生時代を過ごしながら葬儀社に勤めた歴に自分でも疑問が残りはするものの、『間違っていなかった』と26年目、“6歳”を迎える春にやっとそう思えるようになったことに安堵している。

大切な存在と出逢う度に失ってきた25年。今逢いたいアナタは、今会話を交わすアナタは、明日の私が出会うアナタは、この先も『また逢う日を楽しみに』出来る人だろうか。

いい意味で感受性が高く、悪い意味で起伏の激しい性分だったりする。本人でさえ飼い慣らすのに苦労する心と対面するアナタに私はどう映るだろうか。どうか笑って『らしいよ』と言って欲しい。そうすればより一層、過去を許して自己を愛せると思う。



同じ世界の

違う“世界線”に立つアナタへ


私より先に“逝かないで”くれ

嘘でもいいよ

私が気づかないように

約束して

(2022/03/26)


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