わたしが初めてライブハウスで観たバンドは東京のバンドだった。当時そのライブハウスはお客さんが全然いなくて、そのバンドお目当てのお客さんも5人くらい。でも今では全国ツアーができるほど大きくなって、もちろん箱も大きくなって、歌い方も変わって、もはやわたしの知っている彼らではなくなっていた。 でも、最近、わたしが初めてライブハウスに行ったあの日に初披露していた未だに盤化していない曲の歌詞が公開された。この曲が初めて披露された時は10人くらいしかフロアにいなかったから、その思い出を独
いつからか私の中に正体不明の寂しさが居候している。 1人で本州来た時からかもしれないしもしかしたらもっと前からかもしれない。 あまり人と仲良くなるの得意じゃないから全然友達なんか出来なかったし、誰からも自分の存在が求められていないようで悲しくなって昨年から東京のライブハウスに通うようになった。インディーズのバンドはチケットの売り上げが芳しくなかったりもするから、私でもライブに行けば喜んでくれる。遠くから来たなんて言ったらもっと喜んでくれる。それが当時の私にとって心地よかった
東京。 修学旅行の時に初めて見た品川行きの通勤ラッシュの光景が田舎者の私には恐怖でしかなくて電車に乗れなかった。 こんなところ住むところじゃない!と全力で思った。 だから大学は地方を選んだ。 私は東京を人が溢れている孤独な街だと思っている。 大きな夢を持って東京に来た私の好きな人は一生東京に住むと言っていたけれど、少なくとも私はそこで老後はすごしたくないな。 例えるなら、アルミ製のボウルのような、鉄製の筆記用具のような、ニュース番組のZIPのような、つまりはどこか冷徹な
何も失ってないのに、全てを失ったように強く感じる夜がある。 親も友達もお金も夢も、自分が存在してていい場所も。 何も失ってないのに。 なんなら両親過保護だし、友達の質もめちゃくちゃ良いし、そこら辺の大学生よりかは貯金もあるし、明確な夢もあるし、みんな私に「ここにいて」と言ってくれる。 私が最近特に虚無になる時。 それは、好きなバンドマンがどんどん売れて私の手から離れていきそうになる時と自分の将来の夢が社会にとって需要があるのかを考える時。 前者はオタクの域だからなんとも
私は10月に、4年間お世話になった土地で、1年間お世話になった箱で、大好きなバンドを呼んでイベントをする。 4年前まではその土地に縁もゆかりもなくて、なんならどんな場所かも知らなくて。どんな人種が住んでるんだろうな、どんな街なんだろうな、 せっかくなら観光とかでわざわざ行かないような場所に行ってみたい、とりあえず海に近いところに住みたい、という気持ちを好奇心旺盛の内陸出身の道産子は5年前に抱いたわけで。 それから、大学一年生の冬に東京の下北沢のライブハウスに行ったことがタ
寝起き。 もう外は人工的な明かりで街が照らされている時間。 成人式のために伸ばしたのにコロナのせいで一生使うこともなく目標を失ってしまった長い髪を縛って眼鏡をかけ、部屋着にスカートを履いてスーパーに既製品を買いに家を出る。 人前で理想の自分を綺麗に着飾っている私にとってはその時間が至福でもある。 誰にも見向きもされず1人で自分のことだけを考える時間。その時だけは、音楽を味方に、無敵になれているような気がする。 何も社会に貢献をしていないのに贅沢にご飯だけ食べているなんて
大学院に行きたかった。小学生の頃から。 当時は、 「16歳で結婚して東大に行って20歳で子ども産む!」 という小学生ならではの世界観でのニュアンスで使っていた。 高校生の時にやりたいことを見つけた。 その資格を取るのに大学院卒業は必須だった。 そして大学に入り、その夢が一度緩んだ時があった。 大学院進学を考えていた周りの友人が就職を選択し始めていた。 どこか裏切られたような、置いていかれたような、そんな気がした。 それから私は現実を見るのを辞めた。 といってもそ