私の人生と強迫性障害
私には子供の頃から、“悪い癖”のようなものがあった。その癖は、「爪を噛む」や「髪の毛を触る」など一般的によく聞くものではなく、一風変わった癖だった。
私は3~4歳の頃、おもちゃを片付けるときに自分の両手を擦り合わせないと気が済まなかった。何を言ってるのかと思うだろうが、おもちゃを一つ箱に入れる度に自分の両手を一瞬だけ擦り合わせないといけなかった。一見すると“儀式”のようなものだった。この奇妙な行為に両親も不思議がっていたが、この行為をしないと体中にモヤモヤが走り、居てもたってもいられなかった。
小学4年生の頃、今度は頭に思いついた単語を全て紙に書き出さないと気が済まなくなった。りんご、掃除機、店じまい、解消、、それらの単語に関連性はまったく無い。思いつく単語を用紙に埋めていく。ある程度区切りがつくまで終わらせないと、次の行動に移れなかった。
当時自宅のベットの下には、単語がメモされた大量の紙切れがダンボール箱に入ってストックされていた。
頭に思いついた単語意外にも、必要だと思ったことは何でもメモする癖がついた。
当時筆箱にもメモ紙を入れていたため、友達に発見された時には「なんでこんなことまで書いておくの?忘れちゃうの?」と言われた。私だって知りたい。
しかし、このような“悪い癖”は自分で「変だ」と自覚すると自然と回数が減っていった。
まだ自分でコントロール可能だったのだ。
小学校を卒業し、中学、高校、大学と順調に進んでいった。その間、幼少期にあったような奇妙な癖は発症しなかった。
ただ、メモ癖だけは残っていた。
変化が訪れたのはちょうどコロナが流行りだしてしばらく経った2020年の5月だった。当時大学2年生になったばかりだった。
この頃、かつてのメモ癖が酷くなっていたことは自覚していた。
小学生の頃から何から何までメモを取るメモ魔だったが、その癖が酷くなっていたように感じていた。
決定的なことが起こったのは2020年5月末。
お風呂から上がったあと、ふと、その時考えていたことを忘れてしまった。
誰にでもある事だと思う。
一通り思考を巡らせて、思い出せなければ
「まぁ、いっか。」とスルーできるだろう。
その時の私は違った。猛烈に焦った。なにか自分の人生で重要なことを忘れてしまったのではないか、と今までにない緊迫感が走ったのである。
猛烈な焦燥感と、何とか思い出さなければいけないという一心で、できる限り自分の記憶を辿り、思い出そうとした。5日間くらい、私はその思い出す作業に没頭した。猛烈な焦燥感と不安感に襲われながら、あれやこれやと思考を巡らせ忘れたことを思い出そうとした。大袈裟かもしれないが、人生の中であんなに辛い5日間は無かった。
6日目くらいだろうか、私は忘れてしまったことを思い出した。
その時の安堵感といったら他になかった。あぁ、もう思い出そうと苦しまなくていいんだ。
これからは自分の記憶を1ミリたりとも忘れてはいけない。自分の記憶は自分でしっかり管理し、抜け漏れがないようにしなくては。と心に誓った。
それからは、必要だと思うことは全てメモし、後で確認出来るようにしていた。
メモができない時は頭の中に架空の付箋を貼っておき、あとでメモする。バイト中もメモ帳とボールペンは欠かさず持ち歩いていた。
この“メモしたいことを一つ残らず記録しておきたい”というこだわりが、私を苦しめた。
いくらメモ帳を持ち歩いていつでもメモできるような環境にしておいたって、人間だから、メモしたいことや考えていたことを忘れてしまうことだってある。
それが許せなかった。
メモしたいことを忘れてしまったときは、(心の中で)発狂する。
それから、思い出せるまで他のことが出来なくなる。
日常生活は最低限遂行できるのだが、他のことが考えられなくなるのだ。
「欲しがりません、勝つまでは」という言葉があるが、私の場合は「欲しがりません、思い出すまでは」だった。
思い出すことができていない状況で私に自由は無い。趣味をすることや音楽を聴くこと、テレビを見ること、コンビニでお菓子を買うなどあらゆる娯楽に対し禁止令が出る。
運良く思い出せる場合もあるが、大抵の場合は思い出せずに終わる。終わると言っても、諦めがつくまで2.3ヶ月かかる。そのため、一つメモしたいことを忘れてしまうと2.3ヶ月は先に記したような「欲しがりません、思い出すまでは」状態になる。
こんな生活が1年ほど続き、症状はさらに悪化していく。
日常生活の中でも「今この瞬間も何か大切なことを忘れているのではないか?」と思い立ち、記憶のリピート再生が始まる。
もう、脳の誤作動である。
「何か忘れている気がする」感覚に囚われた私は、数分前の記憶を辿って確認し、また少し経ったら数分前の記憶を確認し、、、
こんなことを一日中繰り返していたので、ついにバイトの方にも影響が出てくる。
バイトの予定を確認することすら、すっかり忘れて記憶の確認に専念していた私は、バイト先から無断欠勤の電話が来てギョッとした。
もう、私は、ヤバいのかもしれん……。
流石に限界を感じた私は、精神科の予約をした。(受診日まで2ヶ月くらいあった。これは精神科あるある)
満を持して受診日。
「強迫性障害ですね。」
……やはり病気だったのか。
「珍しいね。」とも言われた。強迫性障害の代表的な症例は不潔恐怖(手を洗いすぎてしまう)や確認強迫(何度も戸締りを確認してしまう)などであったからだ。
それから私は処方された薬を飲んだり、病気について理解を深めようと本を買って読んだり、なんとか強迫性障害と向き合ってきた。
パキシルという薬を飲み始めてからは、記憶のリピート再生(巻き戻し強迫と言うらしい)は無くなった。
しかし、メモ癖と、忘れてしまったとき「欲しがりません、思い出すまでは」が発令される事態は変わっていない。
この記事はこれをしたら強迫性障害が治りました!というものでも闘病日記でも何でもなく、ただ、私の強迫性障害発症に至るまでと、まだ寛解には到底及ばない私の病状を記しただけの文章である。
また強迫性障害についての記事は書くつもりだが、このnoteで私の強迫性障害と、強迫性障害の辛さが分かって頂ければ幸いである。
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