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【エッセイ】金玉を降ろす研修の全貌

いかにも下品なタイトルで恐縮だが、これが私の人生で最もタメになった研修である。

社会人になると(というかどこかに就職すれば)、人は大なり小なりの研修を受けることになる。私は、新卒で中学校の教員になった。(もうやめているが)

教員というのはかなり研修が多い職種であると思う。1年目などは毎週木曜日に「初任者研修」なる非常に煩わしい研修があった。時を経ても、2年目研修、3年目研修、5年目研修…と続いていく。そのほかにも、自分の校務分掌によって、道徳主任者研修や国語主任者研修、情報担当研修などがあり、これまで大量の研修にまみれてきた。

だいたい想像がつくと思うが、これらの研修は、基本的には、ただただ時間が流れるのをやり過ごす「無の時間」となることが多い。大半の研修参加者の顔には、

事件は現場で起きているんだ!こんな研修が何になる!

と書いてあり、なかなか意義ある研修にお目にかかることはなかった。

しかし、1つだけ、決定的・圧倒的・絶対的に記憶にも身にも残っている研修がある。それをここで紹介させてもらいたい。

それは私が1年目の時に受けた生徒指導研修だった。

当時、私の着任した初任校は、”10年に1度の大荒れ”という状況であり、生徒指導が毎日頻発する問題校だった。お菓子のカスが落ちている、授業中の忘れ物が多い、そうじをしない、ケンカが起こる…などなどおよそ想像される”荒れ”の初期症状は多くのクラスで起きていたし、学級崩壊しているクラスもあった。

ひどいところでは、エスケープ(学校外に飛び出そうとすること)や教員への暴言も散見された。

私が目撃した最もヤバい状況は、荒れ狂った男子生徒が、50代の女性教員を内股(柔道技)で投げ飛ばした、というのがあった。この時代にそんなことあるのかよ、と目を丸くしたが、実際にあって、私のような若い男の教員は、教員としてでなく、シンプルに体力のあるオスとして重宝された。

まぁ、こんな感じの学校だったのである。このままではいかん、ということで急遽、生徒指導研修が開かれることになった。講師はH大学のK教授だった。なんでも生徒指導の専門家で自ら指導困難校をバンバン立て直した経験もある猛者らしかった。

この研修が、素晴らしかったのだ。

「皆さんに生徒指導の基本をお伝えするためにやってまいりました。今日は、1つだけ覚えて帰ってください」

K教授は、鷹揚に、にこやかに、そう言った。

教員という生き物は、絶えず自らの生徒指導力を磨くことに餓えている(だってその方が圧倒的に自分が楽になるから)から、皆、固唾をのんで次の言葉を待っていた。

「1つだけです、いいですか。生徒指導中に、あがらないでください。動じないでください。落ち着いて対処してください。それだけです。それができれば成功です」

会場には、何やら秘伝の言葉が伝えられた!という空気と、何を当たり前のことを言っているんだこの男は!という空気の両方が入り混じった。

「上がった時点で、負けなんですね。落ち着いていれば、絶対に負けない。反抗的な態度をする生徒は、我々を試しているんです。この人は、どれだけの玉の持ち主なのかってね。はっきり言えば、生徒指導はその勝負にかかっている」

K教授はニコニコを絶やさず続けた。

「問題行動するのは、教員を困らせよう、うろたえさせよう、ビビらせよう、怒らせよう、という狙いなんですね。要は、冷静を欠かそうとしているわけです。それはなぜか。そうすることで自分と教員との力関係を周りに示せるからです。例えば、授業中に机の上に足をあげて大声で友人としゃべって授業妨害している生徒がいるとしましょう」

K教授は席に着き、いきなり机に足をあげた。

「はい、じゃあ、そこの人。あなたです。今、授業中です。私を指導して」

指名された教員は、ハッとしてたじろいだ。

K教授は、大きな声で続ける。

「ほら、早く。授業中ですよ?指導してっ!」

その教員は、「え!?聞いてないんですけど。なにこれ、うあー最悪、もうこいつ何なの(汗)」という感情を隠しきれない。

そろそろやめ時か、と誰もが思った時、K教授は、

いまね、ふわっとしたでしょう。やば!ってなったでしょう?

と言ってニヤっと笑った。

「どうしよう!という焦りや動揺を生徒は敏感に感じます。問題行動を起こす生徒の対応で一番まずいのはそれです。あぁ、この教員は底が知れる、と思われてしまう。それが”舐められる”という状態に発展します。いや、失礼。さっきのやつは、私が意図的にしたものなので、仕方ないんです。この場の誰でもああいう反応になったでしょう。さて、次にまずいのは、キレることです。冷静さを失って怒鳴ったり、手を出したりする。手を出すのが一発退場なのは皆さんご承知の通りですが、戦略なしに大声で怒鳴りつけるのは、”負け”です。問題行動をする生徒と同じ土俵に立つことになるので、これも底が知れてしまう。少なくともその生徒と同等、ということになってしまいます。」

妙に納得している自分がいた。

「でね。じゃあどうすればいいか。簡単です。冷静に、動じず、言うべきことを言うんです。そこで今日のテーマですが、足の下に根っこを生やすイメージを持ってください。あるいは、丹田を下に押しやる感じ。あるいは、下品で甚だ恐縮ですが、男性なら金玉を降ろす感じって言ったらわかってもらえるかな(照笑)

またしても納得。この人すげえかも、という気がムンムンしてくる。

「動揺するとか、緊張するとか、焦るとか、キレるとか、これ全部<あがる>っていう1つのイメージがある言葉なんですね。浮足立つ、アガル、地に足がつかない、フワフワする、頭に血がのぼる、腹が立つ、とか。これを沈めるんです。そうすると身体的精神的に<落ち着く>。そうやって、心身を沈めた状態で言うべきことを言う。本当に落ち着いているときの言葉は、不思議と力強いものになる。まぁでも、相手が指示を聞くかどうかはわからないんです。指示が通らないことももちろんある。でも、周りの生徒から見て、あ、この先生は動じていない、しかも言うべきことを言っている、これは底が見えないぞ!信頼できるかも!ということにはなるんです。生徒指導はね、こうやって”負けないこと”と”同じ土俵に立たないこと”で、周りの普通の生徒の信頼を積み重ねるのが王道なんですね」

私は一連の説明を聞いて、あぁ、これは武道なのかもしれない、と思った。生徒指導とは、一朝一夕に身につくテクニックではない。要するに体も心も鍛える必要がある。結局は、総合的な人間力なんだ、と悟った。それにしてもこれほどタメになる研修はない。続いては、実践編だ。

参加者が己を沈めた状態でK教授の扮する生徒に問題行動を正す指示を出す、というロールプレイが組まれた。私の番が来た。授業中という想定。多くの教員が見ている前でK教授は、タバコを吸う真似を始めた。

「あぁ、だりぃな。この授業クソつまらんわ!」

私はまわりの先輩教員に見られているという緊張と、目の前で大の大人が悪態をついている奇怪さに取り乱さないように心がけ、K教授の目をみて言った。

「タバコを消して、授業を受けなさい」

タバコの火を消して、というつもりが、タバコを消してと言ってしまった。

「はぁ?お前みたいなのが指示してくんなよ」

ロールプレイは終わらない。まだまだ許さないってことか。根っこと金玉を意識する。

「いや、だめです。ここは学校です。今すぐタバコをやめなさい」

「じゃあ、ここから出ていくわ、クソだりぃ。文句ねえだろ」

授業妨害するなら出ていけと言うのか、残って授業を受けるよう粘るか、いささかテクニカルな判断を迫られた。別室で頭を冷やせ、と言おうと口を開いた瞬間、周りの教員の目が気になった。「そんなに簡単に教室から出すの?」と思われそうで、つかの間、逡巡した。そして、K教授から目をそらしてしまった。K教授は、ちょっとニヤッとして、

「こういう時ちょっと難しいですよねー」

と我に返って、ロールプレイを終了させた。

まわりの教員にはわからなかっただろうが、最後の瞬間、彼は私に「今、ちょっと迷ったね?少し浮ついたよ」と目で語りかけていた。

私は、ロールプレイの終了にほっとしている自分に気が付き、あぁ、これはまだまだ修行が足りんな、と思わされたのだった。

もう10年以上も前の出来事だが、後にも先にもこんなに記憶に残っている研修はこれっきりである。

今はもう、教員ではなくなり、生徒指導をする機会はなくなったが、ハイプレッシャーな対人コミュニケーション(交渉や面接など)では、この研修の中身が役に立っている。

あれから、地に足をつける感覚を大事にしてきたのだが、最近は瞑想でもこの感覚を大事にしている。瞑想中にお尻から地面に根っこが生えている感覚をイメージすると、なぜかわからないが、とてもうまくいったような気がするのだ。まさに、落ち着くという感覚が腑に落ちるのである。こういう感覚を持つようになって、人前で緊張することが減った。

いざという時、私は金玉を降ろしてお尻から根っこを生やすのが癖になっている。いささか下品に聞こえるが、効果は絶大だ。ぜひ、みなさんもいかがだろうか。

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