水流のロックが好きすぎる件
今日初めて「水流のロック」を聴いた。
ダメだ、良すぎる。
音楽でこんなに感動したは、いつぶりだろう、ちょっと最近の記憶にはない。
久石譲の「Summer」以来の琴線への触れ方である。
自分は、音楽の歌詞にまず注意がいくタイプだ。
そこに魂がなければ、というか、”ほんとうのこと”がなければ、完全に冷めてしまう口である。
それが、この歌詞よ。
なんなんですか、この、天才的な歌詞は。
音楽の歌詞って、メロディがなくなった瞬間に、陸に打ち上げられた魚みたいに悪臭を放つか、クラゲみたいに蒸発して意味を失う。
水流のロックには、それがない。メロディをなくしても詩として完成されている。いや、完成されているというか、超高級品である。
なんせ、つなぎの言葉がない。リズム合わせの言葉もない。
全部がメインディッシュ、全部の言葉に命が宿っている。
ため息しかない。すごすぎる。しょっぱなから、こんなに芸術的な言い回しを見せられたら、そりゃ最後まで聴くよねっていう…
他にも、
ぐっ、と身につまされる。言葉に力がある。
最後は、
この前のパートでは「うそぶいた」で終わってるんですよね。それがもう一度出てきて、「ほんとにしようよ」となって締めくくられる。
この短く少ない言葉の中で、物語まで創ってるんですね。本当に感動です。
で、もちろんその歌詞がピアノ、ドラムによって、声色によって、何倍も魅力的になっている。
メロディが頭から離れません。音楽はずるいよ、うらやましい。
一生聴く音楽かもしれないので、大切にします。
また何回か聴いて寝よ。