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【エッセイ】僕の生ゴミ、ベニーの生首

 外にあるプラスチック製のごみ箱を開けると、黄色いゴミ袋にパンパンの生ゴミから、コバエが数匹出てきて、僕の目先で鬱陶しく舞った。怖いものみたさ、ならぬ、嗅ぎたさで、鼻から少し息を吸ってみると、形容しがたい悪臭が鼻を突いた。生モノの総合的な腐敗臭なのだが、ガスっぽくもある。流れの死んだドブ川から土の臭いを消して、かわりに魚の生臭さと野菜の青臭さを足したような、おぞましい臭気である。

 たった2分弱のこととはいえ、これを車の助手席に載せるのか、と考えると頭がくらくらした。一瞬、ゴミ捨て場まで歩こうかと思ったが、ジリジリと焼け付く炎天下に10分近くもこんなに重く臭いゴミを運ぶ気にはなれなかった。意を決して車へ乗り込む。午前8時過ぎというのにすでに車内はサウナのように暑く、息苦しい。エンジンをかけると外温計は32度を示した。異常だよほんと、とごちりながら、助手席の足置きにゴミ袋をどさっと載せた。バランスが取れず、何度も置きなおして振動が起きるたび、どこからともなくコバエが沸き、踊る。舌打ちして、ドア側に倒し、車を発進させると、さっきよりも強烈な臭気が襲ってきた。思い出したくはないが、今週はエビだのイカだのアジだの買って、意気揚々と捌いたのだった。やつらの殻や内臓が3日間、高温多湿のゴミ箱で熟成されたわけだ。すべての窓を開け放ち、僕はアクセルを強めに踏んだ。それでも足元から湧き上がる臭いは一向に手加減しない。あまりの臭さに吐き気がこみ上げ、涙がにじんだ。アァ、やんぬるかな。とにかく、この時間をやり過ごす情報が必要だ、至急に!芸能人のスキャンダルでも、今夜の献立でも、ナルシスト的空想でも、卑猥な妄想でも、身もだえする黒歴史でも、なんでもいい。何か、何か降りてこい―――

 男は、白いボロ車を荒々しく運転している。蛇行を繰り返し、危なっかしいことこの上ない。なぜかといえば、彼のすぐ隣、助手席に置いてある1つの白い布袋が原因である。袋は何やらドロッとした液体が内部からしみだして汚れており、大ぶりのハエがその袋へ群がろうとしている。どうやら袋から強烈な臭気が放たれているらしく、彼はハンドルを握っていない方の手で鼻を押さえたり、ハエを払ったりしている。車が曲がる際、袋の中で立っていた”中身”がコケて、袋の一部がめくれあがる。彼はそれへ目をやると、今度は激しい嘔吐に襲われ、車はまた大きく蛇行する…
 
 「ガルシアの首」のワンシーンだ。サム・ペキンパーがメガホンを取った70年代のギャング映画である。主人公の名をベニーといい、彼が運んでいるのは懸賞金のかかった男の首である。ベニーは、懸賞金の男がすでに死亡し、埋葬されていることを知っていた。多額の金に目がくらみ、墓荒らしをして首をもぎとり、運んでいるのである。ストーリーの詳細は忘れてしまったが、首を運ぶシーンの描写はあまりに衝撃的で、鮮明に覚えている。この映画で、首は、ベニーの精神的な狂気のメタファーである。冷静で恋人想いだった彼が、欲望に飲まれ、狂人へと変わっていく過程が、首の腐敗の描写と重ねられている。彼は正気を失い、怒りと暴力と混乱の渦巻く破滅へと身を落としていくことになるが、彼の精神構造が一つ壊れるたび、首の生々しい腐敗描写が進む。袋は血や体液でしだいに汚れ、ハエは数が多くなり、最後は腐った首が露出する。その時、ベニーは完全な狂人だ。
(これを観たのは大学生のころで、そのバイオレンスに少し引いたが、記憶に残る鮮烈な作品であることは間違いない。観るなら一人で観ることを強く勧める)

 あぁ、あのベニーの味わった臭いと、今自分が苦しめられている臭いとでは、きっと比べ物にならないほどベニーの方がキツイ(発生原因が首であるという心理ダメージは考慮しないにせよ)だろうと、自分を励ましたが、涙は最後まで止まらなかった。ようやくゴミステーションにコンチクショウとばかり生ゴミを投げ入れた。帰りは、車の速度をさらに上げ、車内空気を全回復させた。ようやく落ち着いてものごとが考えられるようになった。先ほどのベニーの件、ちょっと気になっていることがある。いったい、ベニーの味わった臭さはどれほどのものだったろう・・・

 家に帰ってChatGPTに聞いてみると、面白い答えが返ってきた。臭気指数という不快な臭気を表す尺度があるらしい。どうやら0~50の幅らしく、0が無臭、50が最臭(「さいくさ」と読ませてください)である。ちょっと紹介しよう。

10~20レベルは、「軽い臭気」で、軽い汗、湿った土、室内干しの洗濯物、などである。さほど不快ではない。

20~30レベルは、「やや不快だが耐えられる臭気」で、軽いかびの臭い、たばこの煙、掃除前のペットゲージの中、などが該当する。確かに、まぁ、耐えられそうだ。

30~40レベルは、「不快で気になるレベル」で、下水の臭い、公衆トイレのアンモニア臭、台所の排水口、などがランクイン。シンプルに不快である。

40レベル以上は、「非常に不快で耐えられないレベル」で、ドリアン、ラクダのチーズ、海岸に打ち上げられた腐敗魚、詰まったトイレ、など錚々たるメンツ。ここから生理的な反応(頭痛、吐き気、目や鼻の刺激)をきたすとのこと。

 気になる生ゴミはというと、30~40という判定だった。うむ、一応納得ではある。が、今回僕の運んだゴミは果たして40以下だったろうか。「不快で気になる」というよりは、明らかに「耐えがたい」臭いだった。しかも、吐き気や涙など、生理的な反応もあった。40レベル以上の例に、打ち上げられた腐敗魚があげられているが、では、真夏に高温多湿の密閉空間で3日間放置されたイカの内臓とでは、どちらが強烈か。そう考えてみると、どうやら今回に限っては、臭気指数40以上だったと考えてもよさそうである。

 道理で。危ない、死ぬところだったぜ。もしかすると、臭さだけでいうと、ベニーと僕にそんなに差はなかったかもしれないな。人は、何でも数値化すると体験を客観視できるようになるものだなぁ、などと分かった風になりつつ、好奇心で次のように書いてみた。

「じゃあ、50レベルってどんなのがあるの?」
「50レベルは耐えがたいレベルを超え、強い不快感や生理反応を引き起こすものです。自然界や人口的な環境で発生する。最も強烈な臭いは以下の通りです。

・腐敗した動物の死骸
・硫化水素(腐った卵のやつ)
・ホタテガイの腐敗臭
・高濃度アンモニア

 固有名詞を出されるホタテガイが気になるところだが、それは横に置いておいて、King of 激臭の筆頭は、動物の腐敗臭のようだ。とすると、やはり「墓から掘り起こした首」という腐敗した動物を運んでいたベニーは最凶の臭さと対峙していたといえる。
 今回の勝負、我が家の生ゴミが臭すぎて思いのほかいい勝負になってしまったが、臭さ我慢比べは、その質をとっても、晒された時間をとっても、軍配はベニーだ。ありがとう、ベニー。今回は君のおかげで試練のゴミ出しをやり遂げた。では、(会いたくないけど)また会う日まで!!


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