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家族の定義 令和編

最近、家族とは何か?ということをよく考える。

家の近くに子供や孫がいて、取りざたするほどの大きな問題もなく生活できているというのは、ありがたいことなのだと思う。

家族がいるからココロの支えにもなっている。家族がいるから、何かの時には助け合える。喧嘩してもすぐに仲良くなれるのが家族。

そんな便利な人間関係を「家族」と呼んでいる。

でも、これからはそんな便利な人間関係が

だんだんなくなっていくような気がしてならない。

そもそも、家族という概念が時代とともに変わってきているからだ。

よく考えればわずか70~80年位前までは

個人より一族とか家系とかが大事であり

個人の意思など塵みたいなものだったでしょ。

そして60年前くらいの私たちが子供の頃はどうだったかというと、、

家族というイメージの中におじいさんやおばあさんの存在がかろうじてあった。

まだ一緒に暮らす人たちもいたからね。

実際私自身、子供の頃のことを考えると、家族というのは両親と兄弟を指すのであって、田舎のおじいちゃんやおばあちゃんは家族に入ってはいない。

それは一緒には暮らしていなかったから。昭和の核家族のはしり。

孫が描く家族の絵には、私は入ったり入らなかったりしている。多分孫から見たら準家族的な存在なのだろう。私としては十分それで嬉しいこと。近くにいても、一緒には暮らしていないから当然のこと。

そう考えると、一つの家に一緒に暮らすのが家族という定義になりそうだ。

当たり前だ! ツッコミされそう

こうして日本の家族の在り方が変わりつつあるけど、

欧米なども「血縁」を重視した家族の在り方が、大きく変わり始めている。

だって、血縁がなくても、Chosen Hamilyと言って、自らの意思で家族のメンバーを選び共に暮らすという新しい概念が生まれているそうな。

お互い都合の良い、心地よい相手を選び共に暮らす。

中にはあえて恋人ではない人を、

一緒に暮らす相手に選ぶ場合もあるという。

う~ん、わかるようなわからないような・・・

日本も世界も、家族は進化してる。

お父さんお母さんと子供という核家族から、さらに進化して。進化と呼ぶのかどうかはわからないけれど

最近では男同志がお父さんとお母さんの役割を持って暮らすという同性婚という選択しもある。ジェンダー平等という考え方から、文化や性の価値観、家族そのものの概念がもすごい勢いで変わりつつあるということ。

昔はおじいちゃんおばあちゃんは弱いものに見えていたから、

大事にしなけりゃいけないと思っていたけど、

今のおじいちゃんおばあちゃんは元気でたくましいしね。私を見たってわかる(笑)

そういうことをイロイロ考えると、

今の(昭和から平成につくられた)家族という概念に甘えてはいけないのではないかと思い始めている。

家族というのは特別な関係ではなく、

今の今を一緒に作っていくものだから、

他人様だと思った方がいいってことだ。

夫婦にしろ親子にしろ、一番近い他人様なのだと思えば、

少しは関わり方が違ってくるはずだわ。

家族というのは特別なものではないってこと

家族だからって依存してしまうと

最悪な関係になってしまうんだな

だって昔のような便利な人間関係だと思っていた家族の概念はひょっとするとそう思っているのは自分だけで、世の中は大きく変わっていて。

気が付かない自分は、まわりの大きなお荷物になってしまってるかもしれないね・・・

家族がみんな幸せになるためには、

少しばかり努力が必要ってことね。

令和の家族の定義は広義な捉え方によって

共に助け合って幸せを作るチームってことかな


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