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夜明け前の鱗粉
グループで分けて置いてあるのに、乱雑に置かれた物が室内をだらしなく見せる。
もうすぐ私が住むことになるこの家で私は、「ただいま。」とも、「おかえり。」とも言わない。
帰宅(というので会っているのだろうか?)した今、地上波ではちょうどゴールデンの時間だろうか。パパのリビングにある大きなテレビはついていない。
空いてる場所にcoenのトートをどさりとおろした私は、今朝職員に届けてもらった化粧台に、どのように化粧品類を入れようか。と迷っている。
職員といったがそれは、私が住民票を置いている児童養護施設の職員のことである。
化粧台の中は浅く、ヘアオイルなどどう仕舞おうかと、決めあぐねて閉じた鏡の上に置いた頃。
テレビをどこに置こうかと、パパが自分の部屋からリビングのとは違う私のためのテレビを持ってくる、新品ではなく中古だが。
ご飯を食べる。父方のおばあちゃんが作ってくれたロールキャベツ。今は11月。ジップロックに入れられて、自転車に揺さぶられたあとだから幾分冷めてたけど、レンチンしたらちょっとは美味しい気がした。
お風呂に入った。昨日は入ってなかったので入浴前のシャワーを念入りに済ませた。湯船は自分好みの香りがするし、それはなんだか不思議な気持ちがした。
夜、父と話す。時間は見てなかった。何が興味あるのか、お互い全く被らないから、適当に面白い動画を見せ合う。何が面白いか。どれがつまんないか。そういう、価値観を知れるのは少し嬉しくもある。目の前で笑う父は、私の養育費を滞納していたけど。まあ、いくらか満足したら私の言いなりから解放してやろうかな。
明日仕事の父は、時間になったようで寝た。
深夜、落ち着かない。今日も色々考えた。
脳がなかなか元気だった私は、開かれたキャリーケースの中身からどうにかしようとした。が、なんかその気がおきない。私は、とりあえずの場所に置かれた縦に長い引き出しの移動を考えた。
息をついてやっと終わった移動に私は何か物足りなさを感じた。そうだ、キャリーケースもしまってしまおう。カーペットの上にぱっかりと開かれたキャリーケースは、今回の1週間にわたるお父さんちへの外泊のために、昨日の夕方まで物でぎっしりだった。今はさっき脱いだ服や仕舞う場所がなかった服が適当に置かれていて、それをタンスにしまった。
やっと、腑に落ちた。ここに住むことになることが。服をヒノキのタンスにしまいながら私は、いろいろなことを考えていた。父親が母の旦那だった頃のこと。母のこと。父のこと。私はかすがいにはなれなかった事。それは、泣くのにすんだことで、私はそれを頭の中で整理していた。おばあちゃんがくれたニットと一緒に。
おばあちゃん、というと、今日は私の振袖が決まった。今私は18歳。大学一年生なので、再来年の1月が成人式当日である。気に入った帯に、無地の花色が波打つ反物を選んだ。これが私である。と胸を張って言えるような振袖。それを買ってくれたのがおばあちゃんだった。
かすがいには、なれなかった私は、
昔なぜか『子はかすがい』という慣用句を
『子は蝶番』と勘違いしていた。いつの間にかかすがいにすり替わって覚えていたが、
どちらにしろかすがいにも蝶番にもなれなかったのである。でも、ネジの外れた蝶番には羽があるんだろう。
化粧台、テレビ、引き出し、タンス。これらは施設を巣立つ私のためにnpo団体の方が寄付を集めて来てくれたものだ。小さめの可愛らしいヒノキのタンスや、重厚感がある横長の化粧台、細かなものに便利そうな引き出しも、結局ちょうどよく収まったテレビも、前に使っていた人がいるのを考えると、その綺麗さに大事にされてきたんだなと思う。また、それが私の元に渡ってきたのも感慨深い。
2024/11/23/05:35