【つながる旅行記#115】続縄文を感じる手宮洞窟へ
前回はおたる水族館を楽しんだ。
さあ、では小樽の市街地へ向けて歩いていこう。
途中でなにかあったら良いなと期待しつつ。
時折スマホを見ていてなんとなく目的地が定まった。
現在向かっているのは手宮洞窟である。
「街の中に洞窟?」ということに興味が惹かれたのもあるが、一番は続縄文時代の文化にかかわる場所だからというのが理由だ。
北海道の特徴である続縄文、ここで触れておかねば。
Googleマップにしたがって歩いているわけだが、なんかすごい道だな。
坂を上っていく。
しかしホントに旅行したら高いところに行ってばかりだなと思う。
城といい山といい……。
旅行とは高いところへ行く行動なのかもしれない。
たどり着いた。
洞窟があるかと思ったら、わりとしっかり建物があった。
中が気になる。さっそく入ろう。
まさかのホログラムでの解説。
(ラスコー洞窟に行ったりする)
さて、この手宮洞窟はそんなに大きい洞窟ではないが、発見されてからはあの榎本武揚も来ているようだ。
この洞窟でなにが発見されたかといえば、洞窟壁画である。
榎本武揚が現在の東京大学にこの壁画を送ったことで、有名な研究者がいっぱい来ることになったとかなんとか。
では、ご覧いただこう……!!
?
カメラの腕前がヤバすぎて撮れちゃいない!
いやもちろん暗いからコンデジじゃ厳しいのもあるけども……!
ま、まあ写真はどうでもいいとして、自分の第一印象は「デカい」だった。
もうちょい小さい感じかなと思っていたが、しっかりわかる大きさだ。
最初は「文字説」が出たらしいが、この大きさだと絵に見えるかもというのが正直なところ。
しかし相当に独創的な絵だ……。
人間を描くなら普通は頭に描かないであろうパーツを、大半が装着しているようにみえる。
被り物か何かだろうか?
面白いなぁ。
(キミどこかでダンス踊ってなかった……?)
ここで唐突にそば会席小笠原のHPを貼らせてもらう。
手宮洞窟について検索したらなぜか出たサイトだ。
サイトに行ってみると、昭和25年(1950年)に小樽図書館が発行した手宮洞窟についての資料が紹介されていた。
そこには榎本武揚が東京帝大に報告したことや、その後ミルンによって模写されたときには、発見後も続けられていた石材探索によって彫刻が壊されていたことについて書かれている。
ミルンのあとにも開拓使が訪れて壁画を模写しているのだが、そこでは明らかにミルンの模写とは異なり、線が増えて形が変わっていた。
資料では、誰かのいたずらで付け加えられたのだろうと語られている。
マジか~いたずらで変わっちゃったか~……
……と思ったら、どうやらそうではないらしい。
この資料の発行から9年後の1959年。
小樽の西方20kmでフゴッペ洞窟が発見される。
そこにも同じように洞窟壁画があり、それを見ると開拓使の模写図と類似した造形が出てきたのである。線や形が変化していたわけではないのだ。
なぜならいたずらをしようにも、フゴッペ洞窟の壁画は殆どが土砂に埋もれていたので、さすがにそれは無理があるからである。
つまり結論を言うと、
ミルンの模写図が簡単に書きすぎちゃってたのである。
よかった…いたずらした人はいなかったんだ……!
そんな感じで、やはり歴史は一筋縄ではいかないものだ。
(参考サイトに感謝を。↓)
ということで、古代の人々の息吹を感じられた気がする手宮洞窟。
今回も良い知識を得られた。
フゴッペ洞窟もそのうち行かないとだ。
……さて、それでは博物館へ行こう。
さっき上から見えていた謎の電車的なものは博物館のものだったのだ。
というか博物館、手宮洞窟の目の前にある。
手宮洞窟の入館料は100円。
博物館と一緒に、是非お越しを。
あ、最後に1つ言いたい。
Googleマップくん、
坂のぼる必要なかったよね?
AIにおちょくられつつ、次回へ続く…