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【つながる旅行記#305】平和記念公園と原爆ドームへ【広島】
前回は袋町小学校で原爆による悲しい歴史を知った。
今回も引き続き広島市を巡っていく。
目指すのは平和記念公園だ。
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歩いていたら、なにやら意味ありげな像を発見。
どうやら『原爆の子の像』というらしい。
手を広げたポーズにはどんな意味が……と思っていたら、これは折り鶴を掲げている姿だったようだ。
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この像の建立のきっかけになった佐々木禎子さんは、2歳のときに爆心地から1.7kmの地点で被爆した。
爆風で吹き飛ばされはしつつも奇跡的に火傷もしていなかったらしいのだが、10年後になって白血病だということが発覚。
禎子さんは病気が治ると信じ、折り鶴を折って祈り続けたが、入院から8ヶ月後に亡くなった。
これを知った彼女の同級生たちが、原爆で犠牲になった全ての子供の霊を慰めるために作ったのがこの像だという。
爆発直後だけではなく、その後の長い年月にわたって人々を苦しめ続けるのが原爆なのだ。
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さて、それでは資料館へ……
な、なんだあのクレーンは?
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なにやら式典の準備で色々やっているようだ。
でも平和式典は8月6日にやるものらしいので、これはその後片付けとかだろうか?(※この旅行記は2017年8月10日のもの)
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そしてここで悲報なのだが、この旅行をしている2017年当時は、広島市平和記念資料館は絶賛リニューアル中である。
本館は観覧不可となっており、東館しか見れない。
下調べしてないのかって?
え、あ、その……
人生は自分の思い通りにはならないのである!!
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そんなわけで先に原爆ドームを見に行こう。
……しかし広島の原爆被害を象徴する存在である原爆ドームだが、実際に自分の目で見る時が来るとは思わなかったな。
巡り合わせに感謝しよう。
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原爆ドームに行くついでに、相生橋(あいおいばし)も見ておこうか。
これもまた原爆を語るうえで外せない存在なのだ。
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T字形が特徴的な相生橋だが、上空からもわかりやすいこの形から原爆投下の標的として使われたらしい。
この橋のすぐ近くにあるのが原爆ドームだ。
橋からも普通に見える。
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それではいよいよ原爆ドームへ。
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今は原爆ドームと呼ばれるこの建物だが、元は広島県産業奨励館と呼ばれていた。(設計はチェコ人建築家のヤン・レツル)
原子爆弾は相生橋を標的に落とされたのだが、風に流されてこの建物の南東160m、高度600mで炸裂。
衝撃波で周囲の建物も人も押しつぶし、熱線であらゆるものを燃やし尽くした。
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原爆ドームも鉄骨部分を除いた木造の部分は爆風によって一瞬で潰され、中に居た人たちは一人たりとも助からなかった。
今残っている遺構は一部の鉄骨部分と壁が厚かった部分のみであり、建物の大半は失われているのだ。
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現在は世界遺産となった原爆ドームだが、当時は「危険な構造物であり、被爆の悲惨な思い出を蘇らせるから取り壊せ」という意見もあったという。
しかし徐々に広島の町が復興していく中で、市議会は原爆ドームを保存することを決議する。
内外からの平和を願う寄付金により保存工事が行われ、現在でもこうやってかつての悲惨な出来事を実感できる場所が残されたのだ。
自分としては、保存を決めてくれたことに感謝したい。
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それでは、唯一見れる東館を見学するとしよう。
相変わらず考えはまとまらないが、この経験がいつか糧になると信じて。
次回へ続く……
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