【つながる旅行記#275】清水港と缶詰と最低賃金【フェルケール博物館】
前回はフェルケール博物館で清水港とお茶に関わる歴史を知った。
なお、清水港はその後も発展を遂げ、かつては三保半島の先端辺りまで鉄道が伸びていたという。
また当時は艀(はしけ)を使った運搬が主体だった中で、テルファーというクレーンを用いて貨物船から貨物列車へダイレクトに荷物を積み込んでいたとか。
今ではガントリークレーンで船からコンテナを陸に移して、それをトラックに積み込みだが、昔は昔でこういうものが存在したのか。
そしてお茶だけではなく、1929年に静岡水産試験場でビンナガマグロの油漬け缶詰が開発され、翌年にはアメリカへの輸出が始まる。
なお、マグロが獲れない冬にはミカンの缶詰を製造し、1年中缶詰を製造する状態を作り出すことに成功したというから、なかなか抜け目がない。
……そして時代はコンテナ輸送に切り替わり、港も大きく変わった。
地球深部探査船「ちきゅう」の母港も清水港だったりするし、現在では大型のクルーズ船が寄る港としても清水港が選ばれている。
何千人ものクルーズ客が乗った船が来たら、そりゃもう街は賑わうことだろう。
やっぱり港をしっかり開発したのは正しかった……!!
その他にも和船を再現している展示があったりと、港と船についてしっかり学べる。
そんなわけで大満足で館内の展示を見終わったと思ったら、外になにやら別の建物を発見。
なんだこれは……?
このモダンな建物は、清水の缶詰業界を盛り上げた清水食品株式会社の創建当時の本社らしい。
それがいまでは「缶詰記念館」としてここに残されているようだ。
まさか船や港だけでなく缶詰の知識まで学べるだと……!?
そしてその片隅に置いてあるのは、なにやら女工っぽいレリーフ。
これは「最低賃金全国第1号記念碑」だそうだ。
静岡県内の缶詰業者は1956年に全国で初めて、最低賃金を設定する協定を業者間で結んだ。
これは国による最低賃金法の施行(1959年)に先んじたものだったという。
石碑の裏には、「労働条件の改善が企業の発展をもたらすことを確信して協定締結を行った」……とかいうことが書かれているとかなんとか。
うんうん。
労働者がしっかりした収入で安心して働ける環境って大事だよね!!
ところでその最低賃金とやらは、当時生活するにあたって満足行くレベルの金額だったのかというと……?
・・・
(^^;)
……では、建物の中に入って缶詰のあれこれを見ていくとしよう。
しかし港について学びに来たと思ったら缶詰の話になるとは思わなかった。
いや、これも清水港の辿った歴史の重要な1ページなのだ。
そしていつものごとく、必ず何かしら得るものはあるはず。
そんなわけで、次回へ続く!