『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第62回
『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載62回 辻元よしふみ、辻元玲子
◆キャプテンの由来は「斬り込み隊長」
海軍軍人の制服が史上初めて定められたのは一六六九年、ルイ十四世時代のフランス海軍でのことだったという。しかし、その後の世界的な影響力の大きさから言えば、なんといっても英国海軍の制服制度が世界の標準となったといえる。
英国海軍が制服を規定して、近代的な士官の階級を整理したのが一七四八年で、海軍の階級と、陸軍の階級のすり合わせが行われたのもこのときだ。
そしてこの時から、われわれ非英語圏の人間から見て非常にややこしい話、つまり「どうして陸軍大尉と海軍大佐が同じキャプテンCaptainという言葉で呼ばれるのか」という問題も発生したのである。経緯を理解しているから、英語圏の人には問題がないのだろうが、英語の文献を翻訳する日本人など、キャプテンが出てくるたびに、その人物がどの組織の何者なのか、熟慮する必要がある。
なぜなら、野球チームの主将も、生徒会長も、陸軍大尉も、海軍大佐も、また階級にかかわりなく軍艦の艦長(これが決定的に困る。海軍大佐なのか、中佐や少佐だけど艦長なのか区別がつかないのである)、さらに民間の船の船長、おまけに航空機の機長、アメリカでは警察の警部まで同じキャプテンである。
元々は「隊長」という程度の意味しかなかった言葉に、後でいろいろな意味合いが加わったための紛らわしさなのである。
しばしば日本の翻訳家が、英語の戦記小説を翻訳していて、混乱しているのを見かける。実際、陸海軍のキャプテンが同時に出てくると、どっちが上官だか分からなくなってしまったりする。
日本語は明治時代に、すでに完成した西欧式のランキングに日本語訳をつけたから整然としており、将校については少尉、中尉、大尉、少佐、中佐、大佐、と順番に偉くなるのが一目で分かる。「大」と「少」では大の方が偉いのはすぐ見当がつく。現在の自衛隊幹部の(下位から順に)三尉、二尉、一尉、三佐、二佐、一佐という序列は、三佐と一佐のどっちが偉いのか、分からない人には判断できない。
が、西欧では、陸軍と海軍がそれぞれ別々に、おのおのの階級を決め、後ですりあわせて「海軍のキャプテンは陸軍のキャプテンではなく、コロネルと同格」などと決めた。それで整然としていないのである。
随分と前になるが、『イングランド海軍の歴史』(小林幸雄)を読んで初めて知ったことがある。中世までは、船同士の戦闘というのも結局は斬り込み隊によるチャンバラだったため、船に乗り込む騎士団の指揮官、これは基本的に陸の人である、これが船の最高責任者でもあったという。その呼び名は騎士団の隊長という意味の「キャプテン」であった。後に陸軍大尉の意味になるのは、直接にはこの騎士団の隊長としてのキャプテンである。
一方、船を操る船乗りのリーダーはマスター(航海長)と呼ばれていたそうだ。そして、マスターはあくまでもキャプテンの部下で、補助的な役回りであった。
その後、軍艦が大砲で撃ち合いをするようになると、斬り込み隊でなく全体を統括する「船長」あるいは「艦長」が必要になり、これがキャプテンと呼ばれるようになった。斬り込み隊長、という言葉がここで艦長の意味になったわけである。さらに艦長を補佐する士官を「リューテナント」Lieutenantとして配置した。本来の語意は「代理」とか「補佐官」という程度のものだ。
◆無理な陸海軍のすり合わせ
その後、捕獲した敵艦や軍籍に入れた商船などを指揮する代理指揮官として、正規の艦長より一格低いマスター・アンド・コマンダーという階級が出来た。直訳すれば「航海長兼指揮官」である。先に挙げた『イングランド海軍の歴史』によると、当時は、大型艦以外に航海長は置かない風習だったため、だという。
その後、小型艦でも航海長を必ず置くようになったので「マスター・アンド」という但し書きが無用になった。それで単にコマンダーCommanderという呼び名となり、キャプテンの下の階級として定着した。
海軍の規模が大きくなると、徐々にポストがたくさん必要になる。会社でも、部長と課長の間に次長が出来、さらにその下に次長補佐とか次長心得とか、中間的な役職が増えていくのと同じことだ。それで、リューテナントとコマンダーの間に、古参のリューテナントの昇格ポストとしてリューテナント・コマンダーが出来た。リューテナントの下にもサブ・リューテナントが出来た。これで五階級である。
こうして、陸軍とは微妙にずれた階級制度ができてしまったのだが、後になって無理にすり合わせたのである。一七四八年当時は、まだコマンダー(あるいはマスター・アンド・コマンダー)という階級が海軍側になかったため、陸軍の大佐、中佐に相当するランクを設けるために、ベテランの艦長を陸軍大佐相当、新任(五年未満)の艦長を陸軍中佐相当とした。さらに少佐にあたる階級も海軍にはなかったので、実際に艦の指揮を執っている艦長をポスト・キャプテン(正規艦長)として、艦長資格はあるが、まだ自分の艦を持っていない士官を少佐待遇の艦長、と分類した。
しかし徐々に海軍の階級も増えていき、最終的にはコロネル(陸軍大佐・連隊長)=キャプテン(海軍大佐・大型艦艦長)、リューテナント・コロネル(陸軍中佐・連隊長補佐または大隊長)=コマンダー(海軍中佐・大型艦副長か小型艦艦長)、メジャー(陸軍少佐・大隊長)=リューテナント・コマンダー(海軍少佐)、キャプテン(陸軍大尉・中隊長)=リューテナント(海軍大尉)となった。
ちなみに、大佐より上の将官については、当時の戦列艦が縦に並ぶ陣形(単縦陣)を組んだ場合、先頭と後尾に補佐の司令官をおき、真ん中に全艦隊の司令長官がいる、ということになっていた。それで真ん中がアドミラル(提督)、先頭にヴァイス・アドミラル(副提督)、後尾にリア・アドミラル(後部提督)と三階級を設けた。これが陸軍のジェネラル(大将)、リューテナント・ジェネラル(中将)、メジャー・ジェネラル(少将)とちょうどつり合うので、それぞれ同格となった。
さらにまた、大佐よりは上だが少将よりは下という階級が出来た。陸軍のブリゲイダーあるいはブリゲイド・ジェネラル(旅団長=准将)にあたるものだ。コモドー(コモドーレ)という階級で、同格とされた。これは海軍代将(だいしょう)と訳されるが、日本海軍にはなかった。
軍人として最高位のフィールドマーシャル(陸軍元帥)にあたるものはアドミラル・オブ・フリート(艦隊提督=海軍元帥)という。これは全艦隊の司令長官の意味である。
後に英国の軍服の元締めとなったのが、ロンドンのサヴィル・ロウにあるギーヴス&ホークス社である。一七七一年に創業したギーヴスはネルソン提督の制服もあつらえたのが自慢であり、一七八四年にできた陸軍制服専門のホークス社と後に合併、陸海軍の将校制服を一手に引き受けることとなった。もちろん、その後はサヴィル・ロウでも最高級のテーラーとしてスーツやジャケットを作っている。
先にも述べたとおり、将校の制服は注文服なので、その後の背広の仕立て技術の基本やドレスコードがサヴィル・ロウから出てくるということは、基本は軍服にあり、ということの証左である。
ということで、話は随分と飛んだが、レジメンタル・タイなどというときには相当の裏付けがあるネクタイであることを理解していないと困ったことになる、ということだ。レジメント、つまり連隊というのはきわめて格が高い、という認識が西欧人にはあるということを確認したかったのである。