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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第92回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載92回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

老舗「トリッカーズ」の由来をたどる

なんといっても靴、それもいわゆる「本格靴」といわれるものは英国製かイタリア製、とされる。長年の伝統の厚みや製造者の多さから言って、英国とイタリアの優位は今も揺るぎないだろう。
特に英国は、伝統ある老舗ブランドが非常にクオリティーの高いデザインと製法を受け継いで生産を続けていて、他の追随を許さない。もちろんグッドイヤー・ウェルト製法を完成させたチャールズ・グッドイヤー二世の故国アメリカにはアレン・エドモンズやオールデンがあるし、乗馬文化から来たウエスタン・ブーツにも素晴らしいものがある。フランスやドイツにも個性的なブランドが多数ある。日本だって技術的な水準は高いし、若手のシューメーカーからは世界的な水準の逸材も輩出しつつある。近年は、東欧やスペインなどの新興ブランドにも目を見張るような高品質のものが現れている。とはいえ、質・量・実績でいえばイギリスの優位は動かないだろう。
英国のノーサンプトン市はかつて大英帝国陸軍が世界を股にかけて活動していた時期、軍靴製造の中心地として栄えた。そもそもは清教徒革命の立役者、護国卿オリバー・クロムウェル(一五九九~一六五八)が軍靴量産をこの地の靴メーカーに委託したのが隆盛のきっかけといい、きわめて実用的で頑強なグッドイヤー式の靴が開花したのが英国であるのは、やはりタウンユースではなくミリタリーの影響だった。
今でもこの地には、英国靴を代表する老舗のジョン・ロブ(一八四九年創業)、エドワード・グリーン(一八九〇年創業)、チャーチ(一八七三年創業)、トリッカーズ(一八二九年創業)、クロケット&ジョーンズ(一八七九年創業)などが拠点を置いている。ノーサンプトンは「靴の聖地」とまで言われるゆえんだ。
エドワード・アルバート皇太子にブーツを献上して名を上げたジョン・ロブは、今でも世界の靴ブランドの最高峰のひとつに数えられている。そのパリ支店はその後、エルメスの傘下に入り、現在、高級既製靴を世界的に展開しているのはこちらの方だ。そもそもエルメスも馬具商で、現在も乗馬ブーツの特注に応じているほどだから、相性はいいのだろう。
これらのそうそうたる靴メーカーの中でも、現在まで続いている英国靴ブランドで、創業の時期が古く、今日まで経営の独立を保っているのはトリッカーズだ。一八二九年に創業したという。日本で言えば文政十二年、寛政の改革で知られる松平定信が亡くなった年である。創業の古さだけなら一七五〇年創業のヘンリー・マクスウェルがあるが、二〇〇〇年にフォスター&サンに吸収された。あのウェリントン公のブーツを作ったピールも一七九一年創業と古いが、経営破綻後、ブランド名を他社に譲った。ドイツに行けば一五九〇年代に創業したエデュアルト・マイヤーのような超老舗も存続しており、日本でいえば豊臣秀吉の時代というから恐れ入ってしまう。
そうした中でも、二百年近く、独立ブランドを保って靴を作り続けるトリッカーズは見事なブランドだと思う。ことに野趣あふれるカントリーブーツと言えば、今でもトリッカーズは他の追随を許さず、まさに独壇場と言える。屈強な作風は「最強の実用靴」などといわれる。
トリッカーズの直営店には、王冠に三本の鳥の羽をあしらった紋章が掲げられているが、これはプリンス・オブ・ウェールズ(チャールズ皇太子。現在のチャールズ3世国王)が同社の靴を愛用していることを意味する。いわゆる「王室御用達」ブランドである。ダイアナ元妃が、皇太子にトリッカーズの製品を紹介したのがきっかけであるようだ。ちなみに元妃はノーフォーク生まれだが、実家のスペンサー伯爵家はオルソープ子爵としてノーサンプトンにも領地を持ち、元妃の墓所もここにあるので、とりわけ縁も深いものがある。
このブランドについては以前、雑誌や情報サイトなどに「一八二九年に靴作りの名人(あるいは達人)ジョセフ・トリッカーがR.E.トリッカー有限会社を設立。以来五代にわたって伝統を守ってきた……」うんぬんとよく書かれていた。おそらく、すべての情報の出所が一つであるのだろう。

創業時は「バルトロップ」社だったか

そこで私は、自分自身もこのブランドの靴を何足か保有しており、愛着も深いので、この会社の歴史の真相について知りたいと思い、いろいろ手を尽くしてみたが、大きなヒントが意外なところからもたされた。それは英国サフォーク州のストウマーケット市の歴史についてまとめた郷土史研究家のサイトhttp://www.stowmarket-history.co.uk/である。
そこには、トリッカーズについてこんなことが書いてある。

ストウマーケット市の歴史と伝統 
一六〇〇年代初期、サフォーク州ストウマーケットには、トリッカーという名の家族がいくつか存在していた。そして、一八〇〇年代前半には、ウィリアム・トリッカーという人物が樽屋を営んでいた。彼の息子のジョージ・フィリップ・トリッカーは、はじめハッチェストンで農業、後にサフォーク州ウィッカムマーケットで馬車の車体作りを生業とした。
フィリップの娘ジェインとクララは、それぞれエセックス州ウォルサムストウ出身のバルトロップ兄弟と結婚することになる。バルトロップ家は一八二九年以来、靴製造業を営んでいた。
ジェイン・トリッカーは一八六〇年にロンドンでアルバート・トーマス・バルトロップと結婚した。アルバート・バルトロップは一八七〇年から一九〇四年まで、ロンドン郊外イスリントンのジャンクション・ロードで皮革販売業を営んだ。
妹のクララ・トリッカーは一八六二年、ウォルター・ジェイムス・バルトロップと結婚し、後に世界的に知られるR・E・トリッカー社を設立した。トリッカーの名は、発音しにくいバルトロップという名よりもよい、という理由で選ばれたものだ。ウォルターとクララは、一八八一年のロンドン市調査によるとベットナルグリーン、ハンチントンブリッジ六三番地に住んでおり職業・ブーツメーカーと記載されている。
一八九一年、ビジネスは拡大し、ノーサンプトンに工場を建てて移転した。一九二五年に彼らの息子のアーネスト・レイモンド・バルトロップがロンドンのジャーミン・ストリートに出店するまでに、彼らの製品は主要な多くの店で扱われ世界的な名声を博した。

こうして見ると、一八二九年に創業した当時、このブランドは「バルトロップ」だったと思われる。その創業者もジョゼフ・トリッカーという名前ではないはずだ。これについては、英国のあるトリッカーズ直営店のサイトに「創業者はジョゼフ・バルトロップで、クレア・トリッカーと結婚した」と明記してある。これが正しいのなら、一八ニ九年の創業者はジョゼフ・バルトロップ氏というのが正解なのだろう。
ただ、「クレア」トリッカー夫人という名はさっきのストウマーケット市の文書には出てこない。あちらに従えば、バルトロップ社は一八六二年にアルバート・バルトロップ(おそらく創業したジョゼフ・バルトロップの後の世代の人物)がクララ・トリッカー女史と結婚して、R・E・トリッカー社と改名したことになる。したがって、日本でいわれている情報は、厳密には不確かだったのかもしれない。
日本では、この会社の野趣あふれるブーツの人気が高い。実際、ジーンズなどと合わせると適度に上品だが適度にアウトドアな造りがマッチして見える。とはいえ、そもそもはドレスシューズのメーカーであり、本国イギリスでは本来、ドレスシューズの会社として認知されているという。
トリッカーズの製品のアッパー(上部の革)はカーフ(子牛の革)、ソール(底革)はオーク(英国でいうブナ科の木、カシやナラなどの総称)の木の皮でタンニングした屈強な革だとある。


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