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『スーツ=軍服⁉』(改訂版)第64回

『スーツ=軍服⁉』(改訂版)連載64回 辻元よしふみ、辻元玲子

ブラックスーツを着るのは日本人だけ?

まず、ドレスコードでいうダークスーツとはなんだろうか。英語の文献を見てもdark suitで検索すれば、ブラックタイ(タキシード)、ホワイトタイ(燕尾服)の指定がない限り、この服装であれば、どんな会合でも大丈夫、とある。本来は無地で、午前と午後でも色合いが違う。また生地についても、毛羽立ったフランネルなどではなくて、つるつるしたウールが礼装としては望ましい。だが、近頃はおおむね、紺かチャコール・グレイのスーツなら、冠婚葬祭、万事OKといってよい。
ここで、人によってはダークスーツ(暗い色のスーツ)を、ブラックスーツ(黒い色のスーツ)の意味だと誤解してしまうかもしれない。ダークスーツという概念は、あくまでも暗い紺色や、黒に近い灰色、というもので、「限りなく黒に近いが、決して黒ではない」色彩のものを指す。あくまでも、ダークなのである。
一方、真正のブラックというのは、本式のフォーマルウエア(つまり燕尾服とかモーニング、タキシードなど)や、それに準ずるコンシェルジュ、ソムリエなど接客業のサービス・ウエアでない限り、国際的にも不祝儀用のもの、もしくは特殊な効果を狙ったモード系の色、とされる。
実際のところ、真っ黒のブラックスーツを「礼服」と称して、結婚式の参加者や、入学式の父兄などが着るのは、かなり日本的な習慣である、と思われるのである。

近代までに三回あった「黒色ブーム」

黒色は古くから喪服の色で、古代ローマではすでに葬儀用の黒いトーガが存在した。その後の欧州では、主にキリスト教修道士の色であった。すなわち、黒と言うと、まずは宗教的なものが想起された。科学染料が登場するまで、真正の黒色というのは決して出しやすい色ではなく、そういう意味でも、誰もが着られるものでもなかった。
一方でまた、昔の社会において人数的に少なかった知的職業人、つまり金融家とか法律家、医師、学者といったキャリアの人たちは、黒を着るべきもの、とされた。
そして十四世紀、ブルゴーニュ公国の君主フィリップ三世(善良公)は、暗殺された父の死を悼んで黒ずくめの服装を通したが、これがシックだといわれて一般に広まり、大流行した。これが第一次の黒色ブームである。
次いで、フィリップの孫娘が嫁いだスペイン王室でも、その黒色ブームは受け継がれて、十六~十七世紀のスペインで第二次黒色ブームが起こった。うち続く戦争、重苦しい宗教的な規範、疫病などの世相の中で、これはかなり長い間、続くものとなった。
そして十九世紀、英国でボー・ブランメルが、紳士服を従来よりも暗い色に統一する着こなしを提唱し、同世紀の後半に入って、夫のアルバート公の死を悼んだヴィクトリア女王が喪服ばかり着るようになった結果、欧州全体で第三次の黒色ブームがわき起こった。すでに時代も変化し、知的職業、キャリアの人たちも人数が増えて、むしろ都市生活では多数派になったから、黒色が生活の中心になったことには、無理はなかった。十九世紀後半の人々は、世界中でほとんど、黒いフロックコートや燕尾服を着て過ごした。
だが、すでにその時代、現在のスーツの原型、いわゆるラウンジスーツとか、サックスーツと呼ばれるものの色柄は、もっと多彩であった。こうしたスーツにおいては、もともとがハンティングウェアだったこともあり、決して黒がもてはやされなかったのである。夏場には明るい色を用いたし、ストライプやチェックの柄生地も当たり前であった。
それ以後、とくに二十世紀にはいると、多彩なスーツ姿が主流になり、黒ずくめのフロックコートや燕尾服はフォーマル、と認識されるようになる。こうなると、日常的に黒ずくめの人は、古臭くて異様、と見なされるようになってくる。背景には、染料技術の進化で多彩な色が出しやすくなったこと、そして重苦しいヴィクトリア朝時代を経て、もっと明るくて軽いものが流行するようになったこともある。
二十世紀中盤にかけて、黒ずくめのプロイセン軽騎兵や、ナチス時代の親衛隊の制服など、かなり特別なものを除き、黒ずくめの服装が一般化されることはなかった。男女を問わず定期的に、黒い着こなしが流行として持ち出された。たとえばココ・シャネルは黒いドレスで戦間期のファッションに衝撃を与えたが、それは彼女が修道院育ちで、シスターたちの着ていた修道服の黒色に親しみを持っていたからだともいう。また、土地柄というものもあり、概してパリやニューヨークなどはいつも黒色の人が多いが、イタリアやイギリスでは、もっと明るい色や、茶色系などが流行った。
この時期、黒色が流行るという場合でも、それは大抵、ほかの人たちがカラフルな中で黒を着るのは効果的だからであった。それはボー・ブランメルのやったことと思想は同じもので、要するに「色で主張しないことを主張」したのである。二十世紀末になるまで、みんながみんな黒一色、というほどの黒色ブームにはならなかった。


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