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12月メンバーシップ小噺 年越之夜
今年がもう終わろうとしている。
人間というのは懸命になっているほど体感する時間は短くなり、暇を持て余しているほど体感時間は長くなるという。
県庁の一職員として職務に励んでいた時にも一年は瞬く間に過ぎ去っていたが、特別対策室の室長を拝命し、日々を過ごすようになってからは瞬く暇もなく一年が終わる。命がけの日常を繰り返していれば、当然かもしれない。
大晦日の高速道路をひた走りながら、私はカーナビの到着予測時刻に目をやる。
「……どう考えても間に合いそうにありませんね」
温かい部屋で除夜の鐘を聞きながら年越しそばを食べる、と千早君と話をしていたのだが、どうやら叶いそうにない。
助手席へ目をやると、座席を後ろへ倒して白目を剥いた千早君が寝息を立てている。控えめに言っても全身くまなく汚れているので、どんな店であっても入店はできそうにない。
私は比較的無事といっていい恰好をしているが、眼鏡のレンズが片方落ちてしまい、髪の毛が一部焦げてしまっているので人前に出るのは憚られた。
時計に目をやると、年越しまで残り一時間を切っていた。
今年はおせちの準備をする暇もなかった。せめて黒豆は手ずから用意したかったが、早々に諦めて料亭に手配したのだ。
当たり前のことだが、怪異には曜日感覚や祝日などの概念はない。つまり年中いつでも被害が出る。依頼者が相談へやってくる。仕事は減らない。
特に今回の依頼は現場が恐ろしく遠方なうえ、陽が沈んでからでなければ呪具が現れない為、とにかく時間がかかってしまった。
紆余曲折あって事件を解決し、依頼人と別れて家路についたのがつい一時間前のことである。いっそ何処かのホテルに泊まって帰りたかったが、大晦日に予約もなく入れるホテルなどない。
泥のような眠気がハンドルを握る私の脳を、じわじわと侵していく。
「だァっ!」
急に千早君が奇声を発して飛び起きたので、悲鳴をあげそうになった。
「ど、どうしたのですか。急に」
千早君は悪夢でも見たのか。車の後部座席を睨みつけて、それから心底落ち込んだ様子で頭を抱えた。
「――嫌な夢を視た。最悪な夢」
「夢、ですか」
「夜行堂の店主が元日の夜におせち買ってこいって言うんだよ」
「……それ、多分夢だけど夢じゃないです」
「やっぱり? うわぁ、面倒くせぇー」
あの店の店主なら、夢の中に現れるくらいするだろう。もうそれくらいのことでは驚かなくなっている自分に笑ってしまう。
「うちのおせちを少し分けて持参しましょうか」
「えぇ……。今回は夜行堂に用件なんてないだろ」
「普段からお世話になっているじゃありませんか。お年賀と思ってご挨拶には伺うべきですよ」
「年明け早々、屋敷町まで出向くのかよ。せっかくの寝正月が台無しになる」
「そんなダラダラと過ごしていたら、一年中そうやって過ごすことになりますよ。一年の計は元旦にありと言うじゃありませんか」
それに、あまり大きな声では言えないが、また夜行堂と我が家を無理矢理に繋げられてしまうよりもずっといい。
「大野木さんって変なとこで母ちゃん出してくるよな。年越しそばも出汁から作るし、雑煮もなんかうるさいし。いや、美味いけどさ」
「うるさいとはなんです」
人がせっかく気を利かせて作っているのに。なんたる言い草だろうか。
「それで? 結局、年が明けるまでに帰れそう?」
「無理です。高速道路上で年越しを迎えることになります」
「行く年来る年が見られない……」
「大丈夫です。紅白と一緒に録画してありますから」
「……大晦日の夜に見るからいいんだろ」
千早君の言うことは一理ある。あの大晦日の夜特有の浮き足立つような空気感があるからこそ、年越しそばや特番が楽しめるのだ。
「つーか、いつ見るんだよ」
いつか見るのだ。
「……夜行堂の店主も今頃、紅白とか見ているんですかね」
「そもそもテレビなんてあるのか?」
「テレビくらい当然……」
具体的に夜行堂の二階の様子を思い出そうとしたが、頭の中に靄がかかったようになってうまく想像できない。そもそも寝起きしているイメージが湧かないというのはどういう訳か。
「藪蛇だからやめとけって」
「……それもそうですね。ラジオでもつけますか? 大晦日の雰囲気くらい楽しめますよ」
「うーん。満喫している連中への嫉妬で頭がおかしくなりそうだから別にいいや」
「帰ったらまず身体を温めないと。食事は何か適当なものを作ります」
私がそう言った瞬間、千早君が慌てた様子でカーナビを操作し始めた。運転中の操作は基本的に千早君に任せているので、戸惑う様子が一切ない。
「大野木さん。ここ。この先のサービスエリアで年越しやろうぜ。ほら、ここならコンビニがある」
思いもしなかった提案に、思わず感心してしまった。インスタントのカップ蕎麦ならお湯を入れるだけで、屋外でも食べることが出来る。
「冴えてますね。千早君」
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