[ためし読み]『ガーナ流 家族のつくり方 世話する・される者たちの生活誌』「なんでふたをあけないの?」
著者は東京外国語大学の卒業生で、本書は2020年度に提出された卒業制作を書籍化したものです。
留学先のガーナで、埼玉県のフィールドで、著者は“理想の家族像”を揺さぶられ続けました。その時々の思いや、ガーナの風習を、瑞々しいタッチで綴っています。
現地らしい調理の場面から、フィールドワークをする思いを語った「なんでふたをあけないの?」を公開します。
◇ ◇ ◇
なんでふたをあけないの?
「ジョロフライス(ピリ辛トマトの炊き込みごはん)って難しいのよ。間違えるとすぐにこうなっちゃうの……」
鍋のお米はねばねばして、そのくせ妙に芯が残っている。ガーナ大学の友人がつくる、しょうがをたっぷり入れたトマトスープはとても美味しかったけれど、どうやらそれをお米に注いで炊き上げるときに分量を間違えたみたいだ。私に教えるつもりで料理をしていた友人は悲しそうに鍋底のおこげを剝がして、再びぴっちりとふたをし、こう言った。
「こういうときは水分を飛ばさなきゃ。しばらく放っておこう」
「ねえそれなら、ちょっと鍋のふたをあけておけばいいんじゃない?」
私の思いつきに、友人は驚いたようだった。
「なるほどねぇ、確かにその方が効率的! でも考えたことなかったよ。ガーナでは長時間煮炊きするときは絶対にふたをするものだから」
この日から私は、いろんなところで煮炊きを観察するようになった。多少の例外はあるものの、なるほど確かに家庭での煮炊きにはふたが欠かせない様子である。どのつくり手も、鍋から目を離すときにはしっかりとふたや落しぶたをしていた。もしくは「お料理の途中に鍋から目を離してほかのことをするなんて、しない」と言う。そして不思議なことに、誰もその理由を知らないようであった。
このナゾについて考え続けて二か月くらいたったころ、答えかもしれない情報は思わぬところから転がり込んできた。留学仲間が、インターネット上である投稿を見つけたのだ。
「毒を持ったヤモリ、スープ鍋に落ちて一家全滅――。料理をするときは絶対にふたをするように」
思わず「そんなことある!?」と叫んでしまったが、屋外や密閉性の低い台所で料理をすることが多いガーナでならありうる(実際、このころ私は赤ちゃんヤモリと「同居」していた)。私は思わず身震いして、これから料理をするときは絶対にふたをしよう、上にも気をつけようと心に決めた。
フィールドは、私にとっていまだに「意味がわからないこと」であふれている。私が繰り出す素朴すぎる質問には、現地の人さえも(もしくはだからこそ)答えられないことがしばしばあるからだ。「なぜ鍋にふたをするのか?」という問いに対する答えだって、おそらくひとつではないだろう。無意識レベルに刷り込まれた習慣は、それぞれの人生経験の中でそれぞれに意味づけされて次の世代に受け継がれていく。
私はフィールドを、一生かかっても理解しきれないだろう。家族や世話というテーマに絞っても網羅しきれない。でもフィールドでの経験は、物事を突き詰めて考えがちな私をいつもちょっとだけ寛容に、楽にしてくれる。理由を決めつけるより、考え続けたほうがいいじゃないか、と。まずはただ形から真似してみるだけで、ちゃんと生きていけるじゃないか、と。