[ためし読み]『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』「はじめに」
恣意的に名指された「テロリスト」の実像
〈9・11〉以降、米国をはじめとする国際社会が推し進めてきた「テロとの戦い」において、主要な標的として存在し続けるイスラーム過激派。その思考・行動様式のあり方は、絶えず変貌を遂げている。
長年にわたる網羅的な情報収集と定性的な分析、現地主義に徹した研究手法とリテラシーを駆使して、変容の実態に迫る。
本書から、著者による「はじめに」を公開します。
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はじめに
二〇〇一年にアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領(当時)が「テロとの戦い」を宣言し、アフガニスタンやイラクでの戦争を推進したことには、当初から多くの疑問や批判が寄せられた。「テロとの戦い」といっても、その相手が政治行動の一形態であるテロリズムそのものとなることはありえず、戦いの相手として具体的な対象を指定しなくてはならなかったことも問題点の一つだった。すなわち、誰が「テロリスト」なのかをアメリカが恣意的に選定・指定し、アメリカの利益のために軍事行動や政治・経済的な制裁措置がとられるという問題が生じたのである。恣意的な「テロリスト」の選定・指定という行動様式は、イスラエル、ロシア、中国などの各国も相次いで採用することとなり、「テロとの戦い」はかえってテロリズムの流行・拡散を招く結果となった。
そして、二〇二一年八月にアメリカ軍がアフガニスタンから撤退したが、これはアメリカが二〇〇一年以来進めてきた「テロとの戦い」が破綻・失敗したものとの印象を与えた。なぜなら、アメリカ軍のアフガニスタンからの撤退は、「テロとの戦い」での主敵の一つで、アメリカにとっては交渉や合意の相手ではない「テロリスト」であるはずのターリバーンとの交渉・合意を経たものだったからだ。しかも、ターリバーンはアメリカとの合意で定められた「アフガニスタン人同士の対話・交渉」を半ば反故にする形で軍事攻勢を強化し、それによってアメリカを含む国際社会が長年支援してきたアフガニスタンの政府が八月中旬に崩壊し、ターリバーンが政権を奪取してしまった。
つまり、「テロとの戦い」は、軍事的に討伐する対象だった「テロリスト」を殲滅できなかっただけでなく、テロリズムの流行を許さない新たな国造りにも失敗したのである。ターリバーンによる政権の奪取後、カブール空港を離陸するアメリカ軍の航空機にアフガニスタンから脱出しようとするアフガニスタン人が競って縋りついたが、これは「テロとの戦い」の失敗を象徴する光景となった。
アフガニスタン以外の地域に目を転じても、「テロとの戦い」が二〇年を経て十分な成果を上げていないと思われる現実があふれている。主要な討伐対象だったはずのアル゠カーイダは、アフガニスタンだけでなく、北アフリカやサハラ地域の諸国、ソマリア、イエメン、シリアなどに残存している。また、二〇一〇年以降急速に勢力を伸ばした「イスラーム国」は、当初の活動場所だったイラクやシリアだけでなく、アメリカ、ヨーロッパ諸国、旧ソ連諸国、トルコ、アフリカ南部、アジア諸国にも、「支部」が存在したり、攻撃を実行したりしたと主張している。無論、アル゠カーイダ、「イスラーム国」の両派以外にも国際的に活動する「テロリスト」は多数存在する。アメリカは、二〇一一年五月にアル゠カーイダの指導者のウサーマ・ビン・ラーディン、二〇一九年一〇月に「イスラーム国」の自称カリフのアブー・バクル・バグダーディー(本名:イブラーヒーム・バドリー)、二〇二二年二月にその後継の自称カリフ、アブー・イブラーヒーム・ハーシミー・クラシーを暗殺したが、これらの「成果」をもってしても、アル゠カーイダや「イスラーム国」を根絶することも、両派の活動を停止させることもできなかった。しかも、二〇二二年一一月末にはアブー・イブラーヒームの後継のカリフと称していたアブー・ハサン・ハーシミー・クラシーが、シリア南部のダラア県で殺害されていたことが明らかになった。同人は、二〇二二年一〇月半ばにシリア軍などによる作戦で殺害された模様だが、その時点ではシリア、アメリカ、その他の「イスラーム国」との戦闘の当事者のいずれもが同派の最高指導者の殺害に気付いていなかった。「イスラーム国」が自称カリフの死亡と、後継としてアブー・フサイン・フサイニー・クラシーを擁立したと発表したことに対する国際的な反響も乏しかった。これは、「イスラーム国」の衰退を示すとともに、イスラーム過激派が存続・延命する一方で世論が彼らに対する関心を失うという危険な状況でもある。
以上のように、これまでの「テロとの戦い」は、アメリカによる軍事占領を経験したアフガニスタンとイラクだけでなく、シリア、イエメン、ソマリアなどのように「テロとの戦い」の舞台となった諸国にも紛争や政情不安という深刻な影響をもたらした。また、これらの諸国からは多数の移民・難民が移動し、彼らの主な移動先となった諸国は政治・社会・経済問題に見舞われた。このような諸問題も、「テロとの戦い」の影響の一つと考えることができるだろう。そして、「テロとの戦い」に関するアメリカの外交・安全保障政策、国際関係、戦争や紛争の舞台となった国々の情勢、移民・難民問題については、既に様々な研究で多くが論じられている。
その一方で、「テロとの戦い」の対象とされた組織や集団については、十分な観察や分析がなされ議論が尽くされてきたわけではない。また、過去二〇年間の「テロとの戦い」がアメリカの歴代政権の方針や国際情勢によって変化してきたのと同様に、戦いの対象自体もまた、その主体や思考・行動の様式、個々の主体の盛衰において変化し続けており、単純なものではない。
読者諸賢におかれては、「テロとの戦い」に対し、アメリカが主導した戦争や軍事行動という印象が強いかもしれない。しかし、実際の「テロとの戦い」は、国際連合(国連)をはじめとする国際機関の決議や国際条約を通じた資金の流れへの規制、職業訓練や雇用創出、教育振興、女性の権利の擁護、衛星放送をはじめとする報道機関やインターネットの世界での言論への対策なども含む包括的な営みである。このため、「テロとの戦い」の対象とされた個人や組織も、武装闘争やテロ行為に乗り出したり、これらを扇動したりするだけでなく、領域を統治し、統治を正当化する論理を著述し、国際的に移動し、国境を越えて資源を調達し、あらゆる方法で広報を行い、連携・合流・対立・分裂などの組織間関係を営んだ。つまり、彼らの行動は戦場での「戦い」にとどまらない、より包括的な「闘い」ということができる。このため本書では、「テロとの戦い」の対象とされた組織などの営み全般を「闘い」と呼んで考察を進める。
本書では、「テロとの戦い」でアメリカと闘った主体とその思考・行動様式を解明することを目的とする。その過程では、対象の定義(第一章)、「テロとの戦い」の展開の概観(第二章)、二つの手法を通じた観察と分析(第三章、第四章)という作業を行い、これらを経て「テロとの戦い」後の課題について考察する。