「未来の自分」に手紙を書いても、立派な大人にはなれてない
中学生の頃から思い付きで「未来の自分に手紙を書く」ということをやってきました。もう15年くらい続いています。書くタイミングは「実家に帰ったとき」。内容は、「昔の自分に返事をして、未来の自分に質問を書く」というシンプルなもので、書き終えたらこっそりと自分の部屋のデスクの奥の方に眠らせておきます。また数年後、実家に戻ったときに同じように繰り返しています。
未来の自分へ送る質問が年齢によって全然違った
中学生の自分は、「幸せですか?」「健康ですか?」「友達を大切にしていますか?」「一人で抱え込んでないですか?」「強く生きていますか?」といった質問を投げかけていました。20歳を超えたくらいになると「結婚してますか?」「建築士の資格取得してますか?」「料理、出来るようになってますか?」という具合に変わっていました。
中学生の自分はどうやら「先行き見えない不安を感じ取り、大人になった自分を心配している」かのように見え、20歳を超えてからは「自分の出来ることを増やせているか、自分が考えているとおりに人生を歩めているか」という基準で手紙を書いているように見えました。
子供が大人に抱く「遠さ」・「期待」・「不安」のようなモヤモヤを、自分なりに「こういうことが出来るようになったらいいのかな?」という目標に変えて、将来の自分に確認している。となると、過去の自分の期待に応えないとなぁと思うわけです。
このまま過去の自分と一生向き合うに違いない
中学生の頃や20歳の頃の自分に、
「大人になっても不安もあるし、考えた通りの人生になってないけど寄り道・回り道をしながら毎日きちんと過ごしていること」
「過去の自分が想像していた”立派な大人”になれているかはわからないけど、自分や自分の周りの人が感じた不安とか新しい発見といったものを、”どーでもいい”とか”気のせい”とか適当に理由をつけて素通りしないように気を遣っていること」
「立派な大人になるためにもう少し頑張るから待っててほしいこと」
を伝えて、一生こうやって手紙で伝え続けながら生きていくのかもしれないなぁ。誰かのために頑張るなんて押しつけがましいけど、自分との約束は果たしたいなって思います。
今日はわたしのnoteに遊びに来てくださりありがとうございます。子供の頃って大人はすごく遠い存在に感じてたはずだけど、実際 歳を取ると、そう遠くもないよと思ったり。
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