好きの反対は無関心
厳密にいうと
「愛の反対は憎悪ではない、無関心である。」
あのマザー・テレサさんが語った有名な言葉。
果たして本当にそうなのか?と思い、考えてみた。
※ 一個人の考えであり ある一つの解釈なので
「正解」も「絶対」もないです
私の考える「好き」と「無関心」の状態を図にしてみると
「好き」↔︎「嫌い」= 関心がある状態 になります
働く力の方向(プラスとマイナスな感情)に違いはあるけど (図1)
どちらも良くも悪くも関心から生まれる感情だとおもう。
物で例えるとすると
「有関心(関心がある)」というコップの中には
「好き」や「嫌い」といった氷(内容)が入っていると考えてほしい。
逆に、「無関心」とは
それらの氷が入っていない空のコップの状態とすれば
氷が ”入っている”(有関心) ↔︎ ”入っていない”(無関心)
こんなふうな対の関係になるのでは、と思いまして。
マザー・テレサさんのいう「好きの反対は無関心」は
ざっくりと捉えればそうとも言えるし
もっと具体的にいうと
関心がある と 無関心 というカテゴリーに分けられた上で
あくまで 好きと嫌いは対の関係性にあり
その関係性は”関心がある”というカテゴリーに分類される。
という解釈に辿りついちゃう。
人間関係において関心がある状態は良くも悪くも
色んな感情を抱くことになるし、それが人間らしくもある。
だから時に「無関心」であることのほうが
精神的に楽でストレスはかからない状態なのかなって。
でも、無関心で生きている人なんて
一人もこの世の中にいないんじゃないかな〜