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「マクロ教育学」と「ミクロ教育学」
マクロ経済学とミクロ経済学
わたしは最初に入った大学で、経済学を学んでいました。ゼミはマクロ経済学のゼミでした。マクロには「巨視的」という意味があります。マクロ経済学に対比されるものにミクロ経済学があります。ミクロとは「微視的」という意味があります。
ミクロ経済学とマクロ経済学は経済学の二つの主要な分野で、それぞれ異なる視点から経済を研究します。
ミクロ経済学は、個々の消費者や企業がどのように意思決定をして、市場でどう互いに影響しあうかを研究する学問です。この分野では、価格の決定や、需要と供給の法則に注目して、商品やサービスがどのように取引されるかを見ます。簡単に言うと、小さな市場や店の中で何が起こっているかを分析していきます。
マクロ経済学は、国全体の経済を大きな視点から見る学問です。国のGDP(国内総生産)や雇用率、インフレ率、経済成長など、国の経済に関連するさまざまなデータを分析します。この分野では、政府の経済政策や中央銀行の金融政策、財政政策などがどのように経済に影響を与えるかを研究して、より良い政策を考えるための手がかりを探します。
ミクロ経済学が「木」を見る学問であるならば、マクロ経済学は「森」を見る学問と言えます。両者は互いに補完関係にあり、経済の理解を深めるためには両方の視点が重要です。
マクロ教育学とミクロ教育学
マクロとミクロの両視点が必要なのは、教育現場も同様だと感じます。教育学を学ぶために私は大学に入り直したのですが、そこにマクロ教育学やミクロ教育学という分野があったわけではありません。が、教師として教育現場に入ってみると、教室や家庭での教育の営みを分析するのが「ミクロ教育学」的で、国や文科省の動向あるいはOECDや国連の教育政策への提言や調査などの営みを分析するのが「マクロ教育学」的であり、その両視点を教育者はもったほうがいいと感じます。以下はざっくりとした内容をわたしが分類したものです。
マクロ教育学は、国全体の教育システムや政策を広く見て、どのように学校が運営されているか、教育がみんなに平等に行き渡っているか、また国際的な基準でどうかを分析します。
具体的には、教育政策の策定とその影響、教育システムの効率性や有効性の評価、社会経済的背景が教育にどう影響するか、そして他の国々との教育システムを比較することを研究します。
ミクロ教育学では、もっと小さなスケールで、つまり個々の学校やクラスの中での教師と児童・生徒のやりとりに焦点を当てます。ここでは、教室での教育実践や教育心理学、特定の教育技術の効果、児童・生徒一人一人の学習プロセスや認知発達、学習障害の研究などが行われます。
例えば、教師と児童・生徒のインタラクション、教育手法の効果分析、学習動機や成果の心理学的要因を詳細に調査することが含まれます。わたしが日々取り組んでいる、「生活綴方教育」の実践(子どもたちが日記や作文、詩を書き、それを読み合うことで個人や集団の認識の発達を促していく教育方法)も、このミクロ教育学的な研究に入ると思います。
学校で日々、子どもたちと向き合っていると「ミクロ教育学」的な研究になるのは必然です。なので、文科省の提言文書だったり、OECDやユネスコの教育に関する提言などといったマクロ的な視点をもつための文書を読む必要を感じます。
【良書】 白井 俊 著『世界の教育はどこへ向かうか』 中公文庫
ミクロ的な視点に偏りがちな教師の視点を、マクロ的な視点に立たせてくれる良書に出会いました。白井 俊さんの上掲書です。2025年2月25日発行の新刊書です。早速手に入れ、線を引き引き、読みました。
筆者の白井さんは、東大法学部を卒業後、コロンビ大学法科大学院修士課程を修了し、文科省に入省。文科省の各局で経験をつまれた後、OECDや大学入試センターに出向し、2023年から内閣府に出向。現在内閣府の科学技術・イノベーション推進事務局参事官として勤務されています。
わたしがこの方の名前を知ったのは『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』という著作です。コロナ禍のとき学校が休校になり、わたしは比較的ひまだったのでOECDのプロジェクトについて原文を読んでみたのですが、「エージェンシー」の概念や「ラーニング・コンパス」のモデルなどがなかなかおもしろいなあと思っていたところ、このOECDプロジェクトに日本人が関わっていることを知り、名前を見ると白井さんだったのです。
白井さんの新刊、中公文庫の『世界の教育はどこへ向かうか』は各章おもしろいのですが、白井さん自身が作成した図や表がとてもわかりやすいです。とくに国連の提案するSDGsとOECDが提案する「ウェルビーイング」という概念の関係性を表した以下の図には感動しました。
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また、どうやら白井さんがNHKの朝ドラ「虎に翼」を観ていたと思われる執筆箇所や、これからの教育は「個人の尊厳」を大切にしていくべきたという主張にわたしはうなずくことが多かったです。
時代によって、国や地域によって、年齢や性別によって、あるいは文化や宗教によって、当たり前の基準が違うこともある。刑法の尊属殺に関する規定が違憲判決を受けたことは既に述べたが、他にも古い映画やニュースなどを見ると、職場や電車の中で喫煙しているシーンが登場して驚くことがあるし、「保母」や「看護婦」など、特定の職業を性別と結びつける呼び名が改められたのも、20世紀末以降のことである。こうした事例のように、かつては当たり前だったことが、現代では当たり前ではなくなっていることも多い。だからこそ、人間重視の視点に立ち返り、SDGsやウェルビーイングなどの普遍性のある国際的な枠組みを活用しながら、学校や子供たちの実情に即したものにしていくことが求められる。
その際には、子供たちがどのように考えたり、感じたりしているのかを大切にすることが重要である。教師が良いと考えていても、子供たちはそうは考えない場合もあるはずだ。子供たちの「個人の尊厳」を考えていくためには、大人が決めつけることなく、対話を通して、子供たちの考えを聞いていくことがより大切になってくるだろう。そうした実践の積み重ねが、将来の日本を担う、次代の主権者を育てることにもつながるのだ。
教育は子どもの事実に則して行われるべきである。そのために、子どもの生活もふくめた事実を把握する必要がある。だから、わたしは日本の伝統的な教育方法である「生活綴方教育」を研究し、実践もしているのですが、白井さんの著作を読むと、そんな実践者への応援メッセージのようにも読めました。
白井さんの著作は、2021年にユネスコが公表した報告書の一説(おそらく白井さんの訳文)を引用して締めくくられています。この引用に、白井さんの熱い思いも伝わってきました。ぜひ、このユネスコ報告書の原文を読んでみたいと思いました。マクロ的な教育提言のなかに、ミクロ的な教育実践者を勇気づける言葉もあるような気がしました。
学校は教育の場として守られなければならない。なぜなら、学校は包摂性、公平性、個人及び集団のウェルビーイングの実現に貢献しているからであり、また、より正しく、公平で持続可能な未来に向けて世界が変化していくことを、さらに促進していくものであることが再認識されるべきだからである。
学校は、多様な集団が一緒になって、日常生活においては必ずしも向き合うことのできない挑戦や可能性に向き合うことができる場でなければならない。学校の組織、空間、時間、時間割及び生徒集団は、個々人が一緒に学ぶことを奨励し、可能にするように再設計されるべきである。
デジタル技術は学校を代替するのではなく、支援するように使われなければならない。学校は、人権を保障し、持続可能性やカーボン・ニュートラリティの模範と
なることで、私たちが描く未来のモデルとなるものでなければならない。