公園での言語教育
「食べるかな」「食べるよ食べるよ」「食べた〜」
最近、小学生の娘と、保育園年中の娘と自宅近くの公園に出かけました。その公園には調整池があり、鯉が十数匹泳いでいます。娘たちがその鯉にエサをやりたいとのことで、パンを一切れもって出かけました。
公園の池のほとりについて、さっそくパンを小さくちぎって、鯉のいる水面に投げ入れました。5歳になる娘が、
「来たよ〜来たよ〜」
「食べるかな」
「あ、食べるよ食べるよ〜」
「あ!、食べた〜」
とつぶやきながら鯉がエサをパクつく瞬間を実況していました。この「食べるかな」「食べるよ食べるよ」「食べた〜」という様々な「食べる」という動詞の形態の変化を聞いていて、我が娘はいつのまにか日本語の立派な使い手になったものだなあと感心しました。
公園での子供の言葉と養育者の語りかけ
公園で子供が発する言葉をその語尾に気をつけて聞いていると、興味深いことに気づきます。まず「〜してみよう」「〜しよう」という意思や主体性を感じる語尾が多いです。そこに興味の対象があり、体をはたらかせることで対象と実際に関わることができるので、そういった語尾になるのでしょう。
公園に木の実などを食べている鳥や動物がいると、実を食べようとする鳥と、今まさに食べた鳥を見て、現在形「食べるよ」と過去形「食べた!」の語尾を使って鳥が実を食べた感動を話します。
このような語彙は、実は、子供がまだ言葉を発しないうちに、養育者が子供と同じ対象を見ながら対象の動きの変化を表す言葉を語りかけることで、自然と獲得していく・・・そんなことを大学時代に言語学者の先生に言われたことを思い出しました。確かに母語の話者は、その形態変化を文法的に学ぶわけではないのに巧みに使えるようになります。脳に、先天的に言語を自在に使えるようになるスイッチでも入っているのでしょうか。
動物がエサを食べる瞬間の感動を子供と最もよく共有できるのが動物園です。ものを食べるという動物の行為は、幼い子もとても興味をもって注視します。特にキリンなどは、あごを横にスライドさせながらまさに「むしゃむしゃ」食べるので、おもしろいです。私も動物園へ行くと、子供を肩車しながら、言語学者の言う事を信じて過剰に語りかけました。意識せずとも、親は子への語りかけが増えるのかもしれませんが、文法・言語教育もしているのだという目的意識があると俄然やる気が出てきます。
養育者が同じ対象を子供と共同注視しながら、モノや動作に関わる言葉を意識的にに語りかけていく・・・これも一つの言語教育なのかもしれません。