『山びこ学校』を読む その1
しばらく、無着成恭(むちゃく せいきょう)の『山びこ学校』を読んでいきたいと思います。この本は、昭和23年、山形県南村山郡山元村(現在の上山市)の山元中学校に赴任した新任教師・無着成恭と、その教え子たち43名(男子22名、女子21名)の生活記録です。「戦後民主主義教育の記念碑的傑作と絶賛された『山びこ学校』」(佐野眞一『遠い「山びこ」—無着成恭と教え子たちの四十年—』12p、新潮社、平成17年)であり、無着が「生きた社会科の教科書」として村や子どもたちの生活そのものを教材とした生活記録でもあります。
この本の初版の出版は1951年、青銅社から出ています。それは手元にないので、岩波文庫版のもので読んでいきたいと思います。岩波文庫版は1995年に初刷が刊行され、今でも手に入りやすいです。
なぜこの本を今さら読む必要があるのか、と考えたときに、実は私は生活綴方教育や社会科を専門として長年取り組んできたにも関わらず、その一つの教科書ともいえる『山びこ学校』をこれまで精読してきませんでした。大学のときにさらっと読み、今井正監督の同名映画も観たのですが、その価値を今の実践に位置付けたり、この著作から学び取れる知識や技術を戦略的に引き出せるレベルにまで読んでいませんでした。この本を自分の血肉にして、自分の実践に活用したり、だれかに説明したりできるレベルに引き上げたいというのが、本書を読む目的です。
戦後復活した雑誌『教育』創刊号の特集が『山びこ学校の総合検討』
ネット検索した教育関係の論文かなにかで、教育科学研究会(教科研)の機関誌である『教育』の戦後復刊第一号の特集が『山びこ学校』だったことも、この本を読む理由の一つになりました。母校の大学まで行き、この雑誌『教育』の創刊号を書庫から出してもらい、全ページを複写しました。そこに書いてあった無着の言葉に心惹かれました。以下の言葉は無着の論考の巻頭に書かれていました。
「子どものほんとの姿を知るために綴方を書かせる」というのは、私も同じ思いで生活綴方のしごとをしているので、心に響きました。新任から数年の若手教師・無着の言葉です。かっこいいなあ。
雑誌『教育』の山びこ学校特集では、「山びこ学校の問題点」と題して関係者10名による座談会が組まれているのですが、そこで当時の山形県教育研究所員であった船山謙次氏が次のように評しています。
「無着さんの教育は、一人々々の子どもの生活の中に入って、子どもの個性というものを本当によく知っておる」
「子どもの生活を、それは足の裏まで知っておる。そういう子どもの生活を知っておるということが一般化の方法としての技術の問題じゃないかと思います。このことは本当に誰でも学ばねばならないこと」
この「子どもをよく知るための技術の問題」として、『山びこ学校』を再読、精読していくというのが、私自身の本書を読む「めあて」となりそうです。
併読書・佐野眞一『遠い「山びこ」—無着成恭と教え子たちの四十年—』
『山びこ学校』は1951年に出版され、「戦後民主主義教育の金字塔」とまで讃えられるのですが、当時無着は20代半ば。新任教師としての実践がジャーナリズムとしてもてはやされました。「教育タレント第一号となった教師」である無着と43人の教え子たちのその後の40年を追ったノンフィクションが佐野眞一の『遠い「山びこ」—無着成恭と教え子たちの四十年—』(平成17年、新潮社)です。
ノンフィクション作家でありジャーナリストである佐野眞一の本は、これまでいくつか読んできました。とても面白く、その取材力に感動した覚えがあります。その佐野が「山びこ学校」に係る取材を始めたのが平成2年の6月。そこから足かけ三年にわたって取材を重ねて世に送り出したのが本書です。面白くないわけがありません。本書のプロローグにも佐野自身の問いが書かれています。
「この村に赴任した新任教師はここで何を教え、四十三人の教え子たちは何を学んだのか。そして、その後の四十年をどう生きたのか。」
「生活綴方」または「生活教育」の効果は、その後の長い人生にどのような影響を与えているのか。そんな関心もあり、『山びこ学校』と併せて読む価値が大いにありそうです。まずは、『山びこ学校』はどんな構成で、何が書かれているのかということを読み取っていきたいと思います。次の記事でまとめたいと思います。