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一億総白痴化から一億総腐脳化へ!?
昨年度のイギリスの流行語「brain rot」(脳腐れ)
昨年の末に、新聞やネットメディアの記事を読んでいたら、イギリスのオックスフォード大学出版が毎年発表している「オックスフォード・ワード・オブ・ザ・イヤー(今年の流行語)」に「brain rot」 が選ばれたことを知りました。わたしは時々、気になった新聞記事を切り抜いてクリアファイルにはさんでいるのですが、だいぶたまってきたので、整理しようと読み直していたところ、この「brain rot」という用語に再会しました。
「Brain rot」(脳腐れ)という言葉は、特にSNSやインターネットでの低品質コンテンツの過剰摂取に関連しています。何時間も、目的もなく、TikTokやInstagramを指でスクロールする・・・こういった行動を「brain rot」と言ったりします。そういったスクロールばかりの生活でリアルな人間関係が少なくなっている現象たっだり、そういう生活をしている本人が自虐的な文脈で使用したりする用語のようです。
昨年、この言葉は特に若者たちの間で広まり、その使用頻度は230%も増加したそうです。脳が腐るとは、ずいぶん過激な表現ですが、実際に脳が腐るわけではありません。が、SNSを含むソーシャルメディアに対して私たちがもつ不安だったり、現在のオンライン世界に対する不満足といった感情を、「brain rot」が内包していると、BBCの記事にありました。
確かに、わたしが学校で受け持っている子どもたちのインターネットメディアへの接触時間はスマホを所持するタイミングで確実に増えていますし、それで宿題をやってこれない、寝不足で授業に集中できないという子も近年増えていると実感しています。
子どもだけでなく多くの世代で、インターネットメディアに接する時間が増えています。最近、渋谷のスクランブル交差点を通る機会があったのですが、あの乱雑な交差点を、ショート動画をスクロールしながら渡る強者を見かけました。
近々、アメリカ人の親戚に会う予定があるので、実際、英語圏の若者はどうなのかを詳しく聞いてみたいと思います。
わたしたちや、わたしたちの親世代も同じようなことを言われて育った
わたしは小中学生のころ、テレビっ子でした。テレビの前で、何時間もごろごろしながら、無目的にチャンネルを変えて、時間を浪費していました。それを見た親が「バカになるぞ!」と諭していたのをよく覚えています。大人になった今はなるべく予約した番組だけ観るようにしています。
受動的に目的もなくメディアに接するという意味では、インターネットメディアも同じようなものでしょう。「brain rot」という単語を聞いて、思い浮かんだのは評論家・大宅壮一が昭和32年に最初に使ったといわれる「一億総白痴化」という用語です。
当時、テレビというメディアは勃興期でした。新しい番組がたくさん生まれていました。そのなかでは現代の「炎上商法」ともいうような番組もありました。
私が、はじめてこの言葉を使った直接の対象は、「何でもやりまショー」という番組であった。それも、出演者が早慶戦のスタンドで慶応側の応援団席に入って、早稲田の旗を振り、それでたいへんな騒ぎがおこったのをカメラで撮ってテレビに使った。そのため、六大学野球連盟が、そのテレビ局の中継を禁止するという騒動にまでなった。ごていねいに、その出演者が観衆からつまみ出されるところまで映してあったので、私は「一億総白痴化」といったのである。
なんだか、今だったらYouTubeにアップされそうな映像が浮かんできます。
また大宅はこのようにテレビというメディアがもつ本質を喝破しています。
新しいマス・コミとして登場したばかりのテレビは、目でみるという特性からも、当然まず「興味」で人をつることを考えた。興味に訴えることがかならずしも悪いとはいえないが、はげしいダイヤル争奪、視聴率競争は、そのまま、放っておけば、興味の質を考える暇がなく、もっぱら度の強さをきそうことになる。興味の度の強さ──刺激の強さをつき進めていくとゲーム、勝負のスリルとなり、プロレスが八百長であることをだれもが知っていながら、テレビの前が黒山になるといったことになる。
視覚の刺激の度 =視る興味も、質を考えずに、度だけ追っていくと、人間のもっとも卑しい興味をつつく方向に傾いていく結果にもなる。人間は、たとえば街角で犬が交尾していれば、立ち止って見たい気持ちを持っている。見終わったあとでは、バカバカしい、用事があるのに犬の交尾なんか見て……とはいうが、火事があれば、また走っていく、というわけだ。
刺激が過剰になり、刺激の度をますます強くしなくてはいけない状態が続けば、その刺激のない平常の時間に、人はボンヤリとしてしまう。それは痴呆化するということである。
テレビというメディアは、マス・コミのなかで、こういう人間の低い興味と接触する機能を、本質上もっとも多く持っているということだ。」
引用で書かれている「テレビ」という言葉を「YouTube」とか「TikTok」に置き換えたら、とてもこの引用が70年前のものとは思えなくなってきます。視聴者やフォロワーの「いいね」や「総再生数」を増やすために、刺激が過剰だったり、扇情的なコンテンツが増えていく。そんなコンテンツばかり見ていたら、刺激がない状態にがまんできず、またすぐにスマホをスクロールしてしまう・・・そんな生活につながっていくように思います。
大宅が「痴呆化」「一億総白痴化」といった現象は、「brain rot」という現代の用語に引き継がれています。
2024年12月16日の朝日新聞「天声人語」にガッカリ
この「brain rot」という用語を知ったのは、昨年12月16日の朝日新聞朝刊のコラム「天声人語」でした。
でもこの記事は、ほぼオックスフォード大学のプレス記事の「焼き直しコラム」でした。
最初、天声人語の筆者はうまいこと言うなあと感心していたのですが、冒頭のヘンリー・D・ソローのくだりから、まるまる焼き直しでした。毎日コラムが書かれるなかでのことだと思いますが、いかにもしたり顔で書かれるコラムにもやもやした気持ちになりました。