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人は、自分の表現物によって自己愛を満たすことができるのか

砥上裕將の『線は、僕を描く』

 勤務する学校の司書さんに「親でも友達でも学校の先生でもない人との出会いを通して自己愛を満たしていくような物語はありますか」と聞いて、いくつかリストアップしてくれた本の中に、砥上裕將の『線は、僕を描く』があったので、読んでみました。

 砥上裕將の『線は、僕を描く』は、水墨画をテーマにした青春成長小説です。主人公の青山霜介は、両親を亡くした喪失感を抱える大学生。ある日、水墨画家・篠田湖山と出会い、その孫弟子として水墨画の世界に足を踏み入れます。

 初めは興味も知識もない状態でしたが、墨の濃淡や筆の一筆一筆に心を込めることで、自分自身の内面と向き合うようになります。水墨画を通じて、過去の自分と向き合いながら成長していく霜介の姿が丁寧に描かれています。

 この物語は、技術を習得する過程だけでなく、心の再生や自己発見をテーマにしており、静かで美しい文章とともに、読む人の心に温かさを届ける作品です。作者の砥上裕將さん自身が水墨画家ということもあって、実践者のみが書き得る筆致というものに感嘆します。横浜流星さん主演で映画化もされています。

主題や主題を象徴する一文を見つける楽しみ

 テーマについての専門家である作者が書く小説を読むときの楽しみは、主題や主題を象徴するような一文を見つけることです。例えば196ページの一文です。主人公の青山霜介は水墨画と出会うまでは半分死んだような人生を送っていたのですが、自分の手で水墨画という作品を描くようになり、ある発見をします。

 自分の手を超えたものが、自分の手によって生まれていると思えたとき、はじめて、そこに命が生まれていると感じる。

 砥上裕將の『線は、僕を描く』196ページ

 そして233ページ。霜介は、兄弟子の斉藤湖栖が水墨で描くバラの蔓(つる)を見ながら、今まで感じえなかった感覚を得ます。

 僕は斉藤さんの蔓を描く筆致を見ながら、言葉にしがたい強い気持ちを感じていた。それが最初何なのかまるで分からなかったが、斉藤さんが蔓を描き終え、蔓や茎についている薔薇の節や棘を描き、全体に点を付し始めたそのときに、言葉にできないその気持ちの正体に気づいた。言葉にできなかったのは、僕がそれをほとんど持っていなかったからなのだ。僕が斉藤さんの蔓から、線から感じたことは、
『生きよう』
 と、思うことだった。

砥上裕將の『線は、僕を描く』233ページ

 霜介は、師匠や姉弟子兄弟子との出会い、また彼らの描く作品を通した出会いをとおして、水墨画の本質について実感していきます。

 水墨画は確かに形を追うのではない、完成を目指すものでもない。
 生きているその瞬間を描くことこそが、水墨画の本質なのだ。
(・・・中略・・・)
 描くことは、こんなにも命といっしょにいることなのだ。

砥上裕將の『線は、僕を描く』276ページ

 この作品を司書さんが勧めてくださったのは、主人公の霜介に両親がいないという設定だからです。また、物語のはじめには、友達と呼べるような友達もいません。そういった自己愛を満たす対象がいない設定になっています。ですが、「師匠」「弟子」といった関係のなかで主人公は次第に自己愛が満たされていきます。

 学校での人間関係は、実はとても狭いもので、現実社会にでれば、もっと多様な人間関係が切り結ばれます。家庭や学校といった人間関係のなかで息苦しさを感じている子に向けて、司書さんは「世の中にはもっと希望をもてるような人間関係がきっとある」という思いをこめてこの本を選んでくれたと思っています。

霜介の「水墨画」を描くことを通して自己愛を満たしていく物語

 「人は、自分の表現物によって自己愛を満たすことができるのか」というのが、この作品を通して流れている問いだと私はとらえました。

 自己愛(自分を独自で大切な存在だと思える感覚)は、
①だれかに「いいね」と認められること(鏡自己対象)
②あこがれの存在をもつこと(理想化自己対象)
③自分と全く同じような見方や感じ方に共感してくれること(双子自己対象)
で満たされていくといわれています。(精神科医・ハインツコフートの考え方)

 多くは親や友人、恋人がそういった存在になります。一方で、このような存在が得にくくなっているのが現代社会であり、精神科医の熊代亨さんは、著書のなかで、SNSでの「いいね」の広がりや「推し」の隆盛は、これまで自己愛を満たしてくれたかつての共同体が衰退したためであることや、その代わりになっていると述べています。

 一方で、この著作で詳しく述べられていなかったのは「芸術」と自己愛の関係です。自分が生み出した芸術作品、芸術とまでは言わなくても作品は、その人自身ではありません。ですが、自ら生み出した作品が、だれかの「いいね」という承認を得られたり、作品をみた人が共感してくれたりする・・・そういった経験でも自己愛を満たすことができるのではないでしょうか。

 これは絵画やイラストだったり、工芸品だったり、また小説やエッセイ、音楽なども、その人の「作品」と言えると思います。私が専門にしている「生活綴方教育」では、子どもの書く作文や日記も「作品」と呼びます。

 子ども自身が、自らの生きている瞬間や、いま生きている輝きを書き切ることができたと言えるような作品に出会えたときの喜びは、私自身至上のものです。そのような作品を学級などで読み合い、承認されたり、共感されたりするなかで、書いた子の自己愛が満たされていく。そういったことをこれまで何度も経験しています。
 
 ある子の「作文や日記、詩」を書くことを通して自己愛を満たしていく無数の物語が、現実にあります。それを詳細に描いてみたいと思い始めました。

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